息苦しいのは、互いに首を絞めあっているからだ。

ikigurusii
大学時代、というのはぼくの場合もう30年も前の話だけど、キャンパスには政治セクトが跋扈していた。それらはほぼすべて左翼系で、ひところはけっこう過激な活動もしていたようだが、80年代にはそこそこ穏健な団体になっていた。彼らを通して、全共闘時代の学生運動の残り香のようなものを嗅ぎ取ることができた。でもそれはすでに”歴史”の一部であり、ああ、ああいう感じの活動が盛んだったんだなあと遺跡を見るように眺めていた。

それでも、彼らは立て看板にラディカルなメッセージを書いてはキャンパスのあちこちに立てかけて、存在感を示そうとしていた。そこに書かれた文字は”立て看文字”と呼ばれ独特の、めいっぱい血圧の高いゴシック体のような書体だった。書体からあふれかえる時代錯誤ぶりが面白かった。

立て看板は、政権が替わるたびに「打倒!○○政権!」などと書かれていた。「米帝の手先○○首相を粉砕!」というお決まりのパターンで、要するにどの政権でもまず批判するのだ。批判することが彼らのアイデンティティ。権力がいてそれに抗うことではじめて彼らの主張が成立する。そういう、結局それって主張なの?と疑問を呈したくなる主張を繰り返していた。普通の学生は、立て看を見てあきれ返ったり苦笑いを浮かべたりしつつ、その5メートル以内には近づかないように遠ざけていた。

政治セクトはそういう左翼なのだが、それとは別に、ある宗教団体の学生組織もひとつの勢力をなしていた。これが宗教団体なのに政治色も持っていて、旗印は反共。つまり、左翼系学生団体と主張が対立していた。彼らはよくキャンパスで揉めていた。

とくにハチマキやヘルメットなんかもまとわず、わりと普通に鈍くさい学生らしい格好をしているのだけど、ちょっとした小突きあいをして揉めたりした。左翼系の方が7〜8名で、3名ほどの反共宗教団体を取り囲み、「あー!君たちはいまぼくの腕をつかみましたね!」となにやら非難していた。押され気味の宗教団体側は追い込まれたもので苦し紛れに左翼系のひとりのメガネを奪ったりする。奪われた者は必要以上に大袈裟に「こら!メガネを返せ!みなさん、いまこの男が私のメガネを奪いました!彼は暴力を振るいました!」と非難する。周囲のぼくたちに訴えているのだ。メガネを奪った側は「いまもう、返したじゃないですか」と防戦。でも左翼系は「君は暴力を振るいました!学内から出ていってください!」と何の権限もないくせに息巻く。

そんな感じの小競り合いがけっこう起こっていた。でもまあ、暴力といってもこの程度なので大したことないのだ。見ているぼくたちは、なんてどうしようもないことかと冷めて見つめていた。

朝日新聞が従軍慰安婦報道や吉田調書報道について誤りを認めたり社長が謝罪会見を開いたりしたのには驚いた。ぼくの中で学生時代のひたすら反権力しか主張しない左翼系セクトたちと朝日新聞はつながって見えていた。30年前からずっと左翼系の言説に中身は感じられず、反権力という立ち位置以上でも以下でもないとしか見えなかった。権力を批判することのみに生き甲斐を感じている人たちだと思っていた。

朝日はそうした左翼的言論の象徴的存在だったが、どのマスメディアにも反権力アイデンティティを多かれ少なかれ感じていた。みんな弱者似寄り添い庶民の味方だという。でも結局、何が主張なのかわからない。いまいろんな番組にご意見番的に出てくる新聞社や通信社のOBのおじさんたちも、ぼくには朝日とそんなに変わらないようにしか見えない。日本のジャーナリズムを乱暴に括ると弱者に寄り添い反権力を標榜すること以上には何も言ってない人びとだったと思う。

その代表選手である朝日は絶対に非を認めない、はずだった。なのに謝ったことが驚きだった。そうせざるをえないくらい部数の減少に歯止めがかからないのだろう。

謝罪後に朝日新聞の記者達のツイートを追ってみると、真摯に反省し悩んだり改革を唱えたりする人が多くそこには救いを感じたが、何人かは驚くことに何を反省すべきかわかっておらず、相変わらず政治セクトと同じだなあと思った。反権力や弱者の味方に力点を置きすぎたことが誤った記事を生んだのに、「それでも反権力を」的なことを言ってるツイートを見てますます幻滅した。

そんな朝日に対し他のメディアが包囲網をしくようにタッグを組んで総攻撃している。どこかで見た風景だと思ったら、さっき書いたキャンパスでの左右団体の小競り合いだった。「みなさん!彼は暴力を振るいました!」とマヌケな主張をしていた学生と同じようにこぞって「みなさん!朝日はこんなことをしでかしました!」と世間に訴えている。

