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コピーライター→映像製作会社ロボット→広告代理店ビデオプロモーション→再びコピーライター(フリーランス)。 メディアとコンテンツの未来を切り拓くコミュニケーションをデザインします。講演・執筆依頼もお気軽に!

興行収入は作り手にどう還元されるか〜日本映画産業論その1〜

さて、日本映画産業論と銘打ったからには、映画の話を中心に書いていくよ。でも、映画の話は他のすべてのコンテンツ産業とかなりからみあっているんだ。

で、ここで問題です。興行収入はどう還元されるか。例えば、興行収入20億円の作品があったとしよう。この20億円は、どう分配されるのかって話だよ。

20億円のうち、約半分は興行側、つまり劇場がとるんだぜ。ああそうですか、って思うだろうけど、小売りマージンが50%ってビジネスもそうそうないんじゃないかな。でも劇場は投資額が普通の小売業とは全然ちがって大きいから仕方ないかもしれない。実際、たくさんできたシネコンもここへ来て運営は厳しいらしいよ。やや過当競争になってきたし。

約半分は興行側がとると書いたけど、”約”ってのは、ちょうど半分ではないから。もう少し詳しく書くと、配給会社や作品によって半分じゃなかったりもする。配給会社が、次々にお客さんをよべそうな作品を提供してくれるなら、半分以下ってこともある。反対に、いつもあんまりお客さんを呼べないねえ、きみ、という配給会社だと、半分以上とらせてもらうよ、ってことにもなる。

ここは何しろビジネスだよ取引だよ、ということで、いわゆるひとつの”力関係”で取り分が決まるってわけ。これはまあ、どの産業でもそんなもんだろうよ。

さていま、配給会社と劇場側の関係で決まる、てなことを書いた。そう、配給会社なんだね、ここで劇場と交渉するのは。普通の商品で言うと”卸す”役割を配給会社がになう。配給会社はメーカーだと捉えれば、メーカーと小売りの関係と同じだとも言える。

話が長くなっちゃった。だから、20億円の興行収入は、劇場側が10億とるので、残りは10億だね。それが配給会社に渡るわけ。

配給会社は配給手数料をとる。30%から40%ぐらいだと言われている。これも、配給会社の力や姿勢でちがってくる。まあここでは30%だとしましょう。そうすると3億とることになるので、残りは7億だ。

それから、ここでA&P料を差引かれる。は?A&Pって何なのよ?

AはAdvertisementつまり、宣伝費だ。Pの方はPrint料つまり映画フィルムをコピーする費用。映画はマザーにあたるフィルムをプリントしてつまり複製して全国の映画館に送り届ける。それによってあなたの町の映画館でも上映されるわけ。

このA&P料はいくらぐらいだろう。これはケースバイケースだ。もちろん、あらかじめその映画に関わる人びとの間で「今回の作品はA&Pで○○億ぐらいは必要ですね」と共有はされている。AもPも配給会社の業務領域なので彼らが立て替えてたりする。それが差引かれる。

相当大ざっぱに、この作品のA&Pは2億円としておこう。20億のヒットになるような作品だと2億じゃ済まないんだけど、そんなこと言ってたらキリがないので2億としちゃう。

それでいくら残る?うーんと、さっき7億円だったから2億円差引くと5億円になるね。

あれ?最初は20億円だったのに、5億円になっちゃった。4分の1だよ。まあ、でもいいや、5億円も残ったぞバンザーイ。この5億円は”製作委員会”に戻ってくる。製作委員会はテレビ局とか出版社とか制作会社とか、もちろん配給会社も加わっている、言ってみればジョイントベンチャーだ。その複数社の委員会に5億円が戻ってきた。うれしいねえ!

おいおい、ちょっと待てよ。製作費はどうなってたっけ?えーっと、ああそうだ、5億円かかってたんだっけ・・・・あれ?

製作委員会に戻ってきたのが5億円。製作費は5億円。てことは、戻ってきて儲かったんじゃなくて、製作費分の元をとったってだけかよ、なんじゃそりゃ!

ここでもう一度整理しよう。興行収入20億円ー劇場10億円ー配給手数料3億円ーA&P料2億円=5億円

でもって、5億円ー製作費5億円=0円

うーん、日本映画で20億円といえば大ヒットなのに、最後は0円になっちゃうの?

知ってる人は知っての通り、実際にはこのあとDVDが出た時に利益が出るので、それではじめて”儲かった”ってことになる。

ここまで長くなっちゃったので、続きは次回。次は今週中に更新するよ。

とにかく、上で書いた構造というか計算方法というか考え方というか、今後の話の中で重要になるので憶えておいてね。そこには日本映画の問題の原点が潜んでいるから。暗記しとけよ。試験に出るぞ!

NHKチャイナパワー電影革命のショック〜日本映画産業論その0〜

番組を見て驚いた。中国は国策として文化産業を奨励しはじめたのだそうだ。その動きに添って、中国映画人たちが北京に集結している。製作費25億円の大作が製作されているというのだ。

ほんの少し前まで、中国は映画市場になるかという話になると、あんなとこ入場料も安いし海賊版が出まわるし、出て行っても損するだけだ。そんなことをみんな言っていた。きっとこの番組を見てみんな考えを変えたにちがいない。しまった!出遅れちまった!

