7月に出版した『テレビは生き残れるのか』については、いろんな反響があった。初期の段階での反応は、一カ月前の「『テレビは生き残れるのか』ここまでの反応とか」という記事に書いた。その後もいろんな方にいろんな反応をいただいた。
ついこないだもTwitterで「読みました」とのReplyをいただいて、アカウントを見たら浜口倫太郎さん(@rinntarounao)という放送作家で小説家でもある方だった。『アゲイン』というポプラ小説大賞で特別賞に輝いた小説を書かれたそうだ。
その浜口さんが、ご自分のブログ「作家りんたろうの教えて!透明先生」で、ぼくの本について書いてくださっていた。タイトルはそのものズバリ「テレビは生き残れるのか」。光栄だなあ。
そこで浜口さんが・・・
この本はテレビ論として書かれているが、
裏テーマとして、
クリエイターは生き残れるのか、
という視点でも描かれている。
と書いていた。ああ、こういう受け止め方はうれしいなあ。
ぶっちゃけ、ぼくがいちばん読んで欲しかったのが、テレビなど映像制作や、広告制作などのクリエイティブを生業とする人たちだった。みんな、危機感持たなきゃまずいぜ!そう呼びかけたかったのだ。
浜口さんもどうやらぼくと同じような気持ち、「みんなこのままじゃまずいぜ!」と呼びかけたい気持ちがあったんじゃないかな。だから、ぼくの意図をかなり正確に受けとめてくれている。
そもそもぼくは93年にフリーランスになって以来、なんかおれたち、ビジネスになってなくね?という疑問を持ち続けてきた。意識が高かったというより、あのタイミングで、つまり80年代のコピーライターブームが去ってからフリーランスになったからだと思う。コピーライターの先輩たちは、もっと広くいえばクリエイティブ業界の先輩たちは、ぼくたちが生きていける環境を開拓してくれた。それはすごくありがたかった。(と、あとで気づいたんだけど)
でも同時に、お金のことはとやかく言わない職人意識も築いていた。80年代はそれでよかったんだろうね。なーにしろ、ぐいぐい業界が伸びていた。輝いていたから。とりあえず打席に立ってバットを振れば何らかヒットにはなって世間がワーキャー言ってくれて、どかんとギャラが入ってきた。
90年代になるとビミョーに状況は変わっていて、「どかんと」ではなくなっていた。だからぼくは疑問に感じた。なんで最初にギャラの話にならないんだ?でもぼくも「職人意識」にうっすら染まっていたので、自分から言い出しにくくはあった。
そしてそれでも90年代は思い返せばいまよりずーっと余裕があったから、「どかんと」でなくても、わりといいギャラが支払われていた。もしぼくが、いま30才くらいでフリーランスになっていたら、あの頃ほど稼げなかったんじゃないかな。
どうしてクリエイティブな世界はビジネスっぽくないんだ?そんな疑問をずーっと抱いて、いろいろ考えたり見聞きしたり、しながら生きてきた。簡単に言うとクリエイティブそのものの経済価値は認められていなくて、媒体価値しか重んじられていない。それがすべての根源だった。そこに尽きる話だった。
その上いま、その媒体価値さえ値崩れみたいな状況になりはじめている。この傾向はゆっくり、でも確実にまだまだ進むのだ。
既存メディアの経済価値が完全に崩壊する前に、クリエイティブそのものの、コンテンツそのものの経済価値をつけなければならない。はっきりさせなければならない。いままであやふやだった、創造活動の価格体系を。
そんな思いの結晶が『テレビは生き残れるのか』だというつもりだ。ただ、あそこにはヒントや方向性は書かれているけど、答えは書いていない。だって、まだよく、わかんないんだもん。
でもとにかく、そういう問題意識が、このソーシャル空間で寄り合わさっていけば、道筋が見えてくるんじゃないかな。そう、思いませんかい?
関連記事