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コピーライター→映像製作会社ロボット→広告代理店ビデオプロモーション→再びコピーライター(フリーランス)。 メディアとコンテンツの未来を切り拓くコミュニケーションをデザインします。講演・執筆依頼もお気軽に!

STRAY SHEEP ポーのクリスマス iPad版 どこが魅力かと言えば・・・

STRAY SHEEP ポーのクリスマス iPad版 COMING SOON!!

夕べは皆さん、Appleの「忘れられない日」って何事?と夜中の12時を待受け、そしてガッカリしたことだろう。Twitterのタイムラインが、その後1時間ほど、ガッカリ祭りで埋め尽くされて楽しかった。面白かったのが、#appleを見ると、世界中の人びとが、あらゆる言語でガッカリしていた(らしい)こと。アラビア語でさえ飛び交っていた。Appleへのガッカリが世界をひとつにしたんだね。笑える!

ぼくたちが開発してきたiPadアプリ『ストレイシープ・ポーのクリスマス』も、世界へ送りだそうとしている。(我ながら導入部の話題との強引な流れにあきれるね)日本語だけでなく、英語、中国語、韓国語の4カ国語で制作したのだ。

ずいぶん前の記事で「iPadはセカイテレビだ!」というタイトルで、グローバルにコンテンツを送り出すことの意義について書いた。それをまさに実験してみようということだ。もう何度も書いてきたけど、世界2位の市場に甘んじていると発展できない。グローバルな市場に躍り出ることで可能性が広がる。それを実際にやってみるわけ。

もちろん、簡単じゃないよ。

それから、上の動画を見てもらうと少しわかるのだけど、インタラクティブ性をふんだんに制作している。これも大きなポイントだし、すごく手がかかっている。

iPadでコンテンツを楽しむ、とはどういうことなのか。明確な結論があるわけではないけど、例えば絵本のようなものを、そのまま電子的にページをめくって見せるだけでいいのか、と。もちろん、それだけで楽しいこともある。それでいいじゃないというのもある。紙の時は分厚いものだったのが、薄いタブレットで何十ページでも見れるなら、それでまずベンリ。

でもエンタテイメント性をもっと持たせたい。クリエイティブを生業としてきた者は、どうしてもそう考えたくなるんだ。ここを押したら、こうなるようにできるのかなあ。できるの?だったらここをこうするのは?そういう、好奇心というか物好きというか、そんな気持ちがコンテンツを面白くする。

面白がってつくらないと、面白いものはできないんだよ。

絵本タイプのiPadアプリはけっこうすでにある。iPad発売時にはディズニーの『トイストーリー』や誰がつくったか知らないけど『Alice for iPad』がかなり話題になった。それぞれ面白いのだけど、『ポーのクリスマス』はそれらとはまたちがうユニークなものになっている。それがインタラクティブ性。見たことないタイプのものになっていると思うんだけどなあ・・・。まあおそらく今月のうちに発売できると思うので、みなさん待っててくださーい。

てな感じで、では少しずつ、開発録を書いて行くよ・・・

ソーシャルコンテンツ構想・その1〜意外にコトバが重要になってくる〜

週末はAppleTVについて書いたりiPadで出す『ポーのクリスマス』について書いたりした。でもここでこのブログの”本業”に戻る。

少し前に書きはじめると宣言したので”ソーシャルコンテンツ構想”の中身を進めたいと思うんだ。でもね、行く先はよくわからない。行き当たりバッタリで書き進めていくうちに、行く先が見えてくるんじゃないかな。

ソーシャルマーケティングについて、胸を張ってものを言っている人を見ると、尊敬もするけど、そんなに言いきっちゃっていいのかな、とも思う。だってはじまったばっかりで、これからどうなるか、どうしたら効果的かなんてわかんないっしょ。もちろん海外とくにアメリカの事例なんかは参考にできるだろうし、Facebookがこれから日本でも伸びるのであれば、その特性は先にわかってる人から聞きたいものだとも思うけど。

でも総じて、わかんないよ。去年の今ごろ、Twitterがこんなに一般的で活発になるなんて思わなかった。それに、それでもなお「えー?Twitterって一部のあたらしもの好きがハマってるだけだろ?」という人が多いのは何度もここで書いてきた通り。予算の決裁権がある人に限ってそんな反応だから、ビジネスでの活用は、まだまだまだまだなんじゃないか。

だからここで、少しずつ、確かめながら、ソーシャルコミュニケーションについて解き明かしてみたいと思うんだ。

それから、ソーシャル”コンテンツ”としているのもポイント。いまのソーシャル活動は、まだまだそれ単独のものが多い。ぼくは、ソーシャルと、コンテンツパワーが組み合さることで大きな力になると思っている。それってどういうことかも、これから少しずつ説明していくつもり。

で、最初のテーマは”コトバ”としてみた。”その0”を書いた時に”白くまピース”と名乗る方から、コトバについて、から書きはじめてほしいと書き込みがあったもので、そうしてみたよ、白くまピースさん。

ぼくは少し前まで、コトバの役割はどんどん縮小していくのだろうとしょんぼり考えていた。しょんぼりするのは、ぼくが元コピーライターだから。広告コミュニケーションがその軸足をどんどんデジタルに置くに従って、これまでのコピーライターなんてやることがなくなる。そんな風に思っていた。

これまでの流れでは、確かにそうだったのだろう。でも、ソーシャルツールが登場すると、ずいぶん話が変わってきたと思う。

全国津々浦々のコピーライターの皆さん、大丈夫。ぼくたちの職能は新たな地平でちがった形ながら、必要になってきますぞ!