中国が映画に本気になったら、世界が巻き込まれるかもしれない。

まず香港映画の存在がある。香港はジャッキー・チェンだジョン・ウーだと、世界的な映画人を育てた。そして彼らは世界市場に旅立った。具体的にはハリウッドに進出した。そこで大作の資金集めだ世界市場の人脈づくりだマーケティングだと、いろいろ学んだ。そんな人材がこぞって北京に集まっている。彼らのノウハウは大きい。世界を相手にできる経験値を積んできたのだから。中国映画が世界を席巻する土壌を、香港がつくってきたのだ。

中国映画が世界を相手にできるのは、各国に散った華僑の存在も大きいだろう。中国文化を題材にした作品を、受け入れる土壌が各地にあるのだ。少なくとも、アジア圏を制覇するのは他の国よりたやすいのではないか。

そして何と言っても13億という人口。そのうちの3分の1が中産階級となって映画館に通いはじめたらどえらいことになる。3分の1で3億人強だ。

産業の興隆を考える上で、人口の要素は大きい。

実は、日本の強さにとっても人口は大きな要素だった。ぼくたちは日本について、東洋の外れの小国だ、という認識を持ちがちだ。だが1億2千万人というのは、人口で言えば大国だったのだ。中国=13億、インド=11億、アメリカ=3億、インドネシア=2億強、ブラジル=2億弱。パキスタン、バングラディシュ、ナイジェリア、ロシアときて10番目が日本だ。人口が多い国の大半がこれまでの発展途上国だった。イギリスやフランス、イタリアが6千万、ドイツが8千万。

日本が世界第二のGDPだってのも、人口が多いってことが大きい。もっとも、今年中に中国に抜かれるらしいけどね。

この人口の問題はメディアコンテンツ産業について考える上でもすごく大きいので、覚えておいてちょうだいな。

話を戻そう。中国が経済成長を果たし、文化産業を国策として力を入れはじめた。13億人の何割かが映画館によく行くようになったらほんとにどえらいことだ。まず国内市場だけで世界最大になっちゃうかもしれないのだ。そしてその上、先に書いたように国の後押しと華僑ネットワークでアジアにぐいぐい手を広げていったら。ハリウッドもたじたじの存在になる可能性が大いにあるじゃないか。

ということで、これからしばらく、メディアコンテンツ業界の中の、日本の映画産業に絞って書き進めよう。日本映画は今後どうなるのか。いやその前に、どうして日本映画はいまのような状態になったのか。そこには、日本のメディアコンテンツ産業が独特の進化を遂げてしまったプロセスも隠されている。

実は、日本のコンテンツ産業は相当イビツであり、その原因は映画界とテレビ界の関係にあるんだよ・・・これ、なかなか語れる人間いないからね・・・

例えば3D映像はクリエイティブデフレを抑止できるか

でね、3D映画を観に行ったんだ。『クリスマス・キャロル』by ロバート・ゼメキス。中二の息子と小五の娘を誘ったら、めずらしく二人ともノってくれた。でも決して「うん、行く!行きたい!」と強く反応したわけじゃない。「まあ、パパが行きたいならつきあうけどー」って感じ。

3D映画はいま、映画興行界の救い主かも、ってんで注目だ。今年は3D作品が多いので、映画館側はデジタルプロジェクターをかなり導入した。3D映画が、映画館のデジタル化をかなり引っ張ったらしい。

3Dなんて邪道だよ。そんなことを言ってのける映画ファンは多いだろう。

でも、映画は文化で芸術だとカッコつける前に、そもそも映画は出発点が”見せ物”なんだぜ。

映画の原理はエジソンの発明だけど、”大きなスクリーンで大勢の人を前に動画を見せる”といういまの映画興行の形態を発明したのは、フランスのリュミエール兄弟だ。

彼らが史上はじめてスクリーンで映し出したのは、蒸気機関車が力強く動く映像だった。それを観た観客は、機関車に轢かれるう〜とパニックになったという。映画はそもそも、そんな形ではじまった。いまで言うSFXを最初に開発したのはメリエスで、彼は史上初の職業映画監督だと言われる。そして彼の前身は、手品師だ。

そんな”もともとは見せ物だろ”な映画にとって、さらに見せ物パワーを増強する3Dは、新たな市場を開拓するかもしれない。

このところ書いてきたクリエイティブデフレを克服する可能性が3D映画にはある、とちょっと思ったんだ。だって3D映像こそ、シロウトには撮れない映像だから。映画監督と、You Tubeに動画をアップするアマチュアを明確に分けるファクターになるのかもしれないじゃない。

3Dの世界はテレビモニターでもはじまっている。専用の受像機が開発され、実際に売っていたりもする。数十年後には、映画館でも家庭のテレビでも3Dが標準になるのかも。

さて『クリスマス・キャロル』を見終わったわが家の感想は・・・つかれる・・・

疲れるんだよ、3D映像って。かなり、ものすごく、疲れる。そのわりに、特別な映像っていうほどの驚きや魅力はない。こんなに疲れるのなら、普通版でじっくり見た方がいいよ。ぼくもだけど、息子も娘も同感だった。

3D映画の潮流は、主流にはならない、とぼくは思う。昔より技術は進歩したし、『クリスマス・キャロル』のようなCG作品に馴染みはいいけど、映画館すべてが3Dになるのはありえないだろう。そういう作品もあってもいいかもね、という程度。

映像という表現形態は、進化完了、ということかもしれない。映像に限らず、リュミエールが開発したような”大勢の人を一度に楽しませる”という形態が、ってことじゃないか。

この問題は、もっと掘る。掘ると、深そうだけど・・・

メディアの選択肢が増えるとデフレが起こる・カッコ仮説

メディアがデフレでクリエイティブもデフレだ~、ということを書いている。その真相に迫りたいと、いろいろ頭をめぐらせてみた。うーん、こういうことなんでねえ?と思えるモデル図をつくってみたぞ。インターネット登場時に、集中と拡散が同時に起こる、と言う人がいた。それがヒントなんだけどね・・・


