22日開催の「第一回・リアル境塾」まで、あと一週間。みんなと打合せしたりしたよ。
最初に軽くぼくから、「境塾」ができる経緯を説明し、佐々木さんに入ってもらってミドルメディアについてお話をうかがう。ミドルメディアの定義から入り、そこでのビジネスの可能性、そして民主政治とミドルメディア、なんていう話もしたい。ほうら、面白そうだ!
ところでこないだ、Googleのクラウド上にコンテンツを預けるサービスについて書いた。「3スクリーン+クラウド」というタイトルだったね。これを書きながら、ぼくは少し前にも同じようなことを書いた気がするなあと思っていた。あとで思い出した。
去年の11月に「所有することの価値が変わっていくのかもしれない」という記事を書いていた。Macが壊れて修理した時、MobileMeにデータを置いてあったのでよかったぜ、ということから考えたのだった。
そのあと東日本大震災が起きて、その感覚が加速した。
あの震災にたったひとつだけ良かった点が(逆説的ながら)あるとしたら、それまで薄々感じていたことに、向かっていくスピードが思い切り加速した、ってとこかもしれない。
クラウドから派生したことで言うと、ぼくたちはもう所有することに価値を感じなくなった。むしろ面倒で煩わしいことだとも受け止めるようになった。
ステイタスの象徴だったクルマを、個人で持つのがものすごく馬鹿げたことに思えてきた。カーシェアリングは合理的で正しいねと本気で言うようになった。
音楽や映像コンテンツをパッケージで持ちたいとはもはや思わない。数が増え過ぎたからだと思う。
高校・大学の頃は、クラプトンやストーンズなど大好きなミュージシャンがアルバムを出すと、発売日にお店に飛んでいって争うように買った。それは、ロックミュージックの数がまだまだ少なかったからだ。ストーンズのニューアルバムはいまよりずっと希少価値があったのだ。「やっと出たぜ!」と思えたのだ。
でもそれから三十年ぐらい経って、もはや素晴らしいロックミュージックは山ほどある。星の数ほどある。日本にだって素晴らしいミュージシャンがいっぱいいてたくさんの音楽を生み出している。
ぼくが高校生の頃、ギターが上手い少年だった。それは、その頃の日本でギターが弾ける人間の数がいまよりもずっと少なかったからだ。たぶん何万人かだったんじゃないかな。
いまはギターが弾ける人間の数は何百万人もいるだろう。ぼくより上手に弾ける20代の若者なんかものすごい数いるだろう。
昔は、ほんの数十年前だけど、昔は、コンテンツの数がいまよりずーっと少なかった。だから”所有”したかった。
いまは、”所有”して喜んでいる場合じゃないのだ。そんな余裕はない。所有するヒマがあったら、どんどん次のコンテンツを消化しないといけない。コンテンツは洪水のように毎日押し寄せてくるのだから。映画をDVDで所有する時間があったら、Facebookで教えてもらったYouTubeの話題の映像を見ておいた方がいい。
だからコンテンツは、クラウドの中でふわふわと浮遊する存在になっていく。
という話もミドルメディアと関係してくると思うのだけど、そこはまだ整理できないからそのうち書くよ・・・
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