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コピーライター→映像製作会社ロボット→広告代理店ビデオプロモーション→再びコピーライター(フリーランス)。 メディアとコンテンツの未来を切り拓くコミュニケーションをデザインします。講演・執筆依頼もお気軽に!

『決闘 ネット「光の道」革命 孫正義 vs 佐々木俊尚』〜2010最大の事件のパンフレット〜

この時間は”おいらとあんたの世界戦略・その7”の予定でしたが・・・ってなかなか世界戦略を書き進めないのだけど。

献本をいただいたのだ。もちろん佐々木俊尚さんの本だからさあ。書かないわけにはいかないっしょ。だって”第一使徒”だからね。

決闘 ネット「光の道」革命 (文春新書)
孫 正義vs佐々木 俊尚
文藝春秋

ただこの本、佐々木俊尚著作、とはちょっとちがう。孫正義氏と佐々木さんのUst対談を書籍化したものだ。

この対談、たぶんこのブログの読者の方なら知ってるよね?うーんでも知らない人もいるかもしれないから、いちおうおさらいしておくとね。

孫さんが、「光の道」つまり光ファイバーによるインターネット回線を日本の全世帯に100%普及させるべき、と唱えた。しかもそのために税金は一切要らない。これによって日本の構造改革が実現するのだ!と訴えた。

これに対し、佐々木さんが反論した。CNET Japanで佐々木さんが「ジャーナリストの視点」というブログを時々書いている。そこに「ソフトバンクの「光の道」論に全面反論する」と題したエントリーを書いた。すごく長くて、上下2回に分かれているほどだ。

佐々木さんの反論のポイントはシンプルに言えば、インフラが整うかどうかの前に、ITの利活用が全然整ってないので、そっちが先だよ、90%も普及している日本のブロードバンドはインフラとしてはすでに十分だよ、というところだ。

この佐々木さんの反論を受けて、Twitter上で孫さんが佐々木さんに討論を申し出た。佐々木さんは承諾し、どうせなら公開の場で、だったらUstreamで放送しながら議論しましょう、となった。このUstream配信にはこれまたTwitter上でケツダンポトフのそらのさんが担当したいと申し出た。

こうして行われた孫さんと佐々木さんの討論を書籍化したのが『決闘 ネット「光の道」革命』だ。

さて、ここで重要なのが、この一連のやりとりがすべてTwitter上で行われたことだ。そしてそれがUstreamで配信されたこと。これはよく考えると、画期的な出来事だ。ソーシャルメディアというものが、革命的な現象を引き起こすことが明確になったと言える。

だってね、これまでの感覚で、大企業のトップとジャーナリスト(しかもフリーランス!)が対談しようという相談がこんなにおおっぴらに行われるなんて、なかった。ありえなかった。もちろん、孫さんだから、佐々木さんだから、成立したんだろう。でもそれにしても、いままでの感覚だと、ありえない。電話で、あるいはせいぜいメールで、秘書とかアシスタントとか出版社とかを通して私的なやりとりを経た上で行われたことだ。誰もが見えちゃうTwitter上で交渉して成立しちゃうなんて、前代未聞だ!

ということで、この本『決闘 ネット「光の道」革命』は、そういう経緯からして、普通の本として受けとめるもんでもないだろう。

だいたい、この本、全体的にヘンなの。討論の書籍化だからとは言え、本のタイトルに「決闘」なんて入れる?2段に分れているから気づかないけど、決闘 ネット「光の道」革命、という文字の並び方は本のタイトルとしてすごく奇妙だよありえないよ。

それに上の写真でもわかるけど、本の帯に佐々木さんと孫さん二人の写真がどーんとデザインされている。”時間無制限・一本勝負”とか書いてある。なんだそれは?プロレスの試合かい?

試合かい?と書いて自分で気づいたのだけど、この本は、そうなんだよ、試合のあとの本なんだよ、この本を読むために買うものじゃないんだ。試合のパンフレット、みたいなもんなんだ。試合を生で見た人は、その解説として読めるわけ。全部細かに読む必要ない。結局、孫さんの主張は何だっけ、と確かめるために読むの。途中でそうそう、風呂に入ったからこの部分、見れなかったんだよなー、と確認するために読む。最後の方はさあ、酔っぱらった孫さんの話を聞いてあげてる佐々木さん、って感じだったよなあ、この部分はホントはそうなんだよなあ、と笑うために、読む。

試合を見そこねた人にはもちろん、価値がある。ああ、あの時見れなかったんだよねえ。あとで見ようとしたけど、Ust番組ってあとで見る気しないんだよねえ。うんうんなるほど、そんな討論だったのか。そんな風に、直接見れなかった舞台のシナリオを読むように読むといいわけだ。

ちなみにね、この討論の内容自体がどれだけ価値があるかは疑問。Ust放送を見ていると、だんだん孫さんの独壇場になってきて、しまいにはホントに酔っ払いのおじさんがどんどんしゃべるのを、仕方なく聞いてあげてる佐々木さん、という構図になってしまった。ぼくにとって印象に残ったのは、孫さんのご高説の内容より、でかいことやる経営者って人の意見を聞かないんだなーやっぱり、ということだった。

でかいことやる経営者は、それでいいんだと思う。人の意見なんか聞いてたらでかいことなんかできない。その辺りは、この本のために佐々木さんが書いた「ソフトバンクは”モンゴル帝国軍”である」という文章に書かれていることともリンクしている。書籍らしい価値は、実はこの文章にあったりするんだな。

ということでこの本は、熱心に買って熱心に読む、というより、”例の試合のパンフレット”として買っておこうかな、という気持ちで接するといいと思う。2010年、ソーシャル元年の記念品、みたいな。

ところで孫さんの「光の道」の主張そのものに、ぼくはやや懐疑的。池田信夫先生も、ブログのこのエントリーで批判的に書いておられる。スマートフォンを使っていると、WiFiが日本中で使えればいいのに、と思う。たぶん、十年もすればありえる話になるんじゃないの?

禁煙とリーマンショックと業界幻想

この時間は”おいらとあんたの世界戦略・その7”の予定を変更して、禁煙のお話をお届けします。

10月1日の煙草値上げを機に、禁煙をしてみた。正確に言うと、9月30日に買った2箱を金土とちびちび吸い、3日・日曜の夜に最後の一本を吸って以来煙草をやめている。だから今日で一週間もったことになる。

Twitterで「今日も吸わなかった」などとつぶやくと、大勢から応援されたりアドバイスを受けたりと、ソーシャル禁煙で気持ちがラクだったというのはある。@zom_1氏は、「Twitter禁煙法」として出版すべきだと言う。でも1ページの本にしかならないか、と気づいたそうだけど。

それは置いといて、我ながら不思議だ。意外に簡単に煙草を止められている。30年間、毎日欠かさず吸ってきた。ヒマさえあれば吸ってきた。スキあらば箱から取り出し火をつけてきた。朝起きては吸い、めし食っては吸い、打合せ中に吸い、打合せが終われば吸い、企画書を構想しながら吸い、企画書を書きながら吸い、企画書を書き終えたら吸っていた。飲みながら吸い、仲間と語りながら吸い、女性の前でカッコつけて吸い、泥酔して朦朧と帰宅しては吸っていた。これを30年間、毎日毎日繰り返してきたのだ。

煙草は自分にとって、何らか重要な存在だと感じていた。自分のアイデンティティにとって6番目か7番目ぐらいには重要な要素だと信じてきた。

ハンフリー・ボガートのまずそうな吸い方を真似たりした。エリック・クラプトンがギターのネックに吸いかけのタバコを挟むのを真似て焦がしそうになったりした。煙草とは、そういう文化的な嗜好品でもあり、吸い方も自己表現だと思っていた。もちろん、実際そうだった。

それくらい大事なモノだったはずの煙草を、あっさり止めている自分がいる。それでいいのか、おれ!でも不思議と、吸いたくなってイライラしたりはしない。・・・どういうことだ?