まずその、集中と拡散が同時に起こる、という説。これ、いわゆるロングテール現象のひとつの解釈なんだよね。

上の図の左と真ん中を見比べてほしい。左側は、”選択肢が限られている場合”のモデル。競争的ではあるけれど、選択肢が少ないと、こうなる。例えばいままでの映像コンテンツはこうだった。テレビ番組の視聴率がとれない!と言っても、5%の視聴率は何百万人も視聴していた。視聴率トップの番組とビリの番組の差は大した事無く、こういう普通のピラミッド状態になる。

選択肢が増えると、真ん中の感じになる。集中するコンテンツにどんどん集中していく。ダメなものはいままでよりもっとダメになり差が開く。映画で言うと、シネコン時代になってこんな感じになった。興行される映画の本数が増える。すそ野が広がる。で、いわゆるメガヒットが登場したりする。メガヒット作品はいままでの興行収入をびっくりするくらい超える数字をたたき出す。

と、まあ、ここまではけっこういろんな人が言っていたことね。

で、ここからが本日のポイント。選択肢がさらにどんどん増えると、右の状態になる。裾野はさらに広がる(仮説)。いわゆるロングテールがどんどん伸びる(仮説)。その一方で、ランキングのトップの頂上はいままでよりむしろ下がる(仮説)。

あくまでカッコ仮説なんだけど、メディアのデフレ、クリエイティブのデフレ、ってのは、こういうことなんじゃないだろうか。

選択肢が増えると、規模が小さなプレイヤーでもチャンスが増える。『やわらか戦車』のようなアマチュアだった人の作品が、ある日とつぜん、人びとの目に留まるようになる。

一方で、メガヒットは出てこなくなる。メジャーなプレイヤーもあまりヒットを出せなくなる。あるいは、ランキングトップをとってもいままでほどのヒットではなくなる。

そういうことがいま、起こっているのだと思うんだ。

映画で言えば、世界的メガヒットは『ハリーポッター』でおしまいなんじゃないか。B’zやミスチルみたいなメガヒットミュージシャンはもう登場しないんじゃないか。旬のイケメン俳優が主演するテレビドラマも視聴率30%なんてこの先、ありえないんじゃないか。

いままで、左のピラミッド構造の中で5番手6番手ぐらいのポジションだったプレイヤーは生きていけなくなるんじゃないか。1番手2番手のプレイヤーも、それまでの1番手2番手が勝ち得た数字は絶対に越えられないんじゃないか。

ただとにかく、いままでのメディア構造だと世の中とアクセスすらできなかった人たちが、とにかくロングテール上で活動はできるし、ふとしたはずみで1番手2番手に躍り出たりする可能性が増えるんじゃないか。

これがクリエイティブデフレの正体。その背景なんだと思う。・・・いまいち根拠が薄いんだけど、言われてみると、そんな感じしてこない?・・・

業界デフレ〜テレビ局・代理店上期決算出揃う

はい、見てください。数字も読めますか?

どこもかしこも、マイナスだらけ。暗くなるねー。

少し注釈を加えると、フジとTBSは”HD”ってなってるね。この二つのテレビ局はえーっと、認定放送持株会社の制度ができて、それを導入して持株会社を上に置いた企業統合をしている。これについてはそのうち別で書くので、いま知りたい人は自分で調べてみて。

さてこの表をよーく見てみると、ありゃ?ということに気づく。日本テレビとテレビ東京は売上高が10%以上減ったのに、営業利益はかなりプラスになっているね。これはいったいどういうことか?

がんばったからだ。いや大ざっぱな言い方だけど、ほんとにそうなんだと思う。つまりあらゆるコストを下げたんだよ。

きっと、タクシーなんか乗るな、とか、電気はこまめに消せ、とか、ボーナスはこんぐらいね、とか、いろんなコストを涙を流しながら下げたんだ。いままで、そういうことは真面目なメーカーさんがやることでしょ、ぼくたちギョーカイ人はそんなせせこましいことしないんだ、という感じだったはずのテレビ局が、涙ぐましい努力をこの一年した。その成果がこの数字ってことなんだろう。

そしてね、ここからがポイント。番組制作費もぐいぐい下げたんだ。そして番組の多くはいろんな外部の会社に発注して制作している。その発注額も大きく減らしていっただろう。

ここで、元請けだ下請けだ、とかいう話をするつもりはない。どこだってやることだ。テレビ業界だって起こりえた話。それがドカンとやって来た。

ここにも、クリエイティブデフレ現象が具現化しているわけだ。ついでに言うともちろん、電通や博報堂が売上も利益も減らした。ということは、広告制作の分野でも”ごめんね、今度の制作費、いままでより減らしてね”みたいなことが、外部の制作会社に対してものすごくたくさん巻き起こっただろう。

同じようなことは、新聞や雑誌やラジオという、他のマスメディアでも起こったはずだ。マスメディアから制作を依頼されていたクリエイターはみんながみんな、”ごめんね、減らしてね”の洗礼を受けたにちがいない。

マスメディアに支払われる巨額の広告媒体費。そのおこぼれでクリエイティブは生きてきた。食ってきた。それが去年からものすごいデフレ洪水に見舞われている。

コンテンツがメディアより優位になる、なんて夢のようなこと言ってる場合じゃないんだ。その前に現実が押しよせてきている。これを乗りきれないと、優位もへったくれもないってことだ。