それはね、ぼくが、ぼくの活動そのものが、そうだから。

そのことに、自分自身、最近まで気づいてなかったのだけど、考えてみたら、ぼくがいまソーシャル空間でイキイキできているのは、コトバの人だったからなんだわ。

ソーシャルで必要になるコンテンツは、まず、コトバ。基本が、コトバ。でしょ?

しかもね、140字とかの短い制限の中でうまく伝えないといけない。ブログのタイトルだって、短くてインパクト強い方がいいでしょ?それってコトバの能力なんだ。しかもね、書きコトバの能力なの。文字を書いてどう伝わるか、うまく伝わるか、という力が問われる。

コピーライターって、書きコトバの職人なんだよね。会話が上手かって言うと必ずしもそうでもない。上手なのは、”お話”というより”文字での表現”なの。

そんな書きコトバの職人性は、これから必要になると思う。ニーズが増すと思う。頼むよ境ちゃん、とか言われると思う。だって何度も言うけど、ソーシャルの基本はコトバだから。

ただしね、”コピーライター”という概念ではなくなると思う。ぼくたちがコピーライターという肩書きに込めていた思い入れからすると、いくぶんか軽いものにはどうしてもなっちゃうだろうね。

例えば、今後のソーシャル上でのコトバは、レイアウトなんかされない。デザインなんてしてもらえない。アートディレクターが写植を2通り発注して、境ちゃん、ここはゴシックもありだけど、やっぱり明朝のがいいね、なんてやってくれない。どんな書体で自分のコトバが表現されるかは書いた人にはわからない。

それから、コトバが基本になる、のだけれども、コトバをじーっくり眺めてくれる、なんてこともない。「おいしい生活」うーんなるほど、この”おいしい”の部分に生活の豊かさを込めているのですね、なんて観賞してもらえない。そういう、コトバが持つ複雑な意味合いとか、ふくらみとか情緒とか、彫り込んでもしょうがなくなる。もっとパパパッと機能するコトバの使い方が求められる。

でも一方で、”気持ち”が伝わるようにもなる。誠実さとか、懸命さとかが、アイデアだのパッと見の上っ面的強さだのを凌駕する。真摯にコミュニケーションのテーマに向き合って、誠実に相手に相対して、伝えたい意志をちゃんとコトバにすれば、ちゃんと伝わり反響も必ず出てくる。

コトバで身を立てていこうという人にとって、コピーライターというキャリアプランが一度消えうせるのかもしれない。でも、別の呼び方になったとしても、これまでで言う”コピーライター”が生きていく場所は、必ず存在する。しかもかなり重要な場所として。

ただ、そういう人たちがどこで育っていくのか、何と呼ばれるのか、具体的にどんな領域が仕事になってくるのかは、ちょっとまだまだわかんないね。これからだんだんできていくんだろう。できていくというか、若い人たちが中心になって彼らが作り上げていくのだろうね。

あ、白くまピースさん、あなたかもね、つくるのは。ね、やってみたら?ふんばれば必ず道ができるのは、ぼくが保証してあげる。保証と言っても、”はい、できますよ”と言うだけなんだけど。実際に道をつくるの、やってみて。ぜひ!・・・・・

テレビの未来の使い方〜AppleTV即買い記・その2〜

金曜日土曜日と、慌ただしいブログライフだった。

「テレビに未来がやって来た」と題してAppleTVの購入記を書いて、さらにそれが@maskinさんの依頼によりTechWaveに転載された。実に不思議な体験だと思う。フットワークの軽いネットメディアだからこそ、だろうね。旧来型の活字メディアでは考えられなかった現象だよね。

このことはまた別の機会に書くとして、今日はAppleTVについて補足的なことを書こうと思う。何しろたくさんの方に読んでもらったので、ちょっと責任を感じてたりしてね。

まず、これから買う人のために、いくつかチェックポイントを。

テレビとの接続はHDMIケーブルを使うことになる。テレビの側にHDMI端子があるかどうか、前もって確認した方がいい。知り合いで何人か、ブラウン管型でHDMIがつなげないことに気づいたという人がいた。@punikuniさんはそれに気づいて断念したようだ。@higekuma3は日曜日にテレビを買いに行くと言っていた。HDMIあるよと言う人も、いま何につながっていて空きがあるかは確かめておこう。ぼくはケーブルがひとつしかなく、PlayStation3とつないでいたのを外して使っている。

ネット環境もポイントのひとつ。やっぱり光回線に越したことはないと思う。それから、モデムとどうつなぐか。有線か無線LANかも要確認。無線の場合は、接続前にMACアドレスなど必要な情報は書きとめておこう。実はぼくは、AirMacにはMACアドレスで接続機器を制限している。AppleTV設置時に、前もってMACアドレスを書きとめておかなかったので、設定途中で困り、結局有線でつなぐことにした。ネットとどうつなぐかは、あらかじめ確認しておこう。

設定が終わったら、iPhoneやiPadを持っている人は”Remote”というアプリをダウンロードしておこう。iOS機器をAppleTVのリモコンとして使うためのアプリ。これが必須になるのが、検索する時。iPhoneやiPadのキーボードがないと、検索時に文字を入力するのは事実上不可能だ。日本語は絶対に入力できない。でもiOS機器があれば大丈夫。日本の映像をYouTubeで検索する時など便利だよ。

