ソーシャルテレビは”お茶の間の再現”ではない、と思うんだよね

先週の月曜日にこのブログで”ソーシャルテレビ推進会議・オープンセミナー”について告知した。4月からはじめたソーシャルテレビについての勉強会の中間報告会的な催しだ。そうしたらびっくりした。一週間で100名を超える応募があったのだ。これまでに”境塾”として勉強会を何度かやってきた。多くて80名の定員の設定で、開催まで数週間で定員達成、ということがほとんどだった。それが今回は一週間で100名だ。ソーシャルテレビへの関心、高いんだね。

80名の定員は超えてしまったけど、会場はけっこう広いので定員を増やすつもり。今週、そういう検討をするので、行きたいなって人は、このリンクのATNDから申し込んでおいていいよ。たぶん、もう少し入れるんじゃないかな。

ソーシャルテレビが盛り上がるのはいいんだけど、皆さんソーシャルテレビって何かわかってるかしら?そうだね、テレビを見ながらTwitterやFacebookでつぶやきあう。それがソーシャルテレビの第一歩。ぼくとFacebookやTwitterでつながってる人なら、ぼくが時々、意味不明のつぶやきを連投することがあるのを知っているだろう。あれはたいてい、テレビ番組を観ながらつぶやいているわけ。ぼくが面白そうに観ているもんで、同じ番組をみるようになっちゃったよ、って人もけっこういるんだぜ。

ソーシャルテレビにはもうひとつ、テレビ番組をVOD視聴する際、感想を共有する、というのもあるとぼくは思っているのだけど、VODがまだあまり普及していないので、それは置いといていいだろう。

さてところで、ソーシャルテレビについて語る時、”お茶の間の再現”という言い方をする人がけっこういる。これは比喩としてわかりやすいからね。お茶の間でテレビを観ながら家族と四の五の言いあってた、あんな様子が再現されるよ。ソーシャルテレビを説明しやすいし、なんだか価値がありそうでいいんじゃないかということなんだろう。

実際、テレビはそもそもがそういう”ソーシャル性”を持っていた。家族や同級生に共通の話題を与えていた。それがソーシャルによって同じような価値をもたらすのだと。そういう時に決まって”お茶の間”という言葉が持ち出される。それにぼくは前から違和感を持っていた。

”お茶の間”で家族揃って同じ番組を観て、何か言いあったりした、というのは経験としてあるにはあるけど、そんなに日々起こることだったかなあ。そんなに”家族みんなで”観た番組なんてたくさんあっただろうか。それから、”家族みんなで”同じ番組を観たのは、ごくごく短い時間だったんじゃないだろうか。

小学校まで、じゃない?そんなの。そして、小学校までなら、けっこういまも同じ番組を観てるんじゃない?

何を言いたいかというと、お茶の間お茶の間という言い方には、過去を必要以上に美化する気持ちが入り込んじゃっているんじゃないかと。

ソーシャルテレビはそう言う、過去に戻る現象ではないと、ぼくは思ってるんだ。

ソーシャルテレビが面白いのは、むしろ、新しい人間関係を構築するところにあるんじゃないかと思う。

まったく見知らぬ人と、Twitterを通じて同じ番組で盛り上がって少し交流したり、なんてことはよくある。

顔見知りになったけど、まだあまりよく知らない人とFacebookで番組についてちょっとした感想を共有して急に相手のことがわかったりする。

家族や友達と感想を共有するのが昔のテレビの楽しみ方だった。ソーシャルテレビはむしろ、血縁地縁を超えたつながりをバックアップする。視聴率がさほどでもない番組でも共有できるのが、ソーシャルテレビだったりする。みんなが観ている番組である必要はないんだ。

ソーシャルテレビについてぼくが見出したいのは、テレビの昔懐かしい姿ではなく、テレビの新しい価値、可能性。そして確かに、そこにはありそうな気がしている。

勉強会では、そういうところも含めて、みんなで考えられればいいな、と思っている。

そんなオープンセミナー、皆さんも未来を一緒につくるつもりで、どうぞ参加してくださいな。

[`evernote` not found]
Pocket

トラックバック用URL:

Facebookアカウントでもコメントできます!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です