どうする?あなたは。ぼくは・・・

メディアのデフレ、クリエイティブのデフレ

クリエイティブのデフレ、って何のことかと言うとね。

例えば映画だ。今年になっていよいよ洋画より邦画だね、という状況が続いている。ほんの数年前まで日本映画が興行ランキングのトップになるとびっくりしたものだが、このところはトップどころか1位2位3位いずれも日本映画だということがしばしば起こっている。先週も1位『僕の初恋をキミに捧ぐ』2位『沈まぬ太陽』3位『カイジ人生逆転ゲーム』だった。

いいぞ日本映画!・・・と手放しで喜べない。聞くところでは映画興行は前年比7割とも6割とも言う。映画館に人が来なくなってきている。そりゃこの不況じゃね、ってそうなのか?映画興行は不況に強いってことになってるんだぜ。

気がつくと、ぼくらの周りには映像コンテンツがお手軽に手に入る環境がどんどん整っている。ケーブルテレビのVODサービスなんてもんがはじまり、わが家もさっそく導入を決めた。導入したら驚いた。VODってなんて便利なんだ。

VODはもちろん、TSUTAYAに行かなくても自宅で気軽に映画を見れるサービスだ。まだまだ新作がどんどん登場、ってわけにはいかないけど、意外に、あ、これもう見れるんだ、という作品がけっこう多い。

それだけではない。かなりの数の作品が無料で見れたりもする。あ、これそう言えば見てなかった。そんな作品がタダで見れちゃう。

ケーブルテレビの映画チャンネルでも、少し前の新作映画がかなり見れる。これも、月々の定額料金はとられているけど、感覚としては無料だ。そのうち見ようと思って録画した映画がうちのレコーダーに10本ぐらい入っている。

気がつくと、めっきり映画館に行くことが少なくなった。それどころか、TSUTAYAに行くこともなくなってきた。とにかく、なにしろ、家に居ながらにして映画が見れるのだ。しかも、けっこうタダで見れる。

中二と小五の子供たちはいまやディープなネットユーザーだ。いろんなことをPCでやる。中二の子はヤフオクで中古ゲームを買ったりする。そしてYou Tubeやニコニコ動画もしょっちゅう見ている。ニコ動で何やら動画を見て二人でケラケラ笑っている。どれどれと見てみると、アマチュアがつくったフラッシュアニメだったりする。そうとう下らないしクオリティも大したことないが、確かにケラケラ笑うほど面白い。

子供たちは決してテレビを見ないわけではない。むしろ、かなり見る。だが録画が多い。見たいドラマやアニメをどんどん録画して、時間差で見ている。ドラマは改編時に興味あるのを一話だけ見て、つまらないと2話以降は見なくなる。一方でリアルタイムで見る番組は決めている。厳選したものか、ややヒマつぶし的に見るか、どっちかだ。

家族揃って毎週見るドラマがある。『LOST』と『HEROES』だ。日曜日と火曜日の夜10時は、リアルタイムで家族全員がテレビの前に集合する。家族全員で必ず見るのが、この2つの海外ドラマなのだ。

ぼくは学生時代以来の映画好きだ。子供たちもドラマや映画が大好きだ。だが、映画館には3ヶ月に一度くらいしか家族で行かなくなった。少し前まではもっと映画館に行っていた。それが一年前あたりから急激に減った。自宅で見れる面白い映像があまりにも多いのだ。あるいは、ぼくは去年まではほぼ毎週末TSUTAYAに行き、何らかの映画を借りて土曜日の夜中に一人で見ていた。その習慣も気がつくとやめていた。だってまだ見てない映画が、自宅でいっぱい見れるんだもん。

映画好きのぼくと、ぼくの一家が、映画を見るために使うお金が明らかに、急激に、減ったのだ。

デフレーションが起こっている。クリエイティブのデフレだ。これはいったい何なのか?という話をしばらく書いていくよ・・・

日本国で、ギョーカイで、何が終わりを迎えているのか?

例えば加藤和彦が亡くなった。

加藤和彦といって若い人は「で、何か?」って感じなのかもしれない。

小学校の時フォーククルセイダーズの「帰ってきたヨッパライ」を聞いて単純に面白がっていた。数年後、中三の時エレキギターを手に入れ、同級生とバンドを組んだ。いちばん最初の練習曲がサディスティック・ミカ・バンドの「アリエヌ共和国」だった。イントロのギターのカッティングがめちゃくちゃカッコよかった。バンドの友だちが言った。「ミカバンドの加藤和彦ってフォーククルセイダーズだったんだぜ」えええー?!とびっくりした。

ミカバンドは時代の最先端的な存在で、まだ日本にロックバンドなんてなかった頃に颯爽と現れて海外でも公演したりした。アルバムもよくできていて、いま聞いても全然古くない。加藤和彦ってすっげえ!とか思った。フォーククルセイダーズといい、ミカバンドといい、日本の音楽のパイオニアだぜ!確かに開拓者なのに、そういう肩に力の入った感じが全然ないのがさらにカックいい!と思ったものだ。

加藤和彦はその後もラジオのパーソナリティなんかやってて、聞いたことないサウンドを紹介したりしていた。62才で亡くなったと聞いて、ああ団塊の世代だったのかと思った。もっと年いってるような、でももっと若いような不思議な存在だった。

クリエイターってこういう人なんだと思う。クリエイターとは、団塊の世代がはじめた職業なんじゃないかな、乱暴な解釈だけど。それまでも、作詞家とか作曲家とかいたし、演奏家や歌手もいた。装丁家とか美術家とか、広告文案家とかもいた。でもクリエイターってカテゴリーをはじめたのは団塊の世代なんだ、たぶん。