VODサービスで映画を選ぶのはほんとうに楽しい。どれもこれも観たくなる。わりと最近の作品から、往年の名作まで多種多様。まだまだ1000本というのは少ないと思うし、これから増えていくのだろうけど、それでも隠れた名作がぞろぞろ出てきたりするともうどれから観ればいいのかとなってくる。『復習するは我にあり』とか勝新太郎の大映座頭市シリーズとか、大魔神も一揃いあったり、松田優作の遊戯シリーズが懐かしかったり、めくるめくラインナップだ。

気になるものはどんどん”ウィッシュリスト”に入れていき、あとで選べばいい。こういう選びやすさも大事だ。

ぼくはすでに「イヴの時間」「JUNO/ジュノ」を観た。両方とも、メガヒット作品ではないけど、それこそ隠れた名作だ。そんな映画にふらりと出会えるのは、VODサービスならではだろうね。

AppleTVは、そういう、コンテンツとの出会い方について考えさせてくれる。出会い方が多様になる。それに、幸福な出会いのためには、まだまだ欠けている要素もある。例えばAppleTVとPingは連携していない。せっかくPingをはじめたのだから、AppleTVでもつなげてくれれば、ソーシャルな選び方ができるようにはるはずだ。もちろん、Apple純正、サードパーティ含めてこれから出てくるだろうし、何だったらぼくたちが作ってもいいのだろう。

AppleTVを使っていくと、テレビの未来の全体像についてどうしても考えてしまう。なんか、方向性がひとつ見えたね、という感じだ。そうした話も、また少しずつ書いていくからね・・・

STRAY SHEEP ポーのクリスマス iPad版 COMING SOON!!

まあ、まずはこの動画を見てみよう!

と、今日言いたいことはこれでおしまい!って感じなんだけど、ぼくらがこの夏をかけて制作を進めてきたiPadアプリが、もうすぐ世の中に出るのです。いつ出るかってのはAppleAppの場合、わかんない。例の審査があるからね。うまくいけば今月20日あたりで出せるんじゃないかな。でもへたをすると、12月になってからなんてこともありうるわけで。

さてこのアプリ、概要は『ストレイシープ・ポーのクリスマス』公式サイトを見てもらえればだいたいわかる。90年代にフジテレビの深夜番組のキャラクターとして一部に熱烈なファンを生んだ羊のポーが主人公。

このストレイシープ・ポーを、フジテレビさんのオーダーのもと生み出したのが、ロボット所属のアニメ作家、野村辰寿。@GonNomura のアカウント名でTwitterにも出没している。みなさんフォローしてあげて。

野村辰寿は日本のアニメーション界の巨匠と言うかキーマンと言うか人気者と言うか。『つみきのいえ』でアカデミー賞を受賞した加藤久仁生を学生時代に発見したのも野村辰寿なのです。と言うとエライ感じがするけど、本人いたって呑気なおじさん。人のいい、柔らかいゆるいキャラです。ゆるキャラです。

この野村辰寿を中心に、えーっと確か6月ごろから、この『ポーのクリスマス』の制作を進めてきた。ここまで長かったような、アッと言う間だったような。

ということで、このブログではしばらくの間、このアプリの開発プロセスなどを少しずつ語っていこうと思います。なんか、盛り上がるでしょ?そういう話って。もちろん、そういうストーリーも知ってもらって、買いたい気持ちになってもらおうという魂胆だから、気をつけてね。

でもまあ、そんじょそこらにはないものになっているとは思うんだけどね。

あ、そうそう。それで本体はiPadアプリなんだけど、前哨戦的にiPhoneアプリもつくってあってね。これはもうできていて、無料でお届けしています。iPad版についているゲームだけを切り出してiPhoneでも遊べるようにしたもの。
ここからダウンロードできるので、これはもうすぐにやってみよう!無料だからさ。

テーマとしては、AppleTV購入記のつづきも書かなきゃいけないし、ソーシャルコンテンツというシリーズもあったし、アプリ開発記と三つ巴でしばらくお届けしますね。ちょっと更新頻度をあげなきゃ追いつけないかな。はい、がんばりまーす!

テレビに未来がやって来た!〜AppleTV即買い記〜

このところ、毎日驚くことがある。昨日なんか2つもビックリがあった。

ひとつ目は、朝Twitterを眺めていた時。「なに?!」「来た!!」などという「!」付きのつぶやきがぼくのタイムラインの中をいくつも流れていく。「Apple、日本のiTunes Storeで映画の提供を開始」というニュースだったのだ。これがひとつ目のビックリ。

皆さんご存知の通り、ジョブズは9月に、新しいAppleTVを発表していた。まあ言ってみればVOD用のセットトップボックス。日本ではVODに消極的なムードがあるので、当分発売されないんだろうなあ。あらかじめ噂になっていた、アプリが動くiTVではなかったこともあいまって、ぼくはややガッカリしたものだった。

ところが、日本でもiTunesStoreで映画を提供!?おお!VODの夜明けじゃないか!ビックリしながら記事を読むと、同時にAppleTVが日本で発売、とも書かれている。なーんだ、ちゃんと時代は動いていたんだね。

週末には出荷される、とあったから、金曜日かな?いや、でもひょっとして今日だったりして、などとTwitterでしゃべってたら、渋谷のAppleStoreでもう売ってるとの情報が。たまたま原宿にいたぼくは、もういてもたってもいられないぞと、さっそく買いに行った。Twitterで「買っちゃった」と報告したらみんなが悔しがったりうらやましがったり。

そして2つ目のビックリの件なんだけど、前から時々Tweetを交わしていた(でも面識も何もない)@maskin さんにも「買っちゃった」と自慢して、リポートをブログに書くと言ったら、@maskin さん曰く「よかったら、そのブログポストをTechWaveにダブルポストしませんか?」ええー!?ぼくが書いた記事がTechWaveにも載るってことすか?ね、相当ビックリだ。

という流れで今日は自分のブログだけでなく、TechWave上も含めて、AppleTVについてリポートするよ。いやしかし、ぼくみたいのが書くんでホントにいいの?@maskin さん。あとで湯川さんに叱られないかしら?まあでも、ソーシャルの時代らしい成り行きで面白いけど。

さて帰宅したのは夜10時過ぎ。普通に考えたらいい年こいた大人がごちゃごちゃ何かする時間じゃないんだけど、さっそくAppleTVを箱から取り出した。ジャーン!

