田母神さんが書いた論文を直接読んではいないけど、かなり無茶苦茶な内容ではあるらしい。張作霖事件も、蘆溝橋事件も、日本軍以外の陰謀だとか、日本を日米開戦に追い込んだ”ハル・ノート”はコミンテルンの策略だとか。どれもこれも、極端な価値観で書かれた推測の域を出ない論者の文章をベースにしている。
こうした極端な変な右翼的言説は、けっこうネット上で若いブロガーが書き飛ばしているのと似ている。国の成長性が失われたので、”日本は実は悪くなかった”と主張して自分自身にハリボテの自信をまとおうという心性の発露だ。
まあ、田母神さんの主張の内容は置いといて、問題は政府の対応だ。
問題が発覚したらちょうど定年になったもんで、定年退職させちゃった。
そしたら今日、国会に呼ばれた。でも今や彼はただの民間人だ。もはや何を言ってもペナルティを与えられない。だから好き放題しゃべっちゃった。その痛快さにエールを送りたくなった人は多いだろう。
定年退職にしちゃったら、彼の責任を問えなくなったわけだ。
その意思決定が大きな問題だったのだ。
ポイントは、後先を考えなかったこと。うわ、なんか問題になっちゃった。どうしよう。え?ちょうど定年?じゃあ、とっとと退職させちゃえーい!・・・うろたえたあげく、ものすごくまちがった意思決定をしてしまったわけだ。
「定年退職にしないと、辞めさせるのにものすごく時間がかかるので、定年退職にした」と政府は言い訳している。この言い訳自体が、また目茶苦茶だ。ルール無視だ。時間がかかろうがかかるまいが、この場合はきちんと彼の責任を吟味すべきだった。降格にしたら定年が下がるから、降格させちゃえ定年退職させちゃえ。あー、問題児がいなくなった。これで責任逃れができる。そう考えての判断で、責任を問われているのだ。
なぜ、想像しなかったのだろう。これで強引な理屈で定年退職にしたら、そのあと、どんな展開があるのか。世間はどう反応するのか。
冷静に想像すれば、いくつかのシナリオが読めてきたはずだ。最悪の場合、民間人の状態で責任を問われることなく好き放題発言しちゃうぞ、という想像はできたはずじゃない?
退職金を返納させるとか言ってるけど、これもまた目茶苦茶だ。責任を何も明確にせずただ定年退職させといて、いまさら退職金を返せなんて、ぜんぜん理屈に合わない。これも、退職金満額払ったら世間がなんか言うかも、と想像できてなかった。でも、ちょっと考えたら想像できた。
意思決定では、想像力が問われる。という話を書いていくよ。これから。
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