【メディアコンテンツ業界への警鐘】リスクヘッジを日常感覚に

パラダイムシフトをおこそうという時、リスクヘッジ感覚が必要になる。

旧パラダイムでビジネスをしている時、まあ何がどうなったら何がどうなるかはだいたいわかっているものだ。だから、リスクは読みやすい。というか、リスクってほどのリスクはない。

パラダイムシフトの過渡期では、何がどうなるかはこれまでの常識では計れない。だから、いままでよりリスクに敏感にならなければならないのだ。

もうひとつ。

これまでのいろんな業界は、リスクを受けとめる仕組みがあった。だいたい、どの業界も元締めがいた。元締めはだいたい、大きな事業体だ。だから、リスクを呑み込みやすい。元締めから受注する下請け企業は、だからリスクヘッジを元締めに託すことができた。

メディアコンテンツ業界で言えば、大手メディア企業や大手代理店が”元締め”にあたる。下請け企業は、困ったことは(とくに金銭的なリスクは)メディア企業や代理店におんぶできた。だからリスクヘッジ感覚をあまり持つ必要がなかった。

これからは、ちがうんだぜ。大手メディアや代理店がリスクを呑み込んでなんかくれない。あるいは、彼らが関与しないビジネスが増えてくる。いままでの下請け企業が自ら自律的にビジネスを執り行う傾向が強まる。

それは雄々しく、勇気が奮い立つ現象だけれども、自律的にビジネスしていくってことは、自らリスクも負いましょう、ということでもある。そりゃヘッジしなきゃね。

え?なんだか怖いって?うーん、でもね。ほんとうは、生きるということは、リスクと常に向き合う、ってことなんだよ。業界構造がしっかり固まっていたから、リスクに目を向けなくても生きてこれた。そんな悠長な時代が長く続いてきちゃったってことだ。雄々しく生きるということは、何かが起こったら自分で引受けなければならないということだ。

山を歩けば蛇に噛まれることもある。海を行けばサメに襲われる可能性もある。それが生きるということ。あっち行ったら蛇が出ちゃうかな?こっちを進むとサメがいるかもしれないぞ。そうなったら、どうしようか。こうすればいいんだ。そんなことを常日ごろ考えながら、それでも未開の地を進まねばならない。それは当たり前のことなんだ。

びくびくしながら、それでもぐいぐい前へ進んでいく。そうやって新しいパラダイムが定着していくのだろう・・・

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