ジャーン!ってほどじゃないね、シンプルな中身。本体と、リモコンと、電源ケーブル、それでおしまい。ちなみにテレビとつなぐHDMIケーブルはついてないので、別途用意する必要がある。

接続自体はすっごく簡単。電源を差しこむ。ネットとつなぐ。テレビとHDMIでつなぐ。

実はぼくの場合、”電源を差しこむ”ところで苦労した。うちのテレビの周囲はいろんな機器でごったがえしていて、電源もたこ足状態。しかもテレビって壁際にぴたーっと置いてあるから狭いスキマに首突っ込んであいてるコンセント探して・・・という段階がいちばん大変だったってわけ。でもそういうお宅、多いんじゃありません?

そんなこんなでつないだら、こんな画面が・・・おおー!感激だあ!

この辺の写真はiPhoneなので(3GSだし)画質についてはご容赦を。

そしていよいよ、メイン画面。

ここからはデジカメの写真なのでちょっと画質良くなった、ね!メニューはこんな感じ。

“トップムービー”はようするに人気順。それとは別に”ジャンル”でも選べる。気になったものを”ウィッシュリスト”に入れておけばあとで選びやすい。

“トップムービー”を押すと、こんな画面になる。お!あの邦画大ヒット作も並んでるじゃないか!(笑)

ここで大事なのは、ポスタービジュアルが並んでいること。映画の各作品のエッセンスを凝縮してパッケージングしたのがポスタービジュアルなのだ。映画の”シズル”がそこにはある。見たくなる。これをズラリと並べて見せているのがAppleの上手さだろう。

日本のこれまでのVODサービスは作品の題名だけを並べているものが多い。テクニカルな問題もあるのだろうけど、文字だけ見ても”そそらない”のだ。どんな内容かわからない。ポスタービジュアルなら、ドキドキしそうだなとか、ロマンチックなのかなとか、どんな2時間が過ごせるかがわかる。

“ジャンル”を押すと出てくるのがこの画面。

ここでは、ポスタービジュアルが勝手に流れていく。次々に”そそる”ビジュアルが出てくるのだ。こういうとこ、だいじだいじ!

“見たくなる”つくりこみをしているし、ページを変えたりする時にストレスがないようにできている。こうしたイケてるVODサービスが、AppleTVの第一の特徴なのだけど、それだけじゃないのだよ。VODしか想像していなかったので、VOD以外の機能にまたまた驚いた。

上で紹介したメイン画面には”インターネット”という選択肢がある。ここでは、YouTubeが見れるのだけど、他にも”Podcast”と”MobileMe”そして”Flickr”というメニューもある。驚いたのがPodcastだ。

これらはすべてVideoPodcastつまり映像番組だ。ぼくはこれまで、Podcastにはあまり興味を持ってなかったのだけど、こんなにバラエティ豊かでクオリティもなかなかのものがいっぱいあるとは思わなかった。自分の嗜好に近いPodcastを見つけて視聴するだけでも相当に楽しそうだ。

もう一度”メイン画面”を見てもらうと、”コンピュータ”という項目にも気づくだろう。これは”ホームシェアリング”のことだ。AppleTV以外で使ってた人はこれまでも使ってたのかもしれないけど、ぼくは今回初めて知った。iTunesにあるコンテンツを他の機器でも共有できる機能。つまり、Macに入っているコンテンツをAppleTVでも楽しめるってわけ。

iTunesに入っている音楽がテレビで聴ける。

それだけと言えばそれだけなんだけど、意外に感動するんだ。ここでもアートワークが流れていく。昔から持ってるアルバムをあらためて聴きたくなったりするわけ。

それと、ぼくはiTunesに、息子のテニスの試合のムービーを入れていた。自分で撮影して編集し音楽までつけたものなんだけど、これもリビングのテレビで見ることができた。なんだかうれしかったね。

実はこういう、VOD以外の要素に驚いたし、未来を感じた。新しいテレビ。AppleTVによって、ぼくのテレビは新しいものになったと言える。テレビに未来がやって来たんだ!

今回はひと通り機能を見て回っただけ。今後も、少しずつ使っていっては、また自分のブログで紹介したい。VODについてはこれまでも考えてきたので、それを眼前にして毎日コーフンしちゃいそうだ。ぼくのテレビが新しくなっていく様を、また追ってお伝えするからね。

ところで、せっかくTechWaveなんていう場に出てこれたので宣伝。ぼくたちはいま、iPadコンテンツを制作中。その名も、『ストレイシープ・ポーのクリスマス』。(ポーって聞いたことない?)絵本のようなアニメーションのような、見たこともないものになりそう。近々、@maskin さんに取材してもらえそうなので、その記事をぜひ読んでね。