リーマンショックの影響だ。

ぼくはそう受けとめている。リーマンショックが、ぼくらにとっての煙草の価値づけを180°変えてしまったのだと思うんだ。

煙草だけではなく、リーマンショックはぼくたちに思い知らせたのだ。ぼくたちはこれ以上、リッチにはならないことを。

いま思えばだけど、ぼくは煙草を、業界文化の象徴のひとつと受けとめていたのだ。普通の人は、健康とか気にしてやめるんでしょう。不経済だとか非合理的だとか、そんな健全な考え方で吸わなくなるんでしょう。でもぼくは、カルチャーに関わる仕事をしてます。文化を生み出しています。それは不健全な仕事なんです。ギョーカイは不健全なんです。だから不健全に夜更かししたり深酒したりするんです。煙草をやめる?そんなことありえるはずがないじゃないですか。

たぶんぼくは、そんな風に捉えていたのだと思う。文化を生み出す仕事には、喫煙はつきものなのだと。まったく論理性はないけれどね。

そんな思い込みを、リーマンショックが吹き飛ばした。いや、思い込みじゃないな。リーマンショックまでは、正しかったこと、認められたことが、それ以降は、正しくなくなったり、認められなくなったりしたんだ。

ぼくはこのブログでも、リーマンショック前から業界の危機を訴えてはいた。先見の明があるつもりだった。未来が見据えられてるつもりだった。でもリーマンショックはそんなぼくの予想をはるかに超えた出来事だったし、ぼくが何もわかってなかったことも思い知らせてくれた。

日本のメディアコンテンツ業界には、もはや成長はなく、収縮があるだけだ。だったらぼくらの収入はもう増えたりなんかしないんだ。

ぼくらにはどこか幻想があった。文化を生み出す仕事をしていると、どんどん成長していくのだと。豊かになっていくのだと。だから会社は大きくなるし、次に乗る車はもっと高い外車だし、そろそろアルマーニのスーツも悪くない、夜更かしして高い店で旨いもん食べて飲むんだよ、ますます!ギョーカイ人とは、そういう特権をもっているんだと、大きな誤解をしていたんだ。

そういう、いまよりもっともっと、ますます、さらに、という感覚はリーマンブラザーズの破綻とともに世界中で焼け落ちた。そうした幻想の焼け跡にたっていることを、ぼくは前に「高度成長の焼け跡に、ぼくらはiPhoneを持って立っている」という文章に書いたもんだった。

つまりぼくがこのところラッキーストライク・ライトと書かれた箱から取り出して吸っていたのは、そんな幻想の燃えさしだったのだ。いつか燃えつきるのはわかっていた。いつまでも燃やし続けられないのは知っていた。ただ少し、名残惜しくて火をつけていたのだ。こないだの日曜日までね。

なに?一箱100円も値上げになるの?そうかそうか、わかってるわかってる。もういいだろ、と言いたいんだろ?こんなもんで文化だなんだって幻想だぞ、ってダメ押ししたいんだよな?わかってるって。ただちょっとね、引き伸ばしてただけなんだよ。引きずって見せてただけなんだよ。もう無意味になってるのは知ってたんだってば。うん、もうやめるからさ、ここで・・・

ぼくの意識の及ばないところで、そんな達観を、ぼくはしていたんだろう。だからこんなにあっさり止められてるんだろう。濁った茶色がかえって美しいと思って生きてきたのだけれど、意図せずしてぼくの心は透明になってきている。みんな透明になっていくんだろうな。

そしてたぶんそれは、決して悪いことじゃないんだろう。いいこととか、悪いこととかは、少しずつ、でもどんどん変わっていくからねえ・・・

GALAPAGOSには期待しちゃう!〜CEATECに行って来た〜

そう言えば90年代、Mac Expoでよく行ったな幕張。あれはビッグサイトができる前だったのかな?

それは置いといてこの時間は、”おいらとあんたの世界戦略・その7”の時間ですが、予定を変更して特別番組”CEATECに行って来た”をお届けします。行けないはずが、突然時間ができたので、行って来たのね。そしたらね、行ってよかったよ。

当然ながら、コンテンツ配信を中心に見て回った。ドコモのGALAXY Tabのブースでは佐々木さんのセミナーの時にもお会いした@punipukiさんにまたもや遭遇。

GALAXY Tabで面白いなと思ったのが、コンテンツ売場が3つあること。Android端末なので、Googleのアップマーケットがあり、サムスン端末なのでサムスンのアップマーケットがあり、ドコモの端末なのでドコモマーケットもある。不思議でしょ?逆に言えば、Appleがいかにすべてを統合しているか、ということなんだけど。

さてもうひとつ、ぼくにとっての目玉はSharpのブース。もちろん、GALAPAGOSをさわりたかったんだよね。

けっこう驚いたのだけど、Sharpにとっていちばん大事なAQUOSと2大看板的な扱いだった。力入ってるなあ、これは!

GALAPAGOSには5.5型と10.8型の2種類ある。ちょい大きめのiPhoneと、ほぼ同じ大きさのiPad、といった感じの組み合わせだ。

どうやら出版社とかなり交渉した様子で、すでにすごい数の電子書籍が整っている。ここはかなり大事なポイント。iPadでも、どうやらかなりの数の電子書籍が読めるようだ。だが、売られ方もリーダーアプリもあまりにもバラバラで、どこで何を買えばいいのかさっぱりわからないのだ。GALAPAGOSは電子書籍が中心の端末で、書籍売場がデフォルトで存在する。買う場所も買った本の整理も一箇所だ。わかりやすいわけ。

書籍は基本的にXMDF形式だ。日本語が縦書きで表示でき、文字の大きさを自在に設定できる。ここもポイント。

驚いたのは雑誌だ。このブログでぼくはiPad上でPDF形式の雑誌を読ませるのはダメなんだと書いてきた。GALAPAGOSではどうなのか?3種類あるそうだ。

ひとつは、PDF形式。そしてXMDF形式の雑誌もある。え?XMDFで雑誌なの?そうなんだ!ここ、すごく重要なとこ!iPadを持っている人は、iBookで”Winnie the Pooh”を見た時を想い出して欲しい。文字の大きさを変えると、挿し絵と文字の関係が自在に変化した。雑誌で、あれと同じ表示になってくるのだ。ピンチインアウトで文字の大きさを変えると、画像が次のページに送られたりする。

雑誌を、デバイスに最適化された形で読めるんだ!素晴らしい!

さて雑誌表示のもうひとつの形式は、2つのいいとこ取り(?)なやり方。基本はPDFなのだけど、文字中心の部分はXMDF形式で読める。なるほど、これもいいかもね。

GALAPAGOSのネーミングに込められた思いが少しわかった気がした。SharpなんだからXMDFで表示する端末だよ。日本語表示に最適だよ。それは日本独自の形式だって?ガラパゴスだって?わかってるよ、そんなこと!日本独自の技術で、何がどこまでできるか、やってみうようじゃないか!そんな意気込みなんじゃないかな。

そもそもね、iPadが発売と同時にどうしてTIMEだのWIREDだのがiPadに最適化した雑誌を出したのか?ジョブズに口説かれたからなんだ。TIMEの上層部は最初は電子化に乗り気じゃなかった。でも会社にジョブズがやってきて、例のプレゼンテクニックで口説いた。どうだい?iPadって素晴らしい端末だろ?傾きかけたメディア事業を救えるかもしれないよ。そんな営業かけられたら、そりゃ会社をあげてiPadに取組むだろう。

日本の出版社が出遅れたのは、デジタルアレルギーも大きいだろう。でももっと大きいのが、ジョブズに直接口説かれなかった、ということじゃないだろうか。

GALAPAGOSがこの時点で、これだけのコンテンツを揃えたのは、ぼくは驚異的だと思う。この、僅か数カ月の間に、だ。そうして想像していくと、GALAPAGOSには数人の、いやひょっとしたら誰か一人の、強い強い情熱が隠されているのかもしれない。誰か、強い情熱を持つ人物が、仲間を巻き込み、上司や会社を説得し、出版社に熱く語って回ったんじゃないだろうか。

日本の機器のガラパゴス化は、日本企業のダメさ加減の象徴として語られる。ぼくもここで、コンテンツ産業もガラパゴス化しそうだよ、と、この言葉を借りて書いたりした。確かに日本企業、ダメなのかもしれないけど、そもそも、ジョブズと同じ国かどうかって大きいんじゃないか。グーグルの日本法人があるとは言え、シュミットは日本にほとんどやって来ないだろう。そりゃ商談も進みにくいわね。

そんなハンディを吹き飛ばすんだと。むしろハンディをバネにするんだと。そんな想いがGALAPAGOSには詰まっているんじゃないだろうか。応援してもいいんじゃないかと、ぼくは感じたんだよね。