そういう、それまでの職業とか分野とか、そしてその中での常識とか手法とか、全部とっぱらって洗練させて完成させたのが、団塊の世代のクリエイターだったんじゃないか。

70年代後半から80年代前半の”広告クリエイター創成期”の頃の話を聞くと、その熱さに圧倒される。突如”コピーライター”とか”アートディレクター”とか”CMディレクター”とか呼ばれる人びとが世の中に浮上してきた。サブカルチャー的なものがメインカルチャーにぐいぐいのしてきた。つまりそれまで”存在さえ知られてなかった”領域の物事がドカーンとマグマが噴火口から飛びだしてくるみたいに世の中に出てきたのだ。そこでは、何か得体のしれない、学校では知りえなかった文化が噴出していた。そして彼らも団塊の世代、だった。

ぼくのような団塊の世代のひとまわり下の層や、そのさらに若い連中は、団塊の世代がつくりあげた枠組みの後追いをしてきたのだと思う。

団塊クリエイターはなにしろすべてを”はじめた”ので、システムもへったくれもなかったところに、数十年かけてシステムをつくってきた。アルバムはスタジオに何週間も詰めてつくるよねとか、広告はコピーを決めてデザインを決めて企画していくよねとか、テレビ番組はビデオで制作してスタジオでタレントをからめて収録するよねとか、雑誌は性別世代別に中身を決めてトレンドをつくりだしながら編集するよねとか、そういうことをつくってきたのが団塊の世代だ。

そうじゃない?そう言っちゃってまちがってなくない?

加藤和彦は亡くなった。彼に限らず、団塊の世代は一線からいなくなろうとしている。

彼らを追いかけてきた次の世代、もっと若い世代は、じゃあどうしよう?うわ、リーマンショックだ。マスメディア大激震だ。

それがいまこの瞬間、ということなんじゃないか。

あ、何言いたいかすっげえわかりにくいっしょ。うん、わかってる。結局自分が何を言いたいか自分で探りながら書いてるから、わかりにくいってこと、わかってるから。

えーっとね、ようするにね、いま何かものすごく大きなことが”終わろうとしている”のではないか、ということが、言いたいらしいのね、ぼくは。

それでね、ここでやっと前回とつながってくるんだけど、終わろうとしているというのは、このターニングポイントの正体というのは、メディアよりコンテンツの方が強くなるぞ、なんていう単純でムシのいいことではないんじゃないかと、思うんだ。もっとものすごく大きなレイヤーで、ドサッと、ただ”終わろうと”しているだけなんじゃないのか。団塊の世代が切り開いて、ぼくらが追随してきたことのすべてが、一切合切、終わろうとしているんじゃないか。

あ、少しわかった?ぼくも少しわかった。そんなことが言いたいんだ。あはは。わかってきたぞ。でもなんか、怖くなってきたぞ・・・

ぼくたちの構造改革〜メディア優位かコンテンツ優位か〜

「業界構造を変えたいんですよ」と、ぼくより10歳ぐらい若いその人が堂々と言ったのだ。かなり大きな、この不況でも成長している会社で、けっこうな立場を築いていた人なのに。じゃあ、また別の大きな会社に行くのかな、と思ったら、「とりあえず一人ではじめようと思ってて」と言ってのけるのでなんだか降参だなと思った。

「次の時代のプラットフォームをつくるんです」と彼は言う。「2017年が目標かなと思って」とどんどん壮大なスケールの話を、さほど肩に力も入らない感じで言うので、もうノックアウトだった。

でも正しいなあ、と思ったの。

古い希望が消えつつあり、新しい希望が生み出せるかもしれない、ひょっとしたら明治維新以来かもしれないこの過渡期に何が起こっているのだろう。

“プラットフォーム”という言葉は象徴的かもしれない。物事をのっける大きな”土台”みたいなものが大きく変わろうとしているのだ。”プラットフォーム”という言葉をあらゆる産業で大きく拡大解釈すれば、すべての事象にあてはまるのかもしれない。

それが可能になりそうなのはやはり、インターネットによるものだ。そして、インターネットは新しいプラットフォームをいろんな局面で生み出そうとしている。これは簡単に言えば、流通革命なのだ。

インターネットが産業としてもたらしつつあるのは、流通構造を変えはじめていること。そこに集約するのは極論過ぎるけど、話はわかりやすくなる。

アマゾンがいい例だけど、他のあらゆるWEBサービスも、ひとつの切り方として流通を大きく変えた。

そして、我がメディアコンテンツ業界で去年から大地震みたいなことが起こっているのも、ようするに流通構造の変化だ。メディアという、コンテンツのプラットフォームがごごごごごと大陸移動を一気に起こしている。テレビや新聞など旧マスメディアの広告費が急速に落ちているのは、ニュースだの映像だのを運ぶ船が、マスメディアからネットにシフトしているから。いや少しちがう。マスメディアに費やす時間に対してネットに費やす時間の比率がぐいぐい高くなっているから。

新聞は明らかに昔ほど読まれなくなった。テレビの視聴時間は意外に激減したわけではないが、とにかくネットにかける時間が増えて、相対価値を失いつつある。

そういうコンテンツの流通革命が起こっている今、コンテンツの側にとっては、ピンチとチャンスが同時に押しよせているのだ。

ピンチなのはもちろん、短期的に捉えた際、コンテンツ側にまわってくるお金がどんどん減っているから。テレビCMだのテレビ番組だの、雑誌のライターだのカメラマンだの、新聞の広告デザインだの、そういったものにまわってくるお金は、減っている。これは大大大ピンチだね。

