佐々木俊尚セミナー「ネット広告の未来地図」からエッセンスを

前回の記事では”日記”と称して佐々木俊尚セミナーで起こったことについて書いたけど、カンジンのセミナーの内容にはふれていなかった。佐々木俊尚の”第一使徒”を自称するからには、何か書かないわけにはいかないかな。

@hhoshiba さんも「佐々木さんのサマライズをキボンヌ」とTweetをくれていて逃れられそうにもないので、書くよ。書きますよ。でもサマライズってほどでもないけど。

この講演は佐々木さんがいま書いている広告についての著作から語られている様子。サマライズは上手にできそうにないので、そのエッセンスを書き記しておこうと思う。

講演のタイトルは「ネット広告の未来地図」というもの。これから起こるであろう広告の変化を、インターネットでの新潮流から予測していく。そして関係ないようで関係あるのが、『電子書籍の衝撃』だ。広告と出版は一見、直接的な関係はないようだけど、二つの著作は明らかにつながっているのだと思う。

実際、講演の前半では「パッケージ vs コンテキスト」というテーマで語られる。パッケージ、つまりタレントイメージやテレビCM、売上ランキングなどの要素があいまって記号消費がなされる。それがこれまでの消費形態だった。でもこれからはコンテキストが消費を生み出すようになる。そしてコンテキストを生み出すものこそ、ソーシャルメディアなのだという。

ここまでは『電子書籍の衝撃』を読んだ人なら、うんうん、なるほどとうなずくところだろう。あの本を復習しながら、それを広告というテーマで咀嚼しなおしたような話だ。あ、読んでない人もいるの?そりゃいかん。いますぐ買おう。

どうせ買うなら書店で買うのがいいけど、ディスカバー21社のデジタルブックストアに行けば、電子書籍の形で読めるよ。PCでも読めるし、iPhoneユーザーなら通勤時の電車の中で読めちゃう。

話がそれたね、そしてここでキーワードが出てくる。

大河とスワンプ。たぶん佐々木さんの次の著作のキーワードになるんじゃないかな、というコトバ。概念。捉えた方。

これまでのマスメディアでの情報流通は”大河”だった。講演ではここでプロジェクターにほんとに大河の写真が映し出された。

大河だったと言われれば、確かにね、となるよね。大量に流れる幅の広い水の流れがマスメディアだった。そうすると広告はその適切な中流の岸で、送り届けたい情報を大河にばらまけばいい。あとは黙っていても、大河の流れにその情報は乗っかって、あまねく人びとに届いていたわけだ。

それがこれからは、スワンプになる、と佐々木さんは言う。”swamp”とは湿地とか沼地などと訳される。同じ水でも、大河のようにどかーんと流れているのではなく、小さく溜まった場所。それがあちこちにいっぱいあるのだと。これからの情報の生息の仕方はそうなるのだと言っているわけ。

そうすると広告は、適当に中流の岸からばさっと、というわけにはいかなくなる。池や沼を探して、情報を少しずつ撒いていかねばならなくなる。あっちの沼で、どうもどうもと言いながら撒いて、こっちに池があったぞってんではじめましてとか言いながらまた撒く。

大河からスワンプへ、というのはそういうことを言っているのだ。

これは言われてみると、すでに行われていることなのだろう。ぼくたちもちょうどこないだのミーティングで、同じような話になった。ある企画をもとにiPadコンテンツを配信する準備をしているのだけど(これについてはそのうち書くけどね)、そのリリース情報をどうプロモーションするか。アプローチすべきメディアをリストアップしようとなった。それがつまり、スワンプ探しにあたるわけだ。

佐々木さんは続いてこう語る。そういう風にこれからのメディアをとらえていくと、情報は人を軸にして流れていくことに気づく。その軸となる人がキュレーターなのだ。

ほら出てきた”キュレーター”。佐々木さんの言動によく登場するキーワード。これ重要。憶えておきましょう。って言うかみなさんもう知ってるよね。知らない人はこの機に調べましょう。面倒くさいからここでは語らないよ。

さてここまではいいとして、これですべて解決、というわけではない。課題は多々残されている。

例えば、ということで出てきた話として、Facebook。4億人のユーザーを抱えるこのソーシャルメディアが企業としての売上は5億ドルだという事実。5億ドルって、いま円高だから400億円台前半。これ、言われるとちょっとビックリ。世界を席巻しつつある巨大なソーシャルメディア企業が、売上げ400億円かよ。