・・・というか、Sharpの方と名刺交換してコンテンツ提供についてね、お話をね・・・なんだい、商売しようって魂胆かよ!はい、そうです!だってそのために行ったんだもーん、はるばる幕張までさ・・・

おいらとあんたの世界戦略・その6〜スモールビジネスの幸福〜

CEATECという展示会が幕張ではじまった。と同時に、すごい勢いで各社がコンテンツ配信に関して続々発表した。

SHARPのタブレットGALAPAGOSでのコンテンツ配信はTSUTAYAのCCCが合弁会社を設立してとりおこなうそうだ。

サムスンのタブレット端末GALAXY Tabは日本でドコモが通信会社となるそうだ。共同記者発表が行なわれた。

激流のように時代が進む。iPad発表時、腰が引けていた日本のメディアコンテンツ業界だったが、いまは新しい波にのる動きが続々登場だ。面白いなあ。明治維新で攘夷の波が開国に流れを変えた、みたいな。

さてそんな中、「おいらとあんたの世界戦略」も佳境だ。いよいよ核心だ。いちばん大事な部分に、入るよ。

前回、「さらばビッグビジネス」というサブタイトルをつけた。ということは、当然スモールビジネスこんにちは、ということだ。メディアコンテンツ産業は、スモールビジネスになっていくよ、というのが趣旨。そんなのつまらない!と言う人は、この業界を去った方がいい。商社にでも行って、中国以外の国のレアメタル市場でも開拓すればいい。ビッグビジネスだよ!

スモールビジネスは、別に「仕方がないから小さな規模で我慢するしかないね」なんていう、消極的な話ではない。むしろ、いままでよりもクリエイティブの世界がイキイキしてくることかもしれないんだ。

この話は実は、佐々木俊尚さんのセミナーについて書いた内容ともシンクロしている。これまでのマスメディアは大河で、これからのメディアはスワンプだ、小さな沼や池だ、という話とすごく近い。大河には強さとか大きさとかの醍醐味は確かにあった。けれども、その分、ひとりの存在が薄れたり、遠かったり、かすんだりした。あるいは、普通の人なのに大河の船頭に祭り上げられて必要以上に巨人のふりをさせられたりとか、もあった。

スワンプは規模の醍醐味はない。その代わりに、温もりはあるんじゃないかな。わかってくれる人たちと、無理なくやっていける感じ。それがこれからのコンテンツ産業だ。

そんな小さな規模で成り立つのかって?小さな規模なりのエコシステムを構築すればいいのだ。

そこにiPadのような新しいデバイスが関係してくる。これを軸に、新たなビオトープがつくれるかどうか、なのだ。

前回の記事で、興収20億円でトントンになる映画は133万人を集めねばならない、と書いた。これはたいへんな作業だ。そして今後ますます難しくなるのだろう。

ではiPadでショートコンテンツを配信する場合、どうなのか。原価1000万円で何かを作って短時間楽しめるコンテンツとして500円で配信したとしよう。いったい何人に売ればビジネスになるだろう。

ざっくり計算すると、3万本売れたら元がとれる。5万本なら、750万円利益も出る。10万本なら25百万円も利益が出るのだ。

130万人集めてトントンになるのと、5万人に売れたらそこそこ利益が出るのと、どっちがどうだろう。どっちがいいかを問いたいのではなく、130万人集めるビジネスが大変になってくるなら、5万人をコンスタントに確保することを考えればいいじゃないかと言いたいわけだ。

130万人集めるには、「わりと誰もが一様にいいと思える」ことが大事になる。でも数万人なら、もう少し趣味性が強くても、志向が多少片寄っていてもいいのではないだろうか。スワンプができそうなら、それでいいのだ。

そして、片寄った志向のコンテンツで、日本だけで数万人獲得するのは難しいとしても(現にいま、本を出しても1万部突破は相当困難!)世界でなら何とかなる可能性が出てくるんじゃないか。

そうしたビジネスのエコシステムを作る時、大きなビルの大きな会社は不要なのだと思う。そういうレベルでは無理なのだと思う。数人、多くても十数人くらいでやっていくものだろう。そんな単位で人がいて、また別の場所にも十数人いて、それらの集団が時として協力しながら、コンテンツをこさえて、配信していく(ただし世界に!)。”業界”の姿は、そんな風になるのだと、ぼくは思うんだ。

”おいらとあんたの世界戦略”というタイトルにしたのは、そういう、これからのコンテンツビジネス界の姿をイメージしてのことだったの。おいらがいて、あんたがいて、あとはそうだな、あいつの力も借りようか、そんな感じでやっていくんじゃないのかな。

それって、業界が青山のオシャレで先端なイメージでやって来たのが、いきなり栃木の田んぼの中にお引っ越しする、という感じ。

悪くないんじゃない?なかなかいいんじゃない?そういうのも。おじさんはそう思うなあ。

あ、あの辺の人たちはうんうんと大きくうなずいて共感してくれている。見ると、おじさんおばさんたちだ。ぼくとそう年齢の変わらない人たち。そうね、ぼくたちはほら、バブルも若い頃経験して、その空虚さを思い知ったこの十数年だったしねえ。栃木の田んぼ、悪くないって思えるよねえ。

おや?向こうの方には、ちょっと不服げな人たちがいるぞ。あ、わりと若い、35歳以下の人たちだ。そうだよねえ、君たちは社会に出る時からして氷河期とか言われて、満たされない人生を歩んできたよね。それがここへ来て、スモールビジネスの幸福だなんて言われてもねえ。納得いかないよね、そうだよね。

よーし!わかった!そういう若者たちにはおじさんが”ドリーム”をあげよう。しかもちゃんと”おいらとあんたの世界戦略”の延長線上のドリームだ。ここまでとちがう話を言うわけじゃないよ。

ということで、次回は世界戦略大団円、の予定でお送りしますね・・・

おいらとあんたの世界戦略・その5〜さらばビッグビジネス〜

”おいらとあんたの世界戦略”の続きなんだけど、”さらばビッグビジネス”というサブサブタイトルもつけてみた。長くなってきたので、何書いてるかわかりにくいんじゃないかと。だったらその4までにもサブサブタイトルつけろよ?そうすね。そのうちね。

その5まで来たけど、そもそも、どうしてコンテンツ産業よ世界へ飛び出せ、という話が「おいらとあんたの」なのだろう。今日はいよいよ、その核心に迫るからね。

さて、メディアだのコンテンツだの、そして中でも映像関連の産業は、ビッグビジネスだった。そこが醍醐味のひとつだった。

商社に入った人で、広告代理店も考えましたが、という人、けっこう多い。その逆も意外にいる。この感覚はぼくには到底わからない。どうして代理店と商社が並ぶのか。ある時期にそういうことか、と思った。でかいことしでかす感じ、が共通しているんだ。

メディアが、中でも映像メディアがビッグビジネスなのは、そういう宿命というか、そんな風に生まれついたのだから、当然なんだ。「一度にたくさんの人に映像を流して、たくさんのものを売るのに役立つ」それがテレビ放送事業だからだ。「たくさん」ってとこがなかったら、成立しない。

映画興行も同じこと。「一度にたくさんの人に同じ映画を見せてイッキに投資を回収し、収益化する」映画とは、そういう風に生まれたのだ。

映像メディアの世界の、そういう「一発アテたれや」的なムードが大好きだ、って人も多いだろう。それはそれで、人びとの欲望をエネルギーに活気に満ちたムードが立ちこめ、魅力的ではあるだろう。

でも、そういうのは20世紀でおしまいだろう。

このブログを読んできた人なら、そこはもう説明の必要はないよね。もう映像だのマスメディアはビッグビジネスじゃなくなる。だってマスメディアがマスじゃなくなるんだから。

日本コンテンツ産業の世界戦略も、ビッグビジネスをめざすと、痛い目に遭うかもしれない。いや、えっと、ビッグビジネスを捨てることもないのだけれど、ビッグビジネスにしていこうぜ、という部分と、ビッグビジネスやめようぜ、という部分と、分けて考えた方がいいのだろう。

それに、そもそもどうしてぼくが世界進出、とか言い出しているかというと、ビッグビジネスが日本じゃ成立しなくなってくるから、なんだね。

だから、世界でならビッグビジネス的にできるかもね、という部分と、世界でならビッグビジネスにしなくてもうまくいくかもね、という部分とが、あるわけ。

例えばね、これまでの映像ビジネスを、映画で見てみよう。

製作費5億円の映画がビジネスたるためには、何人を国内で集めねばならないでしょうか。

これ、何度か説明してきた。DVDの要素を加えると話が複雑になるので、劇場収入だけでのリクープに絞ろう。ざっくり言って20億円の興行収入でトントンになる。20億円の興行収入は、何人劇場に来ればいいのか。入場料の平均をざっくり1500円(子供とかシニアとかもいるからね)とすると、133万3333人だ。

5億円の製作費は決して大作ではない。もっと低い予算の映画もいっぱいあるけど、普通に娯楽作品を製作するとそれぐらいにはなるだろう。これのもとを(劇場だけで)とるのに133万人集めないといけない。

133万人を集めるのは大変だ。そう簡単ではない。1億3千万人の人口の国では。でも世界へ出たらどうだろう。もしアメリカ合衆国3億人(しかも映画大好き)の市場に持ち込めたら?そして中国13億人の市場に持ち込めたら?アジアは?ヨーロッパは?