一方で、長期的に、そして相対的に、メディアの優位性は失われつつある。ということは、長期的に、そして相対的に、コンテンツ側の優位性が高まる。これはチャンスだね。

ただこのチャンスに、大問題はいっぱいある。まず何よりも、あくまで長期的で相対的に、という点だ。だんだんね、少しずつね、これから何年かかけてね、ということだ。そしてその前に大大大ピンチがやって来ている。長い目でのチャンスに乗っかる前に、大大大ピンチに巻き込まれてダメになっちゃうかもしれない。

他にも大問題はある。そのあたりをまた、書いていくからね。

希望を捨てる勇気、希望をつくる意志

ギョーカイについて長々と続けちゃったけど、9月24日のエントリーで”日本国のことを書いていくよ”と宣言していた。そういう方向修正をするよ。

池田信夫さんの『希望を捨てる勇気』という本が出た。彼のブログで書かれていたことを一冊の本にまとめた感じ。ブログは毎日読んでいるのだけど、こうしてまとめてもらうと、あらためて理解できた。

その内容は読んでもらえばいいし、ここでえらそうに書評をするつもりはない。

ただふれておきたいことがある。タイトルの”希望を捨てる勇気”には2つの少しちがう意味が読み取れるのね。

ひとつは、”はじめに”の中にある「明日は今日よりよくなるという希望を捨てる勇気を持ち、足るを知れば、長期停滞も意外に住みよいかもしれない。」という箇所から感じとれる”希望を捨てる勇気”。そこには、成長なんかしないのも幸せかもよ、というやや諦めというか達観めいたメッセージがある。

そこだけ読み取ると、悟りを開こうよとでも言いたげなのかな、って思えてくるけど、ちがう意味もあるのだと、最後の最後でぼくは感じた。

“おわりに”のほんとに最後の文章はこうだ。「今の日本に足りないのは希望だけではなく、変えなければ未来がないという絶望ではないか。」

これも”希望を捨てる勇気”の解釈だと言える。そしてそこには、ひとつ目の解釈の”諦念や達観”ではなく、むしろ一度絶望のどん底に落ちた後、変えるべきことは何かを見出そうじゃないか、というアジテーションが見出せる。

そこに、ぼくが強く共振するメッセージがあるのだ。これは”再生のギョーカイ”で書いてきたこととも相通じているつもり。マス広告費が90年から結局は少しも成長してこなかった。その上、新聞とテレビの広告費のグラフはぐいっと沈んでいこうとしている。それを凝視しようじゃないか。そして、一度”絶望”しようじゃないか。ぼくはそう言いたがっていたんだ。

もっと言えば、その”絶望”は正しいんだ。必要なんだ。前向きでさえあるんだ。

ぼくたちは一度希望を捨てて、絶望しないといけない。ここでいう”希望”とは、万博とかバブルとか、そういう高度成長の夢みたいな希望。そういう時代はもはや、一切戻ってこない。80年代に見ていた夢、なんか日本ってこのままどんどんお金持ちな国になっていくってことなんじゃないの?でもっておれもお金持ちになっていくのかな?そんなムシのいい希望。そんなものは捨てちまおうぜ、と。絶対にそんなことにはならないから、と絶望しようと。

そして、もう一回未来を考え直していこう。そこには新しい”希望”がなくちゃならないんだ。ムシのいい希望ではなく、もっと現実を見すえた、でもやっぱり明るい、お金持ちにはならなくても豊かな日々が見えてくるような、そんな希望を見出そうよと。だってそうしないと、ぼくたちの子供たちはいったいどんな国でどんな生活をしていくっていうのさって。

だから、古い希望は捨てよう、そして新しい希望をつくろう、そういう力強い意志を持とう。

と、いう話を少しずつ、書いていこうと思うんだ。・・・みんな、オッケー?

再生のギョーカイその4〜新聞の人たちは何してんの?〜

再生のギョーカイその2のグラフを見ながらテレビ広告について書いてきた。テレビはバブル崩壊後もあまり落ち込んでこなかったから危機感が薄かったんでない?という趣旨。

しかし、もう一度グラフを見ていると、もうひとつ大きな疑問がわいてくるじゃないか。新聞の人たちはこの20年、何やってたんすか?

新聞広告費の推移は、バブルの夢を引きずりようがなかった。90年の1兆3592億円をピークに、ズルズル下がりつづけてきた。2000年になんとか1兆2474億円まで持ち直したけど、それ以降はまたじわじわ下がり、2008年は8276億円まで下がった。そして今年はぼくの予測では(しかも9月までの推移からしてかなりの確度)6000億円台前半まで下がる。

新聞の場合、広告費とは別に購読料があるとは言え、広告費の落込みは絶大な痛手だったはずだ。大新聞社が前期赤字だとか今期赤字だとか伝わってくる。

自動車や電機など製造業の大企業は前期赤字になり、派遣切りだの正社員も減らすだの発表している。大新聞はそれを報道しているけど、あんたたちはどうなの?とツッコミ入れたくなるじゃないか。

ズルズルじわじわ広告費が減っているのに、90年代も大新聞の人たちは相変わらずハイヤー取材を続けてきた。この頃叩かれている記者クラブ制度にどっぷり浸りながらね。

ジャーナリストを名乗り正義を振りかざしながら、既得権益だの規制緩和だのを訴えてきたけれど、他ならぬ既得権益に浸っていたのが大新聞のジャーナリストのみなさんだったんじゃないだろうか。あ、言ってることキツ過ぎ?