五十歩くらい譲ると週刊文春だけは声高に言うのも有りだとは思う。長年はっきり朝日と戦ってきたから。鬼の首をとったような気持ちになろうというものだろう。

でも総じて、くだらない小競り合いをしているだけで、朝日を非難すればするほど、”似たようなやつら”扱いされてしまうだろう。朝日は今回大きく信頼を失ったが、その朝日を非難する他のメディアも、喝采を浴びているわけではなく「そういうあんたもどうでもいいよ」と思われてしまうのに気づいた方がいい。

いまこの2014年という時に、新聞雑誌の紙をベースにしてきたジャーナリズムがいよいよ危うい状況になっている。雑誌をわざわざ書店で買う人は減り、新聞はとっていたとしてもスマホで読んじゃう人が増えている。それはメディアの信頼とはまったく別の、利便性の問題でそうなっている。そこに加えてくだらない小競り合いをしていると、一時的に部数が増えたとしても、やがて引かれる。もういいよ、あんたたち。勝手に揉めててよ。そう言われてしまうだろう。

そしてさらに広げて考えると、非難しあい小競り合いばかりしているのはメディアだけでなく、ぼくたちみんなだ。お互いのあら探しばかりして、少しでも見つけたら「あー!みなさん!この男はこんな失礼なこと書いてます!」と鬼の首をとったように指摘する。今日は非難する側だったが明日は非難される側になるかもしれない。そうやってぼくたちは、お互いに首を絞めあっているのだ。なーんだか最近息苦しいなあと思ったら、自分があいつの首を絞め、あいつが自分の首を絞めているからだ。

ネットが整い、ソーシャルが普及して、ぼくたちは何について何を言ってもいいしそれが見知らぬ人に届くこともあるようになった。そんな素晴らしく自由なはずの言論環境ができ上がって、ぼくたちがやっているのは罵り合いだ。30年前のキャンパスのセクトの連中や、朝日とそれを突き回すメディアと大して変わらない。その結果、自分自身の呼吸が息苦しくなっている。

ぼくたちはもっと建設的な議論ができるはずだ。罵り合いではなく、まっとうな主張を積み上げあうような、そこから新しい理念や制度が生まれるような場を、どうしたらつくれるのか。30年の不毛な議論のあとで、ぼくたちがめざすべきなのはそこだと思う。

FBpageTop
この記事と直接的には関係ないけど、建設的な議論の場にできないかと「赤ちゃんにやさしい国へ」Facebookページやってます

コピーライター/メディアコンサルタント
境 治
What can I do for you?
sakaiosamu62@gmail.com
@sakaiosamu
Follow at Facebook

[`evernote` not found]
Pocket

トラックバック用URL:

Facebookアカウントでもコメントできます!

コメント

  1. 大きな事柄には必ず、欠陥の一つくらいはある。
    それを針小棒大に大きく取り上げて打倒運動を展開する手法は普通に見られる。
    それが権力に向かっているときは、それほど脅威に感じないが、
    日本社会は、それが時に、標準から外れた人々を吊るし上げる方向にも作用する。
    そういった時、日本社会は恐ろしく獰猛に牙を剥く。
    例えば、生活保護で苦しい生活をしている人々が、少々の横着でもすれば、
    「それ見たことか、貧乏人はすべて犯罪者だ」となったりする。
    例えば、チップをばら撒くような生活をしている者にとっては、警察は秘書かもしれないが、
    生活のためにグレーゾーンの中でさまよっている貧乏人にとっては、警察は恐ろしい圧政者だ。
    冷静に、利点と欠陥を比べて、どちらが大きいか判断する観点は少ない。

  2. I’m talkin’bout this comments in japanese. はじめまして普段は英語で書いていますが日本語で書きます。岩崎さんFacebookの友達の項で書いたcommentsを若干変化させてここに書かせてもらいます。あしからず。先にお礼を言わせていただきます。ここに書いてある貴兄の意見にも一理はあります。全面的に否定をしている訳でもありませんからその点了承下さい。小生意見「現実の社会ではそうせざるも行かない所もあると思います。綺麗事ばかりではこの世の中渡って行けないと思います。理想と現実の狭間で葛藤する所が人間社会なんだと思います。それはそれで仕方がないと思います。人間にはそれぞれいろいろな違った考え方があると思います。すべて同じ思考ならまったくつまらない世界になると思います。道理に反する反しない(善悪、別に悪いことをしろとかではありません)ところが人間味の面白い所だと思います。確かに下らない意見より高潔な議論といわれる由縁ですが、下らない意見からもいろいろな見聞も出来ると思います」貴兄が述べていた朝日の意見にはこちらも賛成の意見が多々多いです。実は親族が米国日系でLA,NYC,Kansas ,NJ TX に住んでいますし、小生も海外生活が長いので。今回の朝日の意図的な慰安婦捏造、歴史歪曲にはわれわれとしては許すじますの心境です。慰安婦問題だけでなく朝日は多々偽善的な記事が多いのを以前から指摘しています。でも彼らは一向に認めなかったようですし、今回の陳謝も朝日の読者に対してで国民、国際社会には深謝していません。このことは貴兄もご存知だと思います。だからといって強く非難する訳ではありません。大学の内容に関しても小生は日本の大学の事情を分かりません。こういう事実があったことがあるんだに留めて置くだけです。これって日本独特の物じゃないかと思います。先日韓国の朴大統領がFbで慰安婦像の件で日本を非難する意見を述べていました国連で演説する4日前くらいですので反論しました。日本の4流外務省や政治屋さんは意見を述べないのでまったく情けないです。国内向けの意見で国際社会に発言していないんです。彼女はおそらく国連では日本を名指さなかったと思います。Fb friendの彼女岩崎さんは素敵な女性です。小生も好きな女性です(笑)でも彼女から言わせると小生の意見は建設的でない批判巻いていると言われちゃいました(笑)美女から言われるとがっくり来ちゃいますから(笑)建設的な意見といわれると皆結構日本人は言わないと思います。少し偏見かなあ(笑)