いや、世界市場ならそもそも、20億円でリクープできるか、なんていうちんまい話じゃなく、もっとお金かけてもっと稼げる映画つくればいいじゃない?そうそう!ハリウッド俳優と日本のアイドルの共演だ!・・・なーんてね。

んーと、そうじゃないんだわ。いや、そういう方向もあっていいんだけど、世界だ世界だとぼくが言っているのは、そっち方向の話じゃないんだわ。だってサブサブタイトルが「さらばビッグビジネス」でしょ?

何百万人集めようとか、何十億円めざそうとか、そういうの、いいんじゃない?もお。つかれね?そういうの。そして、ビッグビジネスにしたがる野望とかおさえたら、世界がちがったものに見えてくるんでね?

あ、ほら、全然話の核に届かないじゃないか。こりゃ次回、じっくりもっと解きほぐす必要があるぞ!ってんで、次回へつづく・・・

おいらとあんたの世界戦略・その4

何を言いたいのかよくわからなかった”おいらとあんたの世界戦略”も4回目。前回はグーグルとウォール街にモノづくりは負けたんだ、なんて暗いウジウジした話を書いちゃったけど、そろそろ前向きな話に切り替えるよ。

前回の最後に書いた「日本は、コンテンツ産業で世界と勝負だ!ってことなんだ。」という宣言は、中国にいじめられたから空元気で言ったんじゃない。それなりの根拠があって言っているんだよ。

前回取り上げた野口悠紀雄先生の本によれば、日本の工業化は70年代に完成された。

70年代前半は確かに、日本が高度成長を成し遂げたと言える出来事がある。1974年、長嶋茂雄が現役を引退した。同じ年、テレビ広告費が新聞広告費を超えた。これは象徴的な話だ。日本のメディアの近代化が完成されたのだ。

それから40年弱経っている。その間にバブルが到来し、それがはじけ、その後失われた十年が二十年に延長されたけど、少なくともこれまでは、”豊かな国、ニッポン”だった。40年間「おれたちなかなか豊かだぜ」と言えたのはかなりすごいことだったんじゃないだろうか。

そして日本のコンテンツ力、クリエイティビティはその間に大きく進歩した、と言えるんじゃないだろうか。

ぼくが中高生のバンド少年だった頃、クリエイションというグループがあった。70年代半ばのことだ。当時は日本のロック界の雄で、最先端の存在だった。ブルースロックを日本で初めてはっきりと世に打ち出し、商業的にも成功した。

リーダーの竹田和夫のギターの弾き方にぼくはかなり影響され、徐々にブルースそのものに興味を持つようになったもんだ。

クリエイションの楽曲は、その黄金時代、すべて英語だった。竹田和夫はインタビューに答えてこう言った。「日本語はロックに乗らない」そうなのかー、そうなんだー、日本語ではロックできないんだー。ぼくは素直にそう受けとめた。

サザンオールスターズという奇妙なバンドが登場し、「勝手にシンドバッド」というコミックソングのような曲で一世を風靡した。RCサクセションというバンドが変な声だけど印象的なボーカリスト清志郎と共に登場し、世間の注目を浴びた。彼らは日本語でロックを唄った。竹田和夫の言う「日本語はロックに乗らない」というストイックな考え方を勢いで吹き飛ばした。

80年代後半に「イカすバンド天国」という冗談のようなテレビ番組がはじまった。アマチュアバンドの勝ち抜き歌合戦みたいなコンセプトでどう見ても最初は冗談だった。その中からフライングキッズというバンドが登場してデビューした。それに続いて次々に本格的なロックバンドが世に出ていった。気がつくとJ-POPなどと呼ばれ、普通に日本語で唄う、でも明らかにロックミュージック、いや、もっと進化した音楽が生まれていった。

ぼくが大学生の頃までは、音楽にこだわる若者は洋楽しか聞かなかった。日本の音楽はほぼ”歌謡曲”でロックとは言えなかった。コード進行も単純でわかりやすいけど観賞の対象とは考えなかった。それがJ-POPの時代になるとかなり音楽的に高いレベルの楽曲が、日本人の手で生み出され、日本人が演奏して、日本人が日常的に聞くことになった。

音楽というジャンルのクリエイティビティがレベルアップしたのだ。この40年の間に。

それは、この国が豊かだったからだ。

別の話をしよう。二週間ほど前、NHKの「歴史秘話ヒストリア」を見た。「ウルトラマンと沖縄〜脚本家・金城哲夫の見果てぬ夢〜」というサブタイトルの回。ぼくはもろにウルトラマン世代で、大まかには知っていたのだけど、あらためて、円谷プロでウルトラマン誕生に関わった脚本家・金城哲夫の物語を見て、感動した。

ウルトラマンとウルトラセブン、とくに後者には、子供向けにしては強いテーマ性を含んだエピソードが数多くある。人間と宇宙人や怪獣の間で悩むヒーローの姿は、沖縄と日本の間で何かを訴えたかった金城哲夫の想いが反映されているのだ。それは当時幼かったぼくの心にも何か響くものがあった。

ウルトラマンとウルトラセブンは、そうしたテーマ性を持つ物語の要素もあるが、そもそもウルトラマンや怪獣たちのデザインはいま見ても相当にレベルが高いと思う。実際、成田亨という美術作家がその時期に円谷プロに在籍し、その多くを生み出したのだ。

成田も金城もウルトラマンに関わった当時は若者だ。成田は30代、金城に至っては20代後半だった。そうした才能ある若者がテレビ創成期に関わり、その能力を発揮してウルトラマンが誕生した。

日本のマスメディアで展開されたひとつひとつの番組や企画は、こうした若い才能たちの切磋琢磨がもたらしていったのだろう。

ウルトラマンをはじめとするそうした切磋琢磨の成果を見てぼくたちは育ち、やがて文化を生み出す側になっていった。いま、映画やテレビなどのメディアで活躍しているのは、金城や成田の子供たちなのだ。

ぼくたちは、そうした先人たちのおかげで、子供の頃からレベルの高い文化に日常的に触れて育ち、自らのクリエイティビティを育んできたのだ。そしてさらに豊かで多彩な文化を生み出すことができるようになったのだ。

ずいぶん前にぼくは、「アバター」への日本文化の影響について書いたことがある。ぼくもある方のコメントで気づいたのだけど、いろんなところで多くの人がこの点は指摘している。

ハリウッドは、日本をリスペクトしてくれているんだ。それは「マトリックス」でも言われたことだけど、最近はハリウッド映画にはっきりと日本文化の影響を見てとれる。そればかりか、日本のアニメやゲームが普通にハリウッドで映画化されてもいる。

ぼくたちは中国に、ひょっとしたらモノづくりでは負けていくのかもしれない。韓国にはすでに負けているのかもしれない。けれど、コンテンツ力では負けてなんかいない。中国はこと、クリエイティブな領域では日本へのリスペクトを持ってくれている。

モノづくりで、製造業でかなわなくなったとしても、クリエイティブな領域で尊敬してもらえるのなら、それは素敵なことではないだろうか?胸を張っていいことではないだろうか?

そう、ぼくたちは、胸を張ろう。日本は素晴らしい国なんだぜ!ハリウッドもリスペクトしてくれる文化を生み出してきたんだぜ!そう宣言して、前を向こう。自信をなくす必要なんか、ないんだ!