おいらとあんたの世界戦略・その10〜セミナー・クールジャパンと日本の産業〜

ジョン・レノンまで引っ張り出して夢想家みたいなこと書いた”おいらとあんたの世界戦略”。あそこで区切りをつけたようなつけてなかったような。

ところへ、今週はちょっと面白いセミナーがあったので、その紹介を書こうと思う。

大手町ニュースカレッジという今年はじまったらしい催しの一環で、「クールジャパンと日本の産業」と題したシリーズ。全5回のうちの初日と第2回に参加してみた。
プログラムはここに書いてある。『日本のポップパワー』の著者、小野打恵氏をコーディネイターに、クールジャパンが世界に進出するために、という内容になっているようだ。

初日は、経産省にこの6月にできたクールジャパン室の室長補佐、渡邊郷氏がご登場。クールジャパン室設立の背景や、今後の施策の方向性を説明してくださった。

その内容はとても面白く、また勇気がわいてくるものだった。

日本がこれまでいかに製造業、中でも自動車産業に頼ってきたか。そしてこれからは、文化産業が新たな成長産業として期待されていることなどがクールジャパン室設立の背景。ここで言うクールジャパンはかなり広い意味で、コンテンツ産業だけではなく、ファッションや食、観光なども含んだものだという。

例えば韓国。彼らは”韓流”としてドラマが日本でもたくさん見られている。日本だけでなく、アジアの各国でかなり浸透しているのだそうだ。そして、ドラマが浸透することで、ファッションや電機製品なども輸出する下地となった。サムスンやLGの成長には、実はそうした国家的戦略があったのだ。(もっとも、これをどこまで国が主導したかは不明らしい)

クールジャパン室としては、そうした韓国などの事例にも学びながら、クールジャパンの海外進出を支援したいという。つまり、多様な文化が相互に組み合さって世界へ出て行く手助けをする、ということ。あるいは、クリエイターとビジネスプロデューサー、リスクマネーを集められる金融家にチームを組ませるなど。

できたばかりの部署なので、予算の確保などもこれから。施策の実現には時間がかかるかもしれないけど、こういう動きを行政がしてくれるというだけでも心強いというものだ。”経済”という世界の中で、メディアコンテンツ業界はどこかみそっかすな扱いだった気がするし、それに甘んじていた気もしないでもない。自動車産業が例に出たりすると、それくらいの存在にならなきゃねと、胸を張りたくなってくる。

つづいて2日目は、日本のサブカルチャーに詳しい海外ジャーナリストが大集合、という回。フランス、イギリス、アメリカ、韓国、ブラジルそれぞれの方たちが、各国でのクールジャパンの普及や愛され方などを解説してくださった。

例えば、フランスでは80年代半ばにテレビ局が民営化されたのを機に番組が不足。そこで、当時安価にセールスされていた日本のアニメ番組をどんどん買い付け、子供向けに放送した。そうやって育った子供たちが大人になって、子供の頃から見慣れた”アニメ”をずっと愛してくれるようになった。だから、現代フランス人は日本びいきなのだそうだ。そういえば、パリで開催されたジャパン・エキスポは年々盛大になっていると聞くよね。

フランスはひとつの例で、日本のポップカルチャーはこの二十年ぐらいで各国にかなり浸透してきた。日本のアニメで育った子たちが各国の文化の担い手になってきたいま、日本はセールスすべきタイミングなのかもしれない。だって「アバター」や「インセプション」は、明らかに日本アニメ文化の子供だよ!

ただ、海外のジャーナリストたちが最後の方で口を揃えて言ったことがある。日本のカルチャーは素晴らしい!ただ、売り方は下手だった!

フランスの方が例として出したのが、ウォシュレット。日本滞在で気に入ったウォシュレットをパリで注文しようとした。だが調べても日本のTOTOはパリに支店がないようだ。輸入業者がいるにはいるが、値段がとんでもなく高い。さらに調べると、韓国や中国のメーカーがほとんど同じ機能の製品を出している。値段も十分リーズナブル。

TOTOの方が読んでいたら気を悪くしないでほしい。TOTOのことをことさらに言いたいのではなく、ぼくたち日本人がいかに海外セールスが下手だったか、そもそもできてなかったかがよくわかる話のひとつ、なのだ。

もっと言うと、ぼくはウォシュレットはとっくに世界中で売れてるんだろうと思っていた。日本で有名な企業は、イコール世界で売っているのだろうと思い込んでいた。ちがうのだ。世界にセールスできているのは、自動車と家電だけなのだ。それ以外は、コンテンツ産業同様、売る体制づくりができてなかったのだ。別の見方をすれば、ウォシュレットもクールジャパンの一員なのかもしれない。他の国にはないもんね。そして、いままで海外セールスできてなかったからこそ、売れる余地もまだあるということも言える。世界に売れそうなクールジャパンはきっと、いっぱいいっぱいあるんだよ!

とは言え、具体的にぼくたちがどうすればいいのかは、まだよくわからない。大きな捉え方では、”その9”で書いたグローバルな共同製作だとは思うんだけどね・・・

このセミナー、3日目以降は出れそうにない。誰か、行ったらどうだったか教えてくださいね・・・

ソーシャルコンテンツ構想・その0

このブログを読んでくれる人もまた少し広がったかも、ということで、このブログを解説するページをつくってみた。

その時、過去の記事を読み返してみて、しまった、ということがある。けっこう途中で終わっちゃってるシリーズがあるんだよね。

とくに、「広告の新たな地平線」「VODに未来はあるのか」の2つは、ものすごく半端なことになっていた。どっちも、iPadがぼくの生活に登場したことで、気持ちがそっちに集中したもんで、忘れちゃってたんだね。

この2つは時間軸的には並行して書いていた。広告と、映像コンテンツの話で、別々のように見えるけど実際には密接に関係しているつもりだった。だから並行して書き進めることで、この2つのテーマに化学反応が起こるんじゃないか、という目論見だったわけ。