これについて佐々木さんは「ソーシャルメディアにおける消費意欲の生成が計測化できていない」と言っていた。

Facebook上で例えばコカコーラのような巨大な企業がアカウントを持ち、ユーザーを大いに集めてコカコーラ・ファンを育てている。明らかにそこでは消費意欲が生成されている。そのことに対する価値が計測できていない、だからFacebookの収益になっていない。

企業がアカウントを持つのにコストがかからないからこそやっているのだ、とも言えるけど、もったいないことになっている。これはぼくが思うに、広告がいまだ解決できていない課題だろう。ユーザーが「好きになった」とか「いい感じだと思った」ことは少なからずその商品の売上に貢献しているはずだ。でもそこは計測できないのだ。

これまでのマスメディア時代の広告でもそこは同じだった。テレビスポットを大量に出稿して「サービスを認知した」部分と「CMを通してサービスに好意を持った」部分と両方あったはずなのだけど、前者は調査しやすいのに対し、後者は難しかった。せいぜい、イメージ調査で「好感度が上がりました!」ぐらい。それが売上にどう結びついたかはあまりはっきり言えなかった。

ソーシャルメディアの面白い部分は、実はそこにあると思う。明らかに消費意欲を生成する。けれどもどこか曖昧なものなのだ。ほほお!と思った、とか、なんか面白そう、と興味を持った、とか、そんな”気持ち”を動かすのがソーシャルメディアだとぼくは受けとめている。そしてその”気持ち”が時として連鎖反応を引き起こしもする。行き交うのは一時的な情報ではなく、その情報をもとにした”気持ち”が人びとの言葉になって伝わっていくのだ。

そしてだからこそ、計測不能。でもそこをなんとかしないと、広告業が成り立つのだろうか、と心配になってしまう。

佐々木さんが今後の課題としてもうひとつちらりと触れたのが、クリエイティブだった。商品とコンテキストの「場」でクリエイティブは生まれるのか、という問いかけ。

別の言い方をすれば、商品について先ほどの”スワンプ”のような池や沼で情報が流通していくとした時に、クリエイティブは必要なのだろうか、ということだろう。ソーシャルメディア上で大なり小なりの”キュレーター”が商品情報を流してくれるのだとして、彼らが語りたくなるような商品情報を伝えていく時、クリエイティブが介在する余地があるのか。

佐々木さんはそこで、iAdの話をした。iAd発表時に「検索ではない。アプリがパッションをもたらすのだ」とジョブズが言ったという。それを紹介した。

ここもすごく面白いところで、いま答えはない、というのが答えだろう。だけどぼくもiAdが発表された時、そこにクリエイティブの未来があるぞ、とビビッと感じた。「検索ではない」というフレーズも重要で、インターネットが検索の場として伸びている時、広告クリエイティブはいらなくなるのかと暗い気持ちになったのだけど、ここへ来てちがってきた気がするのだ。その象徴がiAdだった。

「アプリがパッションをもたらすのだ」という言い方には、やはり消費にはパッションが必要だという前提がある。商品情報の流通はまったくの利便性や合理性だけではホットにならない、とぼくは思う。やはり「うわ!なにそれ?」とか「なんかおもしろー!」という”パッション”が必要なのだと思うのだ。その舞台がテレビや新聞というマスメディア(大河)一辺倒だったのが、これからは例えばアプリの形になるのではないだろうか。

ぼくがiPadにこんなに興奮し続けているのも、そこにクリエイティブの”居場所”を感じとったからだ。少し前の記事でも「コンテンツはアプリになる」と書いたけど、ということは、広告コンテンツもアプリになっていくはずだ。であれば、そこにクリエイティブが活躍する舞台が新たに生まれるのだとぼくは思っている。

うーん、佐々木さんの講演のちょいとエッセンスを書くつもりが長くなっちゃったねー。それに講演の中身よリ、それを受けてぼくが考えたことの方が分量が多いや。まあ、あとは次の著作が世に出るのを待つべきだってことだね。それまではもちろん、『本当に使えるウェブサイトのすごい仕組み』を副読本として読んでおこう。

そうそう、この本についても書きたりないことがあるので、それは次回ね。しばらくこのブログは、佐々木俊尚ウィークになっちゃうのかも。”第一使徒”だから仕方ない、ってことで・・・

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