という、前向きな気分で、まだまだつづくよ、”おいらとあんたの世界戦略”・・・

おいらとあんたの世界戦略・その3

尖閣諸島のイザコザでちょっとめげていた”世界戦略”の話。いろいろと刺激的なニュースも今日あったので、気を取り直して書き進めようと思う。ただし、行く先は書きながら考えるのでまとまった話になるかはわかりまっしぇん。

今日、韓国LG電子が日本で液晶テレビ市場に参入するというニュースが報じられた。LGは数年前も日本市場に挑戦して成功しなかったが、今回は日本市場に合わせた製品開発をして満を持しての再挑戦なのだという。「5年以内にシェア5%」が目標なのだとか。

このニュースを見て、皆さんどう思っただろう。ぼくは「ほほお」と思った。LG電子のテレビ、ありじゃね?と感じた。LGはサムスンに次いで世界市場で2位なのだそうだ。もはや、一昔前のイメージとは違い、品質も良さそうだなあ、と受けとめた。

おや?

この感覚は、一昔前とほんとうにずいぶんちがってるんじゃないか?

LGはいつの間にか、日本の電機メーカーと遜色ないブランドイメージを確立していた、のではないかしら?いやこれは、人にとってかなり感覚が違うところだろう。少なくともぼくは、そう感じている。悪くないんじゃないかと思ってる。ニュースで見たチョー薄いテレビの姿に、LGならそうだろうな、いいんだろうな、と納得していた。いや、だが、しかし、いつの間にそれが自然になっていたんだ、ぼくの中で・・・

さて一方で、SHARPがこれも満を持して、タブレット端末を発表。その名もGALAPAGOS!・・・どっひゃー!

いやこのネーミングは、どう考えても敢えてつけたわけで、ガラパゴス製品で世界へ勝負だ!という前向きな意志と受けとめようじゃないか。

ただ、LG電子の液晶テレビ、悪くないんでね?という感覚とセットで捉えると、やはりもやもやしてしまう。そんな日本市場の閉鎖性を逆手にとったネーミングを敢えてしないといけない状況なの?と。

さてここで唐突に本の紹介。野口悠紀雄著『経済危機のルーツ モノづくりはグーグルとウォール街に負けたのか』

経済危機のルーツ —モノづくりはグーグルとウォール街に負けたのか野口 悠紀雄東洋経済新報社このアイテムの詳細を見る

野口悠紀雄先生は、ぼくが90年代から強い影響を受けたひとりだ。わかりやすいとこでは超整理法シリーズなんていうベストセラーもあるんだけど、そっちではなく。あ、でも野口悠紀雄先生の話はまた別の機会に書こうかな。

この本はようするに、「日本のモノづくりはグーグルとウォール街に負けたのか?負けたのだ」という内容が書いてある。70年代から世界と日本の経済の様相を振り返り、日本が世界の変化に取り残されて負けそうだぜ、という話なのだ。

アメリカやイギリスは80年代に大改革をして製造業をあきらめた。そして金融とITにシフトした。金融とITは非モノづくり産業であり、頭脳産業である。工業化が進むと、そこから脱皮して頭脳産業中心にシフトしないとどうしようもなくなるんだぜ、ということだ。

日本は、90年代以降もそういう産業シフトができなかったばかりか、旧来型の重厚長大製造業をなんとか死守しようとしてきた。でも、製造業では新興国にどうやったって勝てないんだぜ、ということらしい。

LG電子の液晶テレビもいいんでない?と感じていることと、野口悠紀雄先生の高説を併せてとらえると、うーむ、と考え込んでしまう。日本経済の行方とか、大した知識でもないのに心配してしまう。

でも、だからこそ、ぼくがここで、この”クリエイティブビジネス論”と題したブログで、”世界戦略”などと大上段に書き進めている意味があるのだよ。

日本は、コンテンツ産業で世界と勝負だ!ってことなんだ。

うは、大きな文字で威勢よく書いちゃったねえ。しかし、マジで、そんな大袈裟なレベルで考えるべきだと思ってるのですわ。

そんなさあ、狭い島国で、せせこましくやってきた日本のコンテンツ産業が、世界に打って出られるのかよ。だいたい、このブログでは散々、世界第2の市場だけどアメリカに比べるとちっこい市場だって書いてきたじゃんよ。

それはそう。そうだけど、一方で世界第2のマーケットではあったんだ。世界に打って出る権利と可能性は、世界で2番目に持ってるはずじゃないか。

そのあたり、もう少し話を深めていくんでね、だんだんね、盛り上がっていくよ・・・たぶんね・・・

ビルコム社とセミナーをやった

世界戦略などとお気楽に書いていたら、そんな甘っちょろい話を吹き飛ばすような出来事があった。尖閣諸島での事件と、それに対する政府の対応について皆さん批判轟々。

コンテンツ業界も中国だ、ってあまり大きな声で言う感じでもなくなっちゃった。と言うか、ぼく自身がモチベーションダウン。お気楽なこと言ってたおれって、能天気すぎたのかなー、と。

ということで、しばらく世界戦略は置いといて、しれっと別の話を書こう。

えー、先日、ビルコム社と”共同セミナー”をやりました。

ビルコム社って何でしょう?ずいぶん前にこのブログで書いた、iPadを使った広告展開を具現化したPR会社です。クリニークの『SMILE』や協和発酵キリンの『情熱の系譜』などで、”広告としてのiPadアプリ”を企画した実績がある。

その記事を書いたあと、これは素晴らしい!と思ってさっそくお会いして「iPadで一緒にいろいろやりましょう!」と意気投合し、じゃあまずは共同でセミナーやろうということになった次第。まだ若い会社で社員の方々もみんな若い!そしてイキイキしている会社です。

クライアント企業の皆さまにお声がけして、ビルコム社からはiPad展開の実績やマーケティング的な意義を解説し、ぼくの方からはここで語ってきたようなことをまとめて発表したのでした。

その時つくったKeynoteファイルの中の1ページが上の図。ここで特別サービスで公開しちゃう。

この図は、これまたずいぶん前に「ソーシャル化で変わろうとしていること」のタイトルで書いた記事に使った”図”で、けっこう反応をいただいた。いわゆるソーシャルフィルタリングでメディアやコンテンツとの接し方が変わってきていることをモデル化したもの。

そこにiPadが加わることでどうなるのかをプラスしてみた図なわけです。コンテンツとのソーシャルな接し方の入口あるいはシンボルのような役割を、iPadが担うのではないかと。これを広告として展開すればよいのではないかと、そういう提案なのですね。

日々iPadを使っていると、タブレット端末が今後、あらゆるメディアやコンテンツのゲートウェイのような役割になりそうだと実感できる。とくにTwitterを使っていると、iPadでみなさんのつぶやきをチェックし、面白そうな話題にくっついているURLをクリックし、そのサイトをiPadで見る、という循環ができてくる。実際にこの図のように、つぶやきから企業サイトにたどり着いたことは自分でも何度もあるんだ。

こういうことが普通になってきたら、広告はメディアへの投下量とともに、どれだけ人びとの話題になりえるかが重要になってくる。面白い企画であれば、いろんなメディアに合わせて展開しておき、どれもこれも広告展開の入口になるだろう。そして、その核としてのiPadコンテンツを設置しよう、となるはずだ。

そんな理屈とともに、そのセミナーでぼくが伝えたことがある。

何よりも大事なのは、「一緒に面白いことしたい!」というモチベーションだということ。いま広告は閉塞感がある。それはクライアント企業の担当者の方たちも同じだろう。でも、宣伝だのマーケティングのセクションにいる人は、ROIがどうしたとかPV数でCTRがどうのこうのの前に、面白いことしたい!という想いは持ってるんじゃないか。だったら、そこがまずいちばん大事だと思う。

面白いことしたい!という気持ちがあれば、ROIもCTRも乗り越えて、上司の皆さんのハンコも乗り越えていけるはず。もちろん必要なデータやロジックは整えた上で、ハンコもらうのに最後に大事なのは、”とにかくやりたいっす!”という情熱なのだと思う。

そんな個人的な思いを、みなさん失わないようにしましょうね、と、これがいちばん言いたかったこと。

さて、このセミナー用にKeynoteファイルをつくったのがもったいないなと思ってね。もしおれにも見せてくれよって人がいたら、どんどん見せちゃいます。ホントにここで書いてきたことまとめたものなので、何かすごいプレゼンってほどでもないのだけど。そんなのわかってるよ、って内容かもしれない。

でも、例えば「上司や同僚にiPadの可能性をわかってほしいんだよね」とか「自分の部署でのiPad活用を議論する材料が欲しい」とか、そんな題材にはしてもらえるかもしれない。ちょっと来て、そのKeynote使ってしゃべってくんない?という要望があったら、言ってくれればどこへでも行きます!