全国紙の15段広告(ようするに1ページ全面使った広告)を打つのに3000万円ぐらいかかる。まじめな広告主はていねいにも朝日毎日読売の3紙(チョーマイヨミと呼ばれた)に加えて日経にも広告を出したりした。加えて、中日新聞とか西日本新聞とか、ブロック紙もおさえたりすると、新聞広告の媒体費が2億円とか3億円とかになったりする。

そんなに高いのに新聞広告を打つのは、テレビに似て”販売店対策”だったりした。大きなメーカーだと本社の宣伝費で「あんたのとってる新聞にも全面広告出すからはりきってセールスしてくださいね」という叱咤激励を込めて新聞広告を打つ。お客さんが見たかどうかより販売会社のおじさんたちが読むからこそ、打つわけ。販社のおじさんたちは「お、こりゃわしらもがんばらにゃならんぞ」とセールスに精を出す。

これもいま思えば、どうだったのかね?いまだと「ROIを考えると効率的ではありませんね」と言われてしまうんだろう。そんな日が来ることは、よーく考えればわかったんじゃないのかしら。

そしてテレビ広告よりずっと早くから凋落がはじまっていたのだから、もっと早く、何かすべきだったんじゃないの?

あれ?テレビ広告について綿密に書いたのに比べると、どこか揶揄してるだけの文章だね。すんまそん、なにしろ映像関係の人間なもんで・・・

再生のギョーカイその2+α〜90年代テレビ隆盛の理由〜

前にも書いたように、80年代はテレビ広告費と新聞広告費は差が少なく、足並みを揃えて成長してきた。それが90年代、バブル崩壊後に変わってきた。どちらも落ち込んだけど、新聞広告費はガクンと落ち込んだ。その後も90年を上回ることはなかった。一方テレビ広告費は少し下がったあと90年代後半から急激に上がりはじめ、2000年まで成長した。

ご要望にお応えして、その理由を分析してみようじゃないか。

まず新聞の側。これはやはり、新聞のメディアとしての問題が露呈してきたことが大きいだろう。”若い人が新聞を読まなくなってきた”。80年代から言われてきたことが、顕在化してきたのではないか。広告はどうしても消費性向が強い若い世代に向けたがる。とくに購買力が旺盛だといわれるF1層(女性・20〜35才)への効果を広告主は気にする。若い女の子が熱心に新聞を読むとは思えないだろう。

届けたい層に新聞広告は届かない。それがはっきりしてきたから、新聞広告は落ちていく一方になったのがまずひとつ目のポイントだと思う。つまり、新聞広告は”片寄った”マスメディアになってしまったのだ。

新聞のもうひとつのマスメディアとしての欠点がある。全国津々浦々に届けるにはけっこうややこしいのだ。朝日、読売、毎日、日経という4大紙があるわけだけど、この4紙に広告を出せばそれでオッケーってわけではない。ブロック紙と呼ばれるエリアごとに強い新聞もある。県ごとに新聞社があったりする。日本全国に広告を打つには、かなりの数の媒体をおさえないといけない。コストもけっこうかかる。割高感が出てきたというのも二つ目のポイントだろう。

さて一方テレビの側。テレビは若い人も見る、女性はとくに見る。いわゆるF1層には効果的なマスメディアだ。

また、全国ネットは5つのキー局を軸にネットワークが80年代にほぼ完成した。全国津々浦々に広告を届けることができる。単純にリーチだけを稼ぐには、いまもなおもっとも効率のよいメディアなのだ。

新聞広告の2つの弱点が、テレビ広告にはない。差がついていくのも当然じゃないか。

さらにもう一点、重要なファクターがある。流通事業者の問題だ。

マスメディアのパワーダウンの原因は流通業者の独占が進んだことにある、と某テレビ局の某えらい人が言ったそうだ。ぼくが言いたいのは、その人の主張と似て非なるものだから、注意してね。

流通事業者の寡占化が90年代に進んだ。GMSなどが全国にでき、コンビニが日本中の町にできた。流通事業者が強くなった。ビールの新製品を出す際、昔なら町の酒屋さんとのおつきあいでお店に置いてもらえたが、90年代以降は大手スーパーやコンビニのバイヤーに四の五の言われることになった。

彼らは商品を仕入れて棚に並べるかどうかを決める際、「で、テレビスポットはどれくらい打つのですかな?」と聞くようになったのだ。これに対し、営業マンは「2600GRPのスポットを打つ予定です」などと言わねばならない。「この商品はテレビスポットを打つ予定はないんですよ」などと答えてしまうと、「ほな、棚の隅っこにでも置いときましょか」と言われてしまう。

ぼくは90年代、フリーランスでコピーライターをやっていた。決して一流と呼ばれるような存在でもなかったので、小型キャンペーンのCMの企画をプレゼンすることも多かった。そういう時、1000GRPとか700GRPとか、小規模のスポット展開になる。

えーっと、ここで解説。GRPについて。Gross Rating Pointの略で、”総視聴率数”とでも訳せばいいのかな。テレビCMを流す際の視聴率の合計値だ。例えば視聴率15%の時間帯にスポットを100回流すと1500GRPになると。そういう風に考える。

