再生のギョーカイその2+α〜90年代テレビ隆盛の理由〜

前にも書いたように、80年代はテレビ広告費と新聞広告費は差が少なく、足並みを揃えて成長してきた。それが90年代、バブル崩壊後に変わってきた。どちらも落ち込んだけど、新聞広告費はガクンと落ち込んだ。その後も90年を上回ることはなかった。一方テレビ広告費は少し下がったあと90年代後半から急激に上がりはじめ、2000年まで成長した。

ご要望にお応えして、その理由を分析してみようじゃないか。

まず新聞の側。これはやはり、新聞のメディアとしての問題が露呈してきたことが大きいだろう。”若い人が新聞を読まなくなってきた”。80年代から言われてきたことが、顕在化してきたのではないか。広告はどうしても消費性向が強い若い世代に向けたがる。とくに購買力が旺盛だといわれるF1層(女性・20〜35才)への効果を広告主は気にする。若い女の子が熱心に新聞を読むとは思えないだろう。

届けたい層に新聞広告は届かない。それがはっきりしてきたから、新聞広告は落ちていく一方になったのがまずひとつ目のポイントだと思う。つまり、新聞広告は”片寄った”マスメディアになってしまったのだ。

新聞のもうひとつのマスメディアとしての欠点がある。全国津々浦々に届けるにはけっこうややこしいのだ。朝日、読売、毎日、日経という4大紙があるわけだけど、この4紙に広告を出せばそれでオッケーってわけではない。ブロック紙と呼ばれるエリアごとに強い新聞もある。県ごとに新聞社があったりする。日本全国に広告を打つには、かなりの数の媒体をおさえないといけない。コストもけっこうかかる。割高感が出てきたというのも二つ目のポイントだろう。

さて一方テレビの側。テレビは若い人も見る、女性はとくに見る。いわゆるF1層には効果的なマスメディアだ。

また、全国ネットは5つのキー局を軸にネットワークが80年代にほぼ完成した。全国津々浦々に広告を届けることができる。単純にリーチだけを稼ぐには、いまもなおもっとも効率のよいメディアなのだ。

新聞広告の2つの弱点が、テレビ広告にはない。差がついていくのも当然じゃないか。

さらにもう一点、重要なファクターがある。流通事業者の問題だ。

マスメディアのパワーダウンの原因は流通業者の独占が進んだことにある、と某テレビ局の某えらい人が言ったそうだ。ぼくが言いたいのは、その人の主張と似て非なるものだから、注意してね。

流通事業者の寡占化が90年代に進んだ。GMSなどが全国にでき、コンビニが日本中の町にできた。流通事業者が強くなった。ビールの新製品を出す際、昔なら町の酒屋さんとのおつきあいでお店に置いてもらえたが、90年代以降は大手スーパーやコンビニのバイヤーに四の五の言われることになった。

彼らは商品を仕入れて棚に並べるかどうかを決める際、「で、テレビスポットはどれくらい打つのですかな?」と聞くようになったのだ。これに対し、営業マンは「2600GRPのスポットを打つ予定です」などと言わねばならない。「この商品はテレビスポットを打つ予定はないんですよ」などと答えてしまうと、「ほな、棚の隅っこにでも置いときましょか」と言われてしまう。

ぼくは90年代、フリーランスでコピーライターをやっていた。決して一流と呼ばれるような存在でもなかったので、小型キャンペーンのCMの企画をプレゼンすることも多かった。そういう時、1000GRPとか700GRPとか、小規模のスポット展開になる。

えーっと、ここで解説。GRPについて。Gross Rating Pointの略で、”総視聴率数”とでも訳せばいいのかな。テレビCMを流す際の視聴率の合計値だ。例えば視聴率15%の時間帯にスポットを100回流すと1500GRPになると。そういう風に考える。

当時の感覚としては、1億円のメディア費を企業が代理店に払うと800〜900GRPぐらいなことだったと思う。1000GRPには届かない。

では900GRPとはどれくらいの数値なのか。感覚的にだけど、”1回見るか見ないか”という感じ。1億円払ってもそんなもんだ。

ああ、○○○のCMね、見た見た。そんな感覚を与えるには2000GRPぐらいないと届かない。それで3億ぐらいだと思う。

つまり、テレビCMを打つなら、3億円ぐらいメディア費にかけないとあまり意味はないのだ。

ところが、実際には800GRPぐらいのテレビCMはいっぱいある。なぜそんな”届かない”量のCMを展開するのかと言えば、流通対策なのだ。800GRPでも、視聴者が”ん?そんなCM見たっけなあ?”という程度の効果しかなかったとしても、流通業者のバイヤーが商品を扱ってくれればいい。800GRPでも流さないと、商品を置いてもくれない。だったらとにかく、CMつくりましょう、少しだけでも流しましょう。てなことになる。

テレビCMの大半は、実はそんな背景で制作されるのだ。90年代以降、ターゲットをセグメントしていろんなニーズに対応した商品をメーカーはつくりはじめた。ドカンと日本人なら誰でも買う商品を、というわけにはいかなくなった。そのひとつひとつを、スーパーやコンビニの棚に置いてもらうために、CMがつくられていった。そして800GRPで流されていった。

90年代にテレビ広告費が伸びた背景にはそんなポイントもあったのだと思う。

そこには、いつか、いまのようなテレビ広告の凋落が来る日が織り込まれていたのかもしれない。生活者自身に届けることが目的でない広告なんて、おかしいんだもん。そんなことのために億単位のお金が使われてたなんて、いまでは考えられないことかもしれないね・・・

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