まずはこのブログの左上の方にある”メッセージ”というメニュー(プロフィール欄のすぐ下)でコンタクトしてみてください。遠慮はいらないからね!

さて、それにしても「世界戦略」のつづき、どうしようかな・・・書く気がわいてきたら、また、そのうち、ね・・・

おいらとあんたの世界戦略・その2

はい、前回に続いて、クリエイターの世界戦略について話を進めていくよ。・・・と思ってたんだけど、中国のことについてもう少し書いた方がいいかなと。そう、日本のクリエイターの今後にとって、中国はホントに大事だと思うんだよね。

とは言え、中国経済について詳しく知っているわけではないんだ。ただ、このところチャイナパワーを強く実感する体験をしたものでね。それについて書こう。

そもそも、”クリエイティブビジネス”と中国の関係について考えるようになったきっかけは、NHKの番組だった。去年の秋のNHKスペシャル「チャイナパワー・電影革命」という番組を見て衝撃を受けたのだ。これについてはその時に書いた記事があるから読んでみて。(この時も人口についてふれているね)

それ番組に衝撃を受けて以来、中国をぼくたちの仕事との関係で気にするようになっていた。

さて、ぼくは8月の末に仕事で札幌に行った。ちょっとした付き添いのつもりだったので、避暑気分でお気楽な気持ちで行ったら、熱かった。いや、気温が異常に高くて暑かったのだけど、それとは別に、中国に対して熱かったのよ。

けっこうスケジュールが詰まっていて観光はできなかったのだけど、例の時計台の前を通った。なんだ、意外にビルに囲まれた中にあるんだ、と見ていると、やはり札幌観光のシンボルだけあって、写真を撮っている人がけっこういた。でも、なーんか雰囲気ちがう・・・と思ったら、みんな中国語をしゃべっているんだ。あれ?じゃあこの人たちみんな、中国からの観光客なの?

北海道は東京より中国と近い。距離の話じゃなく、経済的にね。例えば札幌駅のビルに、ダーンと中国語の垂れ幕がかかっている。「銀聯なんとかかんとか」と書かれている。中国のクレジットカード”銀聯”カードが使えますよ、と書いてあるのだそうだ。デパートなどにも中国語ができるスタッフが多いらしい。

なんでも、北海道を舞台にした恋愛映画が中国で大ヒットしたこともあり、ここ数年で観光客がわんさか来るようになったのだそうだ。

あるいは、札幌のメディアの方と話すと、中国の話題が出てくる。しかも真剣なビジネスの相手として捉えている。これは失礼な言い方かもしれないけど、東京のメディアより状況が深刻だというのもあると思う。中国とやっていかねば!という意志がビンビン伝わってくる。中国のメディアとすでに具体的な提携関係などを結んでいたりするのだ。

秋葉原の大学院で地域活性化などについて研究されている@kenny715さんは、「これからの地域活性はLocal to Localがキーワード」とよくおっしゃる。それがまさに、札幌では具現化されているのだ。

もうひとつ、少し前の話だけど、中国からアニメ関係の方が来て交流会があるのでと誘われた。同僚のアニメ作家、@GonNomuraとともに参加してみた。

内陸のある都市から来た一行だったのだけど、なんというかものすごい熱さを感じた。なんでも、その都市に”クリエイティブ産業”を育成しようと、数十万人(数万人じゃなくて!)の人が集まっているのだとか。コンピュータのソフトウェア関係から、WEBのテクノロジーや、CGやアニメーション制作の会社がわんさかあるらしい。国策によって税制面の優遇策もあって、とにかく国を挙げて育てよう、ということなのだ。

会食の席が持たれ、ぼくも@GonNomuraとともに参加した。彼の地でアニメーション制作会社を起業したという青年と話したのだけど、そのエネルギーに圧倒された。通訳してもらいながらなんとか会話し、何か一緒にできるといいですね、と社交辞令的に言うと、「なんたらかんたら!」と言いながら握手し、乾杯を求められる。何度も何度もね。

なんつうか、負けてる気がした。

80年代の日本人を、アメリカ人はこんな気持ちで見ていたんじゃないかな。この人たち、垢抜けないけど、おれたちそのうち呑まれるな。

実際、CGやアニメーションの分野では、「日本の頭越し現象」が起こっているそうだ。ハリウッド制作の映画のCGやアニメーションの外注先として、中国がいま普通になってきている。日本は、高いし、けっこう細かいこと言うし、使いにくいよ、中国は安いし、とやかく言わないし、ということだ。香港やオーストラリア・ニュージーランドも含めて、環太平洋映像制作圏みたいなものが、日本だけ外してできつつあるらしい。とほほ、だね。

そんな、クリエイティブ産業のガラパゴス現象、ジャパン・パッシングが実際に起きている中、ぼくたちは世界戦略を持たねばならない、というわけ。とほほ、と嘆いてばかりいちゃまずいっしょ、と。

それにね、嘆いているだけを脱却して、前向きな気持ちになれば、前向きになるべき要素はあるんだと思う。ということで、おいらとあんたの世界戦略、しばらく続けるからね・・・

おいらとあんたの世界戦略・その1

ここんとこ、佐々木さんのこととか、『街場のメディア論』とか、このブログの本題からややそれていたかもしれない、と気づいた。やっぱこのブログは、そいでそいで?iPadはどうなるんだろうね?って人が読んでくれてると思うので、そっちに話題を戻そう。

さて前回も書いたけど、iPadが中国で発売されると発表があった。というか、もう発売されたらしい。WiFiモデルのみということだそうだ。

これは大きな出来事ですぞ!

何度か書いてきたけど、アジア市場、とくに中国市場をぼくらは意識しないといけない。まちがいなく成長するわけだし、日本国内のコンテンツ市場がどんどん情けないことになっていくいま、虎視眈々と狙わないといけない。そこでしばらく、”世界戦略”みたいなことを壮大なスケールでお届けしてみたいと思う。

これも何度か書いてきたことだけど、ぼくたちは人口のことをよく考えねばならない。日本はなぜGDP世界2位だったのか。

人口が多かったからだ。いやもちろんそれだけではないけど、人口は大きなファクターだったのだ。

例えばこの、Wikipediaの「国の人口順リスト」を見てみよう。日本は10番目だ。そして順番に並べてみると、中国、インド、アメリカ、インドネシア、ブラジル、パキスタン、バングラデシュ、ナイジェリア、ロシア、日本・・・。アメリカを除くと、先進国(って言い方もどうよ?)ではない。

日本の次ぎにメキシコが1億人、あとは、千万人単位になってくる。G7に入っているような先進国では、ドイツが8千万人、フランス・イギリス・イタリアが6千万人。

日本って人口多い方だったんだ。そしてGDP世界2位ってのも、ひとつにはこの人口も大きかったわけだ。世界2位なんて言われると、世界で2番目に偉かったんだぞ、って気になるけど、そうとも言えない。80年代にはジャパン・アズ・ナンバーワンなんておだてられていい気になってたけど、「でもおめえんとこは人数多いからな」ってイギリスやフランスに影で言われてたかもしれない。

トム・クルーズはどうして主演作のたびに日本に来て朝のワイドショーのインタビューに快活に答えるのか。日本は人口が多くて世界第2の映画興行市場だったからだ。いいお客さんだったのだ。

つまり日本は、東洋のはずれのちっぽけな島国、なんかじゃなかったんだ。いや、ちっぽけな島国ではあるけれど、そこにやたら多くの人が住んでいる国だった。近代化にとって人口と、その密度は大きな要因になる。日本人は勤勉だし、江戸時代から教育レベルも高かった、かもしれない。でも、その上に狭い国土に高い密度で人がいたから、欧米に追いつけ追い越せができたんだ。

そしていわゆるガラパゴス市場も、この微妙な人口の多さが作り上げたといってもいいんじゃないか。

さっき例に挙げた、世界第2の映画興行市場。トップのアメリカは、1兆円弱ぐらいある。日本は2000億円だ。約5倍。5倍も市場がちがう。でも世界第2。そこ、微妙でしょ?なんだか中途半端、じゃない?