当時の感覚としては、1億円のメディア費を企業が代理店に払うと800〜900GRPぐらいなことだったと思う。1000GRPには届かない。

では900GRPとはどれくらいの数値なのか。感覚的にだけど、”1回見るか見ないか”という感じ。1億円払ってもそんなもんだ。

ああ、○○○のCMね、見た見た。そんな感覚を与えるには2000GRPぐらいないと届かない。それで3億ぐらいだと思う。

つまり、テレビCMを打つなら、3億円ぐらいメディア費にかけないとあまり意味はないのだ。

ところが、実際には800GRPぐらいのテレビCMはいっぱいある。なぜそんな”届かない”量のCMを展開するのかと言えば、流通対策なのだ。800GRPでも、視聴者が”ん?そんなCM見たっけなあ?”という程度の効果しかなかったとしても、流通業者のバイヤーが商品を扱ってくれればいい。800GRPでも流さないと、商品を置いてもくれない。だったらとにかく、CMつくりましょう、少しだけでも流しましょう。てなことになる。

テレビCMの大半は、実はそんな背景で制作されるのだ。90年代以降、ターゲットをセグメントしていろんなニーズに対応した商品をメーカーはつくりはじめた。ドカンと日本人なら誰でも買う商品を、というわけにはいかなくなった。そのひとつひとつを、スーパーやコンビニの棚に置いてもらうために、CMがつくられていった。そして800GRPで流されていった。

90年代にテレビ広告費が伸びた背景にはそんなポイントもあったのだと思う。

そこには、いつか、いまのようなテレビ広告の凋落が来る日が織り込まれていたのかもしれない。生活者自身に届けることが目的でない広告なんて、おかしいんだもん。そんなことのために億単位のお金が使われてたなんて、いまでは考えられないことかもしれないね・・・

再生のギョーカイその3〜クリエイティブディレクター不要論〜

前回のグラフを自分でつくってみて、いちばん驚いたのが80年代の部分だ。テレビ広告費と新聞広告費の比率が1.1対1程度だったこと。ぼくがこういう数字に敏感になったのはほんの最近、ここ数年で、だから2000年代の「テレビ:新聞=2:1」というのしか頭になかった。それが20年前までは1.1:1だったのか、とびっくりしたわけ。

ぼくは87年に”ギョーカイ”に入ってコピーライターになった。当時は本当にCMとグラフィックは広告代理店の中でも拮抗していた。それから、CMの企画スタッフ(=CMプランナー)とグラフィックの企画スタッフ(=アートディレクター・デザイナー)は別々に仕事していた感がある。大きなプレゼンになるとCMとグラフィックを別々に企画作業してプレゼン直前ですり合わせたりしていた。ぼくはワカゾーながら、”そりゃおかしいよ”と思ったものだ。コピーライターは比較的グラフィック側にまわる傾向があり、先輩コピーライターがどうしてCMの企画に関わらないのか不思議だった。

さて、その頃にもCD(=クリエイティブディレクター)という職種はあった。でも、”中間管理職”みたいなもので、企画作業は事実上、コピーライターとアートディレクターとCMプランナーのものだった。CDはプレゼンの責任者ではあっても、”できたあ?”と進捗をのぞきに来るだけで、企画そのものには関わらないのだった。

そう、広告クリエイターの黄金時代はコピーライターやアートディレクター、CMプランナーという個がぶつかりあってつくりあげていたのだ。

それが、90年代になるといつの間にか変わってきた。CDの存在感が高まってきた。CDがどう企画をまとめてプレゼンするかが大事になってきた。それは広告制作がテレビと新聞の”競い合い”から、テレビが中心、新聞はフォロー、と変わってきたこととシンクロした現象なのだろう。

テレビが中心になるとともに、テレビCMの企画の作法がけっこう複雑になっていったからだ。ひとつのいい企画!グッドアイデア!というものから、タレントだの音楽タイアップだのややこしい要素が増えていく。かけるお金もどんどん上がっていく。そうすると、CDに権力を集中させる必要が出てくる。

別の見方をすると、80年代に育ってきたCMプランナーがCDの肩書を手に入れ、部下もたくさんつけて、大きな力を持つようになっていった。コピーライターやアートディレクター出身でCDになる人もけっこういたけど、そういう人たちも立派にCMを仕切れるからCDになり力をつけていったのだ。

広告代理店の営業戦略上、CDは必要だったのだろう。「今回のプレゼンは、あのキャンペーンで話題を呼んだCDの○○に任せます」とクライアントに仰々しく言うことで、”弊社はこのプレゼンに力入れてまっせ〜”というアピールになったのだ。

こうして90年代以降、”いまノってるCDはどこの誰それだ”という、CD中心の広告クリエイティブの時代になっていった。

ようするに、CDシステムとは、テレビCMを代理店がセールスするためのシステムだったのだ。

ではこれからはどうなのかな?

ぼくが思うに、CDシステムが不便になったり、不都合になったり、いらなくなったりするだろう。

CMがどうしただけでなく、WEBがどうした、モバイルがどうした、OOHがどうした、という全体像を、たったひとりでコントロールするのは無理だ。そこまであらゆるメディアや手法に精通した人なんかいるわけがない。

広告づくりはもっと、集団作業になり、チームで取組むものになるはずだとぼくは考えている。

でももちろん、ひとつのキャンペーンでいろんな手法・メディアがコンセプトの統一なしに行われても意味がない。集団作業でチームで取組むからこそ、コンセプトの共有が欠かせなくなるだろう。目標や戦略をチームでどう共有するかが問われる。

そこにはCDはいらなくなる。必要なのは、大きな意味のプロデューサーなんじゃないかな?

プロデューサーが大事。それは必ずしも職種としてのプロデューサーに限定することでもない。いままでCMプランナーだったりコピーライターだったりアートディレクターだったりする人が、プロデュース感覚をもって仕事を進めるってことかもしれない。

えーっと・・・言ってること、わかってもらえる?・・・