で、この2つを忘れていたのでもう一回、という気になったのだけど、どうせ化学反応起こすのなら、つづきはひとつにまとめていこうと思った。

それから、この2つを結びつけるのが実はソーシャルメディアだ、という前提に勝手に秘かに立っていた。だったら、そういう大テーマを掲げて、広告と映像コンテンツの未来を構想してみようと考えたわけ。

そこで、「ソーシャルコンテンツ構想」というサブタイトルをここに堂々と掲げるものであります。

広告の未来も、映像コンテンツの未来も、ソーシャルメディアが鍵になってくる。その上、ソーシャルを核に広告とコンテンツは境目がどんどん曖昧になって融合して渾沌として面白いことになってくると想像している。そしてほぼまちがいなく、この想像は具現化する。ただし、あともう1年か2年かかるだろうな。

ということで、「ソーシャルコンテンツ構想・その0」というタイトルにあいなりました。

さてこの、ソーシャルコンテンツ構想のベースとなる話は、すでに書いていた。広告の新たな地平線シリーズの中の最後の方、「コンテンツパワーとソーシャルパワー」という記事。でもこれはちょっとわかりにくかった気がする。

わかりにくかったので、いくつか、今後の話の鍵になりそうなことを箇条書きにしよう。でも思いついた順なので、整理はできていない。

・コミュニケーションの真ん中にデジタルを置く
・スマートデバイスがメディアのターミナルになる
・コンテンツの面白さがそのままパワーになる
・コンテンツと広告は融合していく
・メディアコストとコミュニケーション効果は必ずしも比例しなくなる
・映像(リッチコンテンツ)はいままでにも増して効力を持つ
・偶然の出会いを仕組むという矛盾を戦略化する必要がある
・複数の場(メディア)上で関連性のあるコンテンツを展開するべき
・総じて、今後は空爆よりゲリラ戦が効くことになる
・アートディレクションの役割が増す
・複数の領域の作り手がチームを組む必要が出てくる
・意外にコトバが重要になってくる
・物量やお金に、誠意や真摯さが勝利する

うわわわわ、思いつくにまかせて書き並べたらすごいたくさんの項目になっちゃった。それに、思いつきながら、それぞれが重要だ。

というわけで、上に書き並べた項目を少しずつ整理して、書き進めていこうと思う。ってけっこう、大変な作業になっちゃいそうだなあ・・・

クリエイティブビジネス論はこう読め

このブログには最近、いろんな方が訪れてくれるようになったようだ。突然来てみて、あとはどこを読めば面白いのかな、という方のために、大まかな内容を解説しておこうと思う。

ぼくが何者かについては、左のプロフィール欄などでだいたいわかる通り。長らくクリエイティブ業界で働いてきて、いまは映像を作る会社でぼくたちの未来を考えている。自分自身は広告制作がメインだったけど、広くメディアコンテンツの世界について考えたり調べたりしてきた。その問題点や解決の方向性を探ろうというのがこの”クリエイティブビジネス論”の大まかな趣旨だ。

もっと言うと、これまでどこか、コンテンツがメディアに従属的だったのが、いま変わろうとしている。だからと言ってコンテンツの作り手が優位に立とうとしているわけでもない。そこがややこしい。そのややこしさを解きほぐし、何がどうなっていくのかを語るブログなのだ。

iPadをはじめとするタブレット端末、さらにはスマートデバイスによってメディアとコンテンツが大きな変化をしようとしている。このところの、このブログでの話題もそこが中心になっている。

iPadを手にして以来、その特性やコンテンツのあるべき姿について長らく書いてきた。それがこのカテゴリーだ。
     「iPadから見えるコンテンツの未来・その1〜その10」
     「iPadから見えるコンテンツの未来・その11〜その25」
     「iPadから見えるコンテンツの未来・その26〜プラスいくつか」
順番に読んでいくと、iPadについてだんだん理解したり発見したり興奮したりする様子が我ながらかわいい。それから、ぼくとしてはこの中でも、”プラスいくつか”とした最後の方の記事が気に入ってるんだけどね。かなり情緒的な内容だけど。

これに続いて、いま書き進めているのがこれ。iPadについての最新情報に基づいた最新感想を書いている。
     「iPad Messages」

一方で、今後のメディアコンテンツ産業のひとつの方向性として、海外市場に出るべきだという主張も書いている。
     「おいらとあんたの世界戦略」
なんで”おいらとあんた”なのかは、読んでいくとわかるよ。

あとは、分類不能な記事を、こういうカテゴリーにしちゃっている。佐々木俊尚さんの本についてとかも。
     「メディアの現在未来」

それから、今後のメディアコンテンツ界の行く末の中でも、広告と映像ソフトについてがいちばん気になる。そこを考えていっているのがこの2つのカテゴリー。
     「広告の新たな地平線」
     「VODに未来はあるのか」

それから、自分のソーシャル体験を”焼け跡”をキーワードに語ったのがこのカテゴリー。この辺から、新しい人たちとの出会いがTwitter上も含めてはじまったんだった。
     「焼け跡ブログ」

映画好きの人、映画関係の人にぜひ読んでほしいのが、これ。長年考えたり調べたりしたことがまとまっている。
     「日本映画産業論」

という、半分は自分のためなんだけど、整理してみました。興味わいたら、昔の記事もぜひ読んでねー!

