希望を捨てる勇気、希望をつくる意志

ギョーカイについて長々と続けちゃったけど、9月24日のエントリーで”日本国のことを書いていくよ”と宣言していた。そういう方向修正をするよ。

池田信夫さんの『希望を捨てる勇気』という本が出た。彼のブログで書かれていたことを一冊の本にまとめた感じ。ブログは毎日読んでいるのだけど、こうしてまとめてもらうと、あらためて理解できた。

その内容は読んでもらえばいいし、ここでえらそうに書評をするつもりはない。

ただふれておきたいことがある。タイトルの”希望を捨てる勇気”には2つの少しちがう意味が読み取れるのね。

ひとつは、”はじめに”の中にある「明日は今日よりよくなるという希望を捨てる勇気を持ち、足るを知れば、長期停滞も意外に住みよいかもしれない。」という箇所から感じとれる”希望を捨てる勇気”。そこには、成長なんかしないのも幸せかもよ、というやや諦めというか達観めいたメッセージがある。

そこだけ読み取ると、悟りを開こうよとでも言いたげなのかな、って思えてくるけど、ちがう意味もあるのだと、最後の最後でぼくは感じた。

“おわりに”のほんとに最後の文章はこうだ。「今の日本に足りないのは希望だけではなく、変えなければ未来がないという絶望ではないか。」

これも”希望を捨てる勇気”の解釈だと言える。そしてそこには、ひとつ目の解釈の”諦念や達観”ではなく、むしろ一度絶望のどん底に落ちた後、変えるべきことは何かを見出そうじゃないか、というアジテーションが見出せる。

そこに、ぼくが強く共振するメッセージがあるのだ。これは”再生のギョーカイ”で書いてきたこととも相通じているつもり。マス広告費が90年から結局は少しも成長してこなかった。その上、新聞とテレビの広告費のグラフはぐいっと沈んでいこうとしている。それを凝視しようじゃないか。そして、一度”絶望”しようじゃないか。ぼくはそう言いたがっていたんだ。

もっと言えば、その”絶望”は正しいんだ。必要なんだ。前向きでさえあるんだ。

ぼくたちは一度希望を捨てて、絶望しないといけない。ここでいう”希望”とは、万博とかバブルとか、そういう高度成長の夢みたいな希望。そういう時代はもはや、一切戻ってこない。80年代に見ていた夢、なんか日本ってこのままどんどんお金持ちな国になっていくってことなんじゃないの?でもっておれもお金持ちになっていくのかな?そんなムシのいい希望。そんなものは捨てちまおうぜ、と。絶対にそんなことにはならないから、と絶望しようと。

そして、もう一回未来を考え直していこう。そこには新しい”希望”がなくちゃならないんだ。ムシのいい希望ではなく、もっと現実を見すえた、でもやっぱり明るい、お金持ちにはならなくても豊かな日々が見えてくるような、そんな希望を見出そうよと。だってそうしないと、ぼくたちの子供たちはいったいどんな国でどんな生活をしていくっていうのさって。

だから、古い希望は捨てよう、そして新しい希望をつくろう、そういう力強い意志を持とう。

と、いう話を少しずつ、書いていこうと思うんだ。・・・みんな、オッケー?

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