高度成長期前夜の昭和30年代の話なんだけどね。あ、その『官僚たちの夏』の舞台が。”風越”の行動原理は、繊維産業だの自動車産業だの、コンピュータ産業だのを外圧から守ろう、というもの。当時はまだ、それぞれの産業が黎明期だったから、欧米の企業が日本市場に進出してきたら日本のそれぞれの産業が発展できなくなってしまう、というのが彼の信念なのだ。
それはそれで当時として正しかったのかもしれない。その辺は正直、よくわからないけど、”風越”のモデルとなった佐橋氏が、当時二輪車メーカーだったホンダの四輪進出に待ったをかけたのは有名な話だ。佐橋氏の姿勢はヘタをすると、「日本の産業界は国が守ってやってるのだからわしらの言う通りやればいいのだ」とも受け取れる。ホンダのようなメーカーの自由な発展を阻害した存在だったとも言える。
佐橋氏(=風越)が正しいかどうかはまあ、置いておこう。だがそうやって、時にはぶつかり合いながらも産業界と行政が培ってきたものがいま、崩壊しようとしているのだ。それが我がメディアコンテンツ業界にも押しよせている、それがこの2009年というものなんだろうと思う。
結局、そうやって”高度成長”は達成したけど、そのあとの青写真を誰も描けないでバブル後10年以上すぎて、いまに至っているわけ。ということは、”日本はもう成長しない”という前提ですべてを考えはじめないといけないということ。
“もう成長しない”というのが暗すぎなら、”もういままでのような成長はありえない”と言い換えよう。
つまり、自動車や電化製品を大量に生産したら大量に売れる、という成長はもうないんだ。
だから、大量に生産したら大量に広告を打って大量に売る、というモデルは我々の世界には二度とやって来ない。ぼくたちは、そういう前提に立って物事を考えはじめないといけないんだ。
加えて言えば、ぼくたちは”団塊の世代の成功事例”を追いかけてはいけない。”大量に生産して大量に広告を打つ”時代のメディア業界を開拓してきたのが彼らだ。だから”彼らのやり方”はもう通用しないということ。
彼らが開拓してきたすべてのメソッドやノウハウ、職能、仕事観、といったことを、ぼくたちは引いた目で見ないといけない。
ところがこれがなかなか大変だ。団塊の世代以降のすべての世代は、団塊の世代がつくった職業観を追いかけてきたのだから。広告クリエイティブの世界で言えば、立派な実績を積み重ねて賞をいっぱいとって、クリエイティブディレクターになる、というキャリア感覚はもう死んだと思っていい。
もっと別なキャリアプランを考えようぜ。あるってば。見えるってば。難しいけど、ね。
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