おいらとあんたの世界戦略・その8〜メディアは国家を逃れられるか〜

世界戦略の話を、いい加減まとまりつけないといけない。今回で終わる予定で、だいたい書くことは決めてあるのだけど、うまくまとまるかはしらない。そもそもいつも、まとまってはいないけどね。

コンテンツ産業の世界戦略、その大団円としては、日本のクリエイターよ世界をめざそう、ということになるわけだけどね。でも最後の最後に言いたいのは、どうせ世界をめざすなら、もうその、”日本の”とかやめちゃおうか、ということ。これから世界をめざすってことは、日本のクリエイターとして、ではなく、世界のクリエイターの一員として、って感じでとらえた方がよくね?と言いたいわけ。

そこんとこ、ちょっと大上段に構えて言うとね、そもそも”日本の”の”日本”ってなんだっけ、と。国家って何なの?と。

うひゃあ、すごく大上段すぎるかなあ。

でもね、メディアがあってコンテンツがあって、という枠の中で考えた時、メディアってものは国家とかなり結びついてここまで来たものだったわけ。とくにいま何やらコペルニクス的転換を迎えようとしている”マス”メディアっていうのは、近代であり、その産物としての国家の成り立ちと密接に結びついているんだ。(だから、いつもどこか政治の匂いがつきまとうわけだ)

「くに」という言葉には、いろんな意味があるでしょ?いや、基本的には「自分が生まれたとこ」みたいな意味なはず。だから、「ふるさと」のことだったりする。飲み屋で上司に「おまえ、くにはどこだ?」と聞かれたら「へえ、山形だす」とか答える。「へえ日本だす」なんて答えたら「馬鹿にしとるんか!」と怒鳴られちゃうよね。

「くに」が「日本」とイコールになったのなんて、この百数十年の話なんだろうよ。

江戸時代の人にとっての”世界”とは、じぶんちがあって、村があって、お殿様がいて、でもって江戸には将軍様がいて都には帝がおられる、それでおしまいだっただろう。「日本」なんて生活の中でほとんど意識してなかったんじゃないか。そこには「国家」なんて存在しなかった。

「国家」というのは実は西欧近代がもたらした厄介な概念なのかもしれないんだ。19世紀までは世界地図描いてもあちこちで国境は曖昧だったし、国家があるところと、国家?それなに?って地域とあっただろう。少なくともアジアとアフリカのほとんどの庶民は、国家なんて意識せずに一生を送ったんじゃないか。

西欧近代が世界中に銃と資本主義を突きつけて、みんな戸惑ったり知恵をつけたり何かに目覚めたりして、民族をはっきりさせて民族と民族の境目にくっきり線を引いて、憲法作って国家元首を決めて、って作業を19世紀後半から20世紀にかけてやってきた。

日本はラッキーだった。わりと早くそれに手をつけたし、民族の境目も比較的(あくまで比較的には)はっきりさせやすかった。だって島国だからね。それでも、琉球と蝦夷は強引に自分たちのものってことにしちゃった。

明治政府ができると慌てて”国家”の体裁を整えていった。その時、全国津々浦々に興った新聞という”メディア”が日本を国家にするのに大いに役立った。調べたわけではないんだけど、きっと言語もその過程で急速に整えられたんじゃないか。よく言われることだけど、日本語を確立したのは朝日新聞に連載された夏目漱石の小説だったそうだ。

だって言語はバラバラだったはずだ。江戸城で各藩から来た侍同士がしゃべる言葉は確立していただろうし、商売に使う言葉もある程度共通のものはあったのかもしれない。でも、”日本語”はもやもやしたものだったはずだ。

つまり、マスメディアは、そしてそれにのっかるコンテンツは、近代化の中で新しくできた”国家”の文化に中心を授ける役割を果たしてきたんじゃないだろうか。

第二次大戦後、マスメディアの”国家”における役割はもっとくっきりしてくる。そこではテレビが大きなポジションを担うことになる。テレビはどんどん、”東京中心文化”を広めていった。方言は急速に失われたし、住んでいる町のたたずまいから、各家々の間取や構造まで似たものになっていった。そうやって日本という国はひとつになっていった。1億人がほぼ共通の価値観を持つことになった。そのことをぼくは否定的にも肯定的にも書いているつもりはない。ただ、そうだったと言いたい。それは地域文化を破壊してしまったとも言えるけど、”民族”をまとまりのあるものにしたとも言えるだろう。

マスメディアを全国津々浦々、共通の社会資本として整えたのは、田中角栄だ。県単位でキー局とネットワークされたテレビ局を、各地の新聞社を軸に整備した。このことも、戦後における”日本”の成り立ちとマスメディアが深く関係している証しだと思う。そしてこのこともぼくは、否定も肯定もするつもりはない。何かを失わせたかもしれないし、何かに貢献した点もあると思う。

ただぼくたちがここで見つめるべきなのは、いま崩壊しようとしているのは、そういう成り立ちの、そういう存在だったということだ。西欧近代がもたらしたシステムが、西欧近代がもたらした”国家”という概念と密接に結びついたシステムが、いま崩壊しはじめているのだ。

“国家”の概念と結びつき、”国家”の概念を形成し支えてきたのがマスメディアだとしたら、次のステップとして、”国家”の概念の次へ進むべきじゃないか、というのがぼくの言いたいことだ。

