昨日の記事の最後で「マス広告費についてはもう少し書かなきゃならないことがある」と書いた。
それは、たぶんあと数年で、広告費のメディア別分類、ということが無意味化する。もしくは分類が変わるだろう、ということですたい。
例えば日経新聞が電子版をいよいよ出す。紙との併存を考えた、それなりによくできた仕組みだけど、それでも紙との併存は時間の問題で無理だ。とは言え、売上規模が減っても、紙の印刷や販売のためのもろもろを諦めれば生き残れるかもしれない。
紙の新聞が無くなっても”日経”は広告費を稼げるだろう。・・・あれ?そうすると、日経電子版が稼いだ広告費は、新聞広告費なの?インターネット広告費なの?
ほぼ同じことが、他の新聞や雑誌でも起こる。どれもこれも、時間の問題で、ネットベースの媒体に移行する。iPadが出たにつけても、そうなるのは自明の理だ。
そうすると、新聞広告費とか雑誌広告費とか、そういう分類は無意味化するだろう、と。極端に言えば、広告費=インターネット広告費、になるわけだ。
ぜんぶインターネット。
すべてはインターネット。
ようするに、いま起こりつつあるのはそういうことなんだね。
あ、テレビ広告費は?うん、これはちょっと話がちがうよね。メディアのためのツールが、”ウィンドウ”に集約されていく中で、リビングルームのテレビモニターは、特別な存在として生き残るのだ。テレビと、PCと、ケータイと。そしてiPadとか、DSとか、PSPとか。インターネットにつながるあらゆるウィンドウ。それぞれがメディア、というより広告をのせる端末になるのだろう。
つまり、今後の広告費の分類は、テレビ広告費と、インターネット広告費の、ふたつになる。インターネット広告費は分類しはじめるとものすごく細かくなるってこと。
しかも!
テレビモニターがインターネットのウィンドウになる動きもすでに出てきている。そんなテレビの開発ははじまっているんだ。
そうすると・・・ほんとにぜんぶがインターネット広告費になっちゃう!
そうなったら、いったい何がどうなってどう展開するのだろう・・・わかるわきゃないよ!
坂本龍馬が唱えた新政府は、幕府を中心に諸侯が議論して物事を決めるものだった。実際に明治維新が起きたら、幕府そのものがなくなってしまった。龍馬でさえ、明治の世の中はイメージできなかったのだ。
そんなことが、メディアコンテンツの世界でいま、起ころうとしているのだね・・・
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記事を拝読しました。僕も仕事上よく思うのですが、「広告を打つ」ことに関してずいぶんと、敷居が低くなって選択肢も広がったと思います。インターネット普及以前は(あくまでも想像ですが)「広告」といったら、「大手・中堅企業」がいわゆる広告代理店を通じて「打つ」(マスメディアや大々的なイベントを通して「打つ」もの)もので、それ以外だと、チラシ・ローカル紙・雑誌にアナログ的に「載せる」ものに大別されていたのではないかと思っていました。それが、今では気軽に、インターネットを通じて中小企業でも広告を「打つ」ことができるようになり、その出来栄えやアイデアによっては大手・中堅企業をも凌ぐことができるようになったのだな、と感じました。映画にも通じるのかもしれないのですが、多額の制作費をかけなくても、アイデア次第で興行収入が稼げるようになったような、そんな時代が訪れたかのように思います。そんな企業を応援していきたいなと、記事を拝読して投稿させていただきました。