「ウォール・ストリート」を観ようと思い、その前に「ウォール街」も観ておいた。87年の映画で、ぼくは公開時に劇場で観たはずなんだけど、ほとんど忘れていて新鮮だった。翌日にちゃんと「ウォール・ストリート」を観たので、20年以上間がある2つの作品を観ることができて、あ、これは前回の「20年間変わっていないこの国、とおれ」と関係あるなあと思ったわけ。
「ウォール街」を20年ぶりに観て、たいそう驚いた。ゲッコーという悪らつな投資家が、航空会社を買収する。航空会社は組合が強いので、彼らとうまくやらないといけない。そこで、パイロット、スチュワーデス(いまのCAね)、整備士など職種別に分かれている組合の代表を集めて買収に理解を求めるシーンがある。なーんか、どこかの国の航空会社と近いんじゃない?
あるいは、別の会社を買収しようと株主総会に乗り込み、いまの経営陣に任せたままより自分に託してもらった方がいいのだと演説をぶつ。「強欲は正しいんだ」というようなことを言うのだ。んー?なんかこれ、少し前にハゲタカなどと呼ばれた外資ファンドの人たちの、日本の株主総会のシーンと似てるんじゃない?
「ウォール街」の時代はまだ、ゲッコーみたいな人物は”新しい”存在だったのだろう。この頃のアメリカ人の心性は、いまの日本人と近かったのかもしれない。監督のオリバー・ストーンも、あくまでゲッコーをピカレスクとして描き、こういうやつらが世の中を悪くするのだと言いたかったのだろう。監督のメッセージは、マーチン・シーン演じる航空会社の整備士の組合のリーダーが代弁していたのだ。彼は、ゲッコーを信用せず、あからさまに否定する。
だがしかし、ゲッコーに憧れて金融界に入る若者が続出し、オリバー・ストーンはがっかりした。強欲を恥じないゲッコーは魅力的だったのだ。そしてアメリカはM&Aが日常的に行われる、企業が新陳代謝する国になっていく。
アメリカは最初からいまのような国だったわけではない。70年代まではけっこう終身雇用だったし、企業買収がガンガン起こる環境だったわけではない。そういう状況から、新陳代謝する国に生まれ変わったのだ。まあ、もともとそういう素質がある国だったのだろうけど。
実際、主人公のチャーリー・シーン演じる証券マンは、父親(さっき書いたマーチン・シーン演じる組合長。親子共演で親子を演じている)と会社について「親父が24年間も働いてきた会社をうんぬん」と言ったりする。何十年も同じ会社で働くことに価値を置いたセリフだ。まるで日本じゃないか。
アメリカはこの20年で、強欲を肯定する国に変化したのだ。だから、前回書いたような状況を作れた。ゲッコーのおかげでマーク・ザッカーバーグは6億人を集められたのだ。
そして「ウォール・ストリート」では、強欲な力学を使って、次世代クリーンエネルギーを開発しようとする若者が登場する。金融の力を使って、世の中のためになることをしようとするのだ。カムバックしたゲッコーも、最後にはそれに加担する。チャーリー・シーンが短いシーンで登場し、相変わらず80年代の強欲さだけの男に成り下がっている。チャーリー・シーン演じる男はもはや過去なのだ。2010年代は、金融を使って”いいこと”をする。そう言えばアメリカ発のソーシャルメディアにも、その底に似た気分を感じる。
アメリカは20年でどんどん進化していった。強欲さで社会の新陳代謝を促進し、ダメになりかけた経済を活性化させた。そしていま、その強欲ささえ次のステップに進めようとしている。
ぼくたちのこの国はどうなんだろう?強欲にさえ、なれない。そのずっと手前で、うじうじしているだけだ。昔はよかったよなあ、とぼやいて、次へ進もうとしないまま20年間過ぎてしまった。
だから、さて、どうすればいい?・・・
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