    1. inoueさん、コメントありがとうございます。
      でも、もう少し落ち着いて整理して文章を書かないと、何がなんだかわかりません。建設的かどうかの前に、これでは議論そのものにならないですよ。
      岩崎さんってたぶん、あの岩崎さんなんだろうし、確かに彼女は素敵ですが、ただ”岩崎さん”と名前出してもなんかわかんないですよね。(^_^;)

  3. わざわざ返事ありがとうございます。岩崎さんと言われても分からないとは困惑してしまいそうです(笑)実は彼女からFbの岩崎といえば分かる様な事を言われその様に書きました。申し訳ありません。この文章の一端は貴兄の書いた「息苦しいのは・・・」の小生の意見なのです。ネットの世界では顔が見えないだけに非難中傷は言うにたやすくいかにも当たり前の世界というか仕方がない一面があると思います。ネット世界のルールなんてあってもないに等しい。ただ非難中傷していた人も互いに向きあった場合は非難中傷もネットで行うより言いにくい存在じゃないかと思うんです。ご存知のように朝日新聞に対する中傷非難はいまやネット世界では当たり前のようににぎわっています。非難中傷でなく建設的な意見といわれる由縁ならまず朝日に関しては廃刊廃業すべきだと思います。すなわちmediaの原点ある記事を正しく正確に嘘偽りなく伝える原点を忘れてしまっているのではないかと思います。貴兄が書いた「謝罪後に・・・・」同感です。ただ社長会見での一部の担当部署を更迭するだけのトカゲの尻尾きりに関しては失望感が芽生えてきています。あの謝罪は読者に対してで一般国民や国際社会への謝罪ではないんですね。だからと言って貴兄の言われるように非難小競り合いしてばかりいては確かに息苦しいと思うのは承知していますが、世の中そう言った物から新たな何かを生み出すのではないかというので昨日「現実の社会では・・・・見聞も出来ると思います」と書いたのです。読みにくい様子で申し訳ありません。

    1. inoueさん、やっぱりよくわからないです。あなたの文章は、ひとつひとつの文で言っていることはよーくわかるのですが、前の文章と次の文章のつながりがまったく見えないのです。そのため、全体として何を伝えたいのかまったくわかりません。

      この長い文章で結局言いたいことは何でしょう?いちばん言いたいことをひとつの文で書いてみませんか?

  4. 読みづらくしてすみません。本当は非難・中傷の中からもいろいろな発想が生まれるのでは言うこと言いたかったのです。だから「」内だけでよかったのかなあと思っています。我々日系および親族にとっては朝日に対して許せない一面があるんです。それを了承ください。

  5. なるほど、そういうことが言いたかったんですね!よくわかりました。そして、一理あるご意見だと思います。書く時に、非難がすべてダメだってわけでもないかなと悩みつつ文章にしたので。それと、元のブログにも書いたように朝日の中には何を反省すべきかまるでわかってない人もいるようなので、批判も必要かな?とも思っていました。

    おっしゃること、よくわかりましたし、くみ取るべき点があると思います。

    一方で、inoueさんの最初の書き込みを読んでイラッとしました、ものすごく。それは、長々と何を言いたいのかわからないけど批判したいらしいことだけはわかったからです。何を言いたいかわかれば受け止めますし、議論もできると思います。わからないけど批判はされたらしい。これがものすごく不快感を起こしました。

    ひょっとしたらね、不毛な議論の多くは、そんなことから起こるんじゃないでしょうか。inoueさんも最初から簡潔に書いてくだされば、ぼくはイラッとしなかったのかもしれません。以降、お気に留めていただければと思います。

kazushi inoue へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です