アメリカほどじゃないけど、ぼくたち世界第2の市場だもんね。ってことで、世界に打って出る必要性がカラダで感じられなかった。世界に出なきゃやってけないぞ、という必死な空気は生まれなかった。まあ、なんとかやってけるしね、ってんで、国内市場で満足していた。

韓国ドラマがアジアで売られている。国を挙げての取組みをやってきたからだ。なんで?韓国は人口が48百万人だ。映画やドラマをガンガン作っても、国内だけだとやってけないんでね?ってことで、必死で国外に市場を求めた。その成果が出ているわけだ。

そしてようやくいま、霞が関のえらい人たちからそんじょそこいらのサラリーマンのおっさんまで、海外に出なきゃいかんよ、コンテンツ産業だってそうだよ、と言うようになってきた。今年に入ってその空気はイッキに出てきたと思う。

そんなさなかのiPadであり、中国発売、ということだ。これは視野に入れないわけにはいかないっしょ。いよいよ日本のコンテンツが世界に出て行くべき時だ。その象徴的なニュースとして捉えたいところ。

なるほどね、だったら大きなテレビ局とか出版社の人たち、がんばってね、という他人事で済ましてはならんのよ。よし、中国めざそう、世界へ羽ばたくぞ!と、ぼくやあなたが奮起しないといけないんだ。おいらとあんたの世界戦略を練らなくちゃ!

これは決して、そういう意気込みで頑張りましょう、という精神鼓舞で言ってるんじゃないのよ。これからのコンテンツ産業の世界戦略は、大きなメディア企業ではなく、おいらとあんたのレベルで考えないといけないの。だからiPad発売のニュースが象徴的だと言っている。

ということで、タイトルで掲げた本題に入っていくところなんだけど、ここまで長くなっちゃったので、また次回。なんか、人口の話だけで今回終わっちゃったね。ま、更新頻度あげていくからさ・・・

『本当に使えるウェブサイトのすごい仕組み』は本当に使える!

一週間も更新をサボってしまった。いかんいかん。

何しろ先週は忙しかった。いろんなことはじめてるもんでね。それに夜は飲み会が続いて・・・いやそれだって仕事だからさ・・・(そうでもないかな?)

サボってる間にまた目まぐるしくいろんなニュースが飛び込んでいた。iPadが中国で発売されるわ、アドビがiPad向け制作支援ツールをリリースするわ、加賀ハイテックがタブレット端末発表するわ、GoogleTVの10月発売が決定するわ・・・

それぞれについて書きたいことあるんだけど、どれから書いていいかわからない。そこで!ってんでそれらのニュースとは関係なく、佐々木俊尚さんの『本当に使えるウェブサイトのすごい仕組み』について書くよ。脈絡なさすぎ?

え?それ前に書いたじゃん、って言われそう。うーんでも書きたりてないなと思ってさ。何度も言うけど、自称”第一使徒”だし。

そもそも前の記事を読んでないな、って人は、ここから読んでください。その続きになってるもんでね。

はい、読みましたか?

で、その記事ではこの本の読み方についてステップ4まで書いた。そして今日はステップ5です。

まだあんのかよ、ステップが。そう、あるんです。肝心なことを書いてなかった。この本は使わないと意味がないってことを。

『本当に使えるウェブサイトのすごい仕組み』は、全部で28ものWEBサービス(スパイダーはWEBじゃないか)について書かれている。それらを実際に見てみないと、この本を読んだ意義がないってわけ。

佐々木さんの本では、これまでもすごく実際的にITサービスが紹介されていた。そこは懇切丁寧と言っていいほど。ぼくは『ネットがあれば履歴書はいらない』を読んでそこに書かれているソーシャルサービスにひとつひとつ登録していった。『仕事するのにオフィスはいらない』を読んでは、ふれられているクラウドサービスをどんどん使ってみた。その際に、どう登録してどう使えばいいか、すごく具体的に書いてあるのだ。

『本当に使えるウェブサイトのすごい仕組み』でも、とりあげているサービスについてやはり実際的に書いてある。ぼくは少しずつ使ってみている。

いちばん驚いたのは、Alike.jpだった。これは検索すればすぐ出てくるので見てみるといいと思う。グルメとホテル、リラクゼーション&ビューティ情報が得られるサイトだ。

ぼくは仕事上でレストランを探すことがよくある。その際、食事する店を選ぶのはいつも悩む。当然ながら「ぐるなび」と「食べログ」をよく使う。使うんだけど、毎度毎度途方に暮れる。とくにビジネス相手との会食で、情けない店を選ぶのはまずいわけだ。するとどうしても、悩んだ末に同じ店になってしまう。うーん、もっと選択肢を持ちたいものだがなー、といつも思うんだ。

そこで感じるのは、選択肢をたくさん提示してくれるより、「おれにぴったりの店を教えてくれよ!」ってことだ。

Alike.jpは、それを実現してくれる。どうやってかと言えば、「あんたはだいたいこんな人だろ?」と決めつけるのだ。

最初の登録時に、けっこう細かいことを入力させられる。そこを嫌がっちゃいけない。自分について、できるだけ細かに明らかにしていく。するとまず、じゃああんたはだいたいこんな人だね、と提示してくる。具体的には、Alikeカードというのを提示される。そこに性格とか仕事のやり方とか、書かれている。

カードは20種類。そんな20種類に人間を分類できんのかよ、なんてモンク言ってもしょうがない。まあ血液型や星座よりずっと多いんだからいいんじゃないの?

そんな20種類の分類とか、年齢や業種などから、「あんたが好むのはこんな店だろ」というのを選んでくれる。びっくりしたのは、自分の勤務地のエリアで店の候補を出すと、行ったことある店がけっこう出てきたのだ。ふーん。なんかわかってんじゃん、おれのこと。ということは、他の候補もおれの好みなんだろうな、と思えるわけ。

「おれが○○したい○○を教えてくれる」というのが、これからすごく重要になるのだと思う。お店選びにしろ、音楽や書籍にしろ、もはやたくさんの選択肢を並べるだけじゃ選択できない。だからといって、人気順とか新着順とかを提示されても意味がない。

これまでのWEBは、山ほどの選択肢を、新しい順か、人気順に並べることばかりやっていた。ブログのシステムがその典型だ。このブログだって新しい順番に記事が並べられる。ブログサービスによっては、アクセス数の多かった記事を提示するパーツもあったりはする。でも、「クリエイティブビジネス論」のかれこれ3年以上書いてきた記事の中で、あなたが読むとためになる記事は奥の方に隠れているのかもしれない。

「おれが知りたいニュースを読ませてくれるニュースサイト」「おれが見たい映画を教えてくれるVODサービス」「おれが読むべき本を教えてくれる電子書籍サービス」「うちの家族が今度の連休に行くべき行楽地情報」そんなことを実現してくれることが、これから重要になってくるんじゃないだろうか。そこに少しでも近づけていくようにシステムを進化させないと、いつかそのサービスは見離されてしまうのではないだろうか。

『本当に使えるウェブサイトのすごい仕組み』は、そんな風に、これからインターネットとぼくたちの生活はどう変わるのか、こう変わるのか、ということを考えるのに最適なテキストだ。考えるには、紹介されたサイトを実際に使ってみることだ。これ、意外に、ひとつひとつちゃんと体感していくと時間かかるのよ。読むだけでなく、使ってみる。それがこの本の正しい活用法なんだぜ。

ところでこの本、いちばん最初に「プーペガール」をとりあげている。若い女性向けのアバターサイトで、ビジュアルはもう100%イマ風の女の子ワールド。このサイトを、あの佐々木さんが武骨な顔でふむふむこれはすごい!とか言いながら見ていたかと思うと、うぷぷと笑ってしまった。「登録は簡単です」なんて本文にあったし、ひょっとしてアバターも作ってみたりしたのかなあ?・・・うぷぷぷ

という、一週間ぶりの更新でした。今週はもうちっとは頻度を上げるからねー・・・

佐々木俊尚セミナー「ネット広告の未来地図」からエッセンスを

前回の記事では”日記”と称して佐々木俊尚セミナーで起こったことについて書いたけど、カンジンのセミナーの内容にはふれていなかった。佐々木俊尚の”第一使徒”を自称するからには、何か書かないわけにはいかないかな。

@hhoshiba さんも「佐々木さんのサマライズをキボンヌ」とTweetをくれていて逃れられそうにもないので、書くよ。書きますよ。でもサマライズってほどでもないけど。

この講演は佐々木さんがいま書いている広告についての著作から語られている様子。サマライズは上手にできそうにないので、そのエッセンスを書き記しておこうと思う。

講演のタイトルは「ネット広告の未来地図」というもの。これから起こるであろう広告の変化を、インターネットでの新潮流から予測していく。そして関係ないようで関係あるのが、『電子書籍の衝撃』だ。広告と出版は一見、直接的な関係はないようだけど、二つの著作は明らかにつながっているのだと思う。

実際、講演の前半では「パッケージ vs コンテキスト」というテーマで語られる。パッケージ、つまりタレントイメージやテレビCM、売上ランキングなどの要素があいまって記号消費がなされる。それがこれまでの消費形態だった。でもこれからはコンテキストが消費を生み出すようになる。そしてコンテキストを生み出すものこそ、ソーシャルメディアなのだという。

ここまでは『電子書籍の衝撃』を読んだ人なら、うんうん、なるほどとうなずくところだろう。あの本を復習しながら、それを広告というテーマで咀嚼しなおしたような話だ。あ、読んでない人もいるの?そりゃいかん。いますぐ買おう。

どうせ買うなら書店で買うのがいいけど、ディスカバー21社のデジタルブックストアに行けば、電子書籍の形で読めるよ。PCでも読めるし、iPhoneユーザーなら通勤時の電車の中で読めちゃう。

話がそれたね、そしてここでキーワードが出てくる。

大河とスワンプ。たぶん佐々木さんの次の著作のキーワードになるんじゃないかな、というコトバ。概念。捉えた方。

これまでのマスメディアでの情報流通は”大河”だった。講演ではここでプロジェクターにほんとに大河の写真が映し出された。

大河だったと言われれば、確かにね、となるよね。大量に流れる幅の広い水の流れがマスメディアだった。そうすると広告はその適切な中流の岸で、送り届けたい情報を大河にばらまけばいい。あとは黙っていても、大河の流れにその情報は乗っかって、あまねく人びとに届いていたわけだ。

それがこれからは、スワンプになる、と佐々木さんは言う。”swamp”とは湿地とか沼地などと訳される。同じ水でも、大河のようにどかーんと流れているのではなく、小さく溜まった場所。それがあちこちにいっぱいあるのだと。これからの情報の生息の仕方はそうなるのだと言っているわけ。

そうすると広告は、適当に中流の岸からばさっと、というわけにはいかなくなる。池や沼を探して、情報を少しずつ撒いていかねばならなくなる。あっちの沼で、どうもどうもと言いながら撒いて、こっちに池があったぞってんではじめましてとか言いながらまた撒く。

大河からスワンプへ、というのはそういうことを言っているのだ。

これは言われてみると、すでに行われていることなのだろう。ぼくたちもちょうどこないだのミーティングで、同じような話になった。ある企画をもとにiPadコンテンツを配信する準備をしているのだけど(これについてはそのうち書くけどね)、そのリリース情報をどうプロモーションするか。アプローチすべきメディアをリストアップしようとなった。それがつまり、スワンプ探しにあたるわけだ。

佐々木さんは続いてこう語る。そういう風にこれからのメディアをとらえていくと、情報は人を軸にして流れていくことに気づく。その軸となる人がキュレーターなのだ。

ほら出てきた”キュレーター”。佐々木さんの言動によく登場するキーワード。これ重要。憶えておきましょう。って言うかみなさんもう知ってるよね。知らない人はこの機に調べましょう。面倒くさいからここでは語らないよ。

さてここまではいいとして、これですべて解決、というわけではない。課題は多々残されている。

例えば、ということで出てきた話として、Facebook。4億人のユーザーを抱えるこのソーシャルメディアが企業としての売上は5億ドルだという事実。5億ドルって、いま円高だから400億円台前半。これ、言われるとちょっとビックリ。世界を席巻しつつある巨大なソーシャルメディア企業が、売上げ400億円かよ。

これについて佐々木さんは「ソーシャルメディアにおける消費意欲の生成が計測化できていない」と言っていた。

Facebook上で例えばコカコーラのような巨大な企業がアカウントを持ち、ユーザーを大いに集めてコカコーラ・ファンを育てている。明らかにそこでは消費意欲が生成されている。そのことに対する価値が計測できていない、だからFacebookの収益になっていない。

企業がアカウントを持つのにコストがかからないからこそやっているのだ、とも言えるけど、もったいないことになっている。これはぼくが思うに、広告がいまだ解決できていない課題だろう。ユーザーが「好きになった」とか「いい感じだと思った」ことは少なからずその商品の売上に貢献しているはずだ。でもそこは計測できないのだ。

これまでのマスメディア時代の広告でもそこは同じだった。テレビスポットを大量に出稿して「サービスを認知した」部分と「CMを通してサービスに好意を持った」部分と両方あったはずなのだけど、前者は調査しやすいのに対し、後者は難しかった。せいぜい、イメージ調査で「好感度が上がりました!」ぐらい。それが売上にどう結びついたかはあまりはっきり言えなかった。

ソーシャルメディアの面白い部分は、実はそこにあると思う。明らかに消費意欲を生成する。けれどもどこか曖昧なものなのだ。ほほお!と思った、とか、なんか面白そう、と興味を持った、とか、そんな”気持ち”を動かすのがソーシャルメディアだとぼくは受けとめている。そしてその”気持ち”が時として連鎖反応を引き起こしもする。行き交うのは一時的な情報ではなく、その情報をもとにした”気持ち”が人びとの言葉になって伝わっていくのだ。

そしてだからこそ、計測不能。でもそこをなんとかしないと、広告業が成り立つのだろうか、と心配になってしまう。

佐々木さんが今後の課題としてもうひとつちらりと触れたのが、クリエイティブだった。商品とコンテキストの「場」でクリエイティブは生まれるのか、という問いかけ。

別の言い方をすれば、商品について先ほどの”スワンプ”のような池や沼で情報が流通していくとした時に、クリエイティブは必要なのだろうか、ということだろう。ソーシャルメディア上で大なり小なりの”キュレーター”が商品情報を流してくれるのだとして、彼らが語りたくなるような商品情報を伝えていく時、クリエイティブが介在する余地があるのか。

佐々木さんはそこで、iAdの話をした。iAd発表時に「検索ではない。アプリがパッションをもたらすのだ」とジョブズが言ったという。それを紹介した。

ここもすごく面白いところで、いま答えはない、というのが答えだろう。だけどぼくもiAdが発表された時、そこにクリエイティブの未来があるぞ、とビビッと感じた。「検索ではない」というフレーズも重要で、インターネットが検索の場として伸びている時、広告クリエイティブはいらなくなるのかと暗い気持ちになったのだけど、ここへ来てちがってきた気がするのだ。その象徴がiAdだった。

「アプリがパッションをもたらすのだ」という言い方には、やはり消費にはパッションが必要だという前提がある。商品情報の流通はまったくの利便性や合理性だけではホットにならない、とぼくは思う。やはり「うわ!なにそれ?」とか「なんかおもしろー!」という”パッション”が必要なのだと思うのだ。その舞台がテレビや新聞というマスメディア(大河)一辺倒だったのが、これからは例えばアプリの形になるのではないだろうか。

ぼくがiPadにこんなに興奮し続けているのも、そこにクリエイティブの”居場所”を感じとったからだ。少し前の記事でも「コンテンツはアプリになる」と書いたけど、ということは、広告コンテンツもアプリになっていくはずだ。であれば、そこにクリエイティブが活躍する舞台が新たに生まれるのだとぼくは思っている。

うーん、佐々木さんの講演のちょいとエッセンスを書くつもりが長くなっちゃったねー。それに講演の中身よリ、それを受けてぼくが考えたことの方が分量が多いや。まあ、あとは次の著作が世に出るのを待つべきだってことだね。それまではもちろん、『本当に使えるウェブサイトのすごい仕組み』を副読本として読んでおこう。

そうそう、この本についても書きたりないことがあるので、それは次回ね。しばらくこのブログは、佐々木俊尚ウィークになっちゃうのかも。”第一使徒”だから仕方ない、ってことで・・・