ほうらね、どうもうまくまとまる気がしない。それにここまですごく長くなっちゃったよ。明晰なことを言っているようで、何を言っているのかわからないね、どうも。

というわけで、この話はもう一回。言いたいことの概要はもう終わってる気がするけど、メッセージとしてはもっと書くべきことがある。でもいつ書くのかは知らないけどね・・・

iPadは日本で盛り下がりつつあるのかもしれない件について

今日はセミナーに行ってきたよ。

SoftBank Days 2010 〜iPadが変えるワークスタイル〜というセミナー。

まあ、会社でソフトバンクとのおつきあいがあれば招いてもらえるのだけど。総務に勧められて行ってみたら、面白かったよ。

iPadのビジネスユースについてのセミナーで、最初に孫さんがこってり、ソフトバンクの社員がiPadを使うようになってどれだけ生産性が上がったかを説明してくれた。それに続いて、いろんな企業がiPadを活用した事例が語られた。これはかなり面白かったし、発見もいっぱいあった。ぼくらがお手伝いできそうな領域もたくさんありそうでコーフンしたな。

さてこの催しは、もちろんソフトバンクとしてはビジネスにどしどし使ってもらって需要を高めていこうという狙いなのだろう。

もちろんiPadはお仕事にも多様に使えるツールだね。仕事を楽しくもしてくれたりするだろう。

ただね。

iPadにとって、お仕事での使い方はあくまで”2次的”なことだと思うんだな。仕事”にも”使えます。

アップルがまた発表したね。今回はMac Book Airの新モデル。いままでよりさらに軽い。iPadを持ち歩いてお仕事、よりMac Book Airを使う方が自然だしやっぱり便利だろう。このタイミングでのMac Book Airの新モデル発表は、そういうことなんじゃないか。やっぱり仕事で持ち歩くならMacでしょ?そのために、Airをさらに軽くしたよ。そう言いたいんじゃないだろうか。

本来のiPadは”メディアタブレット”なんだ。これについてはずいぶん前にも”iPad = LIFE STATION”というタイトルで書いたことがある。スティーブ・ジョブズはiPadの発表会見をソファに座って行なった。つまり、そういう自宅でゴロゴロ過ごしながら使う、そういう前提で開発されたわけだ。

だから、ソフトバンクがお仕事お仕事とあまり言うのは少し損なことかもしれないよ、と思ったりもした。

一方、どーもねえ、最近、iPadが盛り下がりつつある気が、しないでもないでもないんだわ。

5月末に喜び勇んでiPadを買った人の中で、おれ最近ほとんどいじってないわ、という人が出てきている、みたいだ。

なぜだろう。

日本語で楽しめるコンテンツが少ない、少なすぎる、ということだとぼくは思う。少ないという意味では、危機的なくらい少ない状況ではないか。メディアタブレットと呼ぶにふさわしいだけのコンテンツが用意されていないのだ。

アメリカでは、タイムやワイアードをはじめ、紙の雑誌がiPadに最適化された形式で提供されている。NetFlixなどのVODサービスも視聴できる。それは、いままでのカウチライフより格段に楽しいだろう。

日本のコンテンツはどうか。ここで散々腐したように、新聞雑誌はPDFそのまんまのものがほとんど。だからiPadらしい読み心地が半減してしまっている。書籍はあくまで部分的だし、リーダーアプリも書店形式もあまりにまちまちでわかりにくい。映像コンテンツは皆無と言っていいほどだ。こんな状態で、iPadで何をどう楽しめと言うのだろう。

出版社などが二の足を踏むのもよくわかるのだ。iPadは日本ではせいぜい20万台程度だろうと言われている。その状態でiPadに最適化した雑誌を出しても、投資額が回収できない可能性が高い。いわゆるニワトリとタマゴで、iPadの普及度が低いからコンテンツ投資ができない。コンテンツが少ないからiPadが普及しない。その悪循環に陥りかけてるのかもしれない。

まあ、GalaxyだGalapagosだと続々出てくるから、まだまだこれからなのだろう。でも、イノベーションに乗りきれないいまの感じが、このままズルズルつづいていきそうでちょっと怖いんだな。

ひょっとしたらこの国は、イノベーションそのものの進め方をすっかり忘れてしまっているのかもしれない。

でもこのイノベーションに乗らないのは相当まずい。テレビも含めて、コンテンツはどんどんアプリに向かっているし、そこには新しい流通とマネタイズの機会が見えはじめている。絶対、手を出しておいた方がいいのだ。

乗り遅れちゃダメだよ。乗らないとどこへも行けない、前へ進めないからね。とにかく、みんなで乗ろうじゃあ、あーりませんか!

おいらとあんたの世界戦略・その7〜エコシステムの再構築〜

さて今日は気を取り直して、世界戦略のつづきを書くよ。
前回の”その6”では、もうビッグビジネスじゃなくていいじゃない、スモールでいいじゃないと書いた。でもそれだと若い人は不満だろう。また悲観論だとか言われてもアレなので、もっと前向きなことを書いてみよう。

しかしここで前向きなことに入る前に、ちょっとおさらいしとかないといけない。

ビッグビジネスと言えばハリウッドだろう。そのハリウッドがビッグビジネス足りえたのは、日本のコンテンツ産業と決定的な違いがあるから。そこはふまえないといけないだろうね。

決定的な違いのひとつは、何度も何度も書いてきた人口の大きさ、市場の大きさのこともある。日本は中途半端な世界第2位だったから中途半端に満足できちゃってたね、ってことはもう書いたよね。

でももうひとつ大きく違う点がある。そしてそっちの方がある意味、決定的だったかもしれない。それはコンテンツの流通構造というかマネタイズの基本的なちがい。考え方そのものが違う。流行りの言い方で言えばコンテンツの生態系、エコシステムがまるでちがうものになっている。

簡単に言うと、ハリウッドの場合、コンテンツ流通は何度も何度も、いろんな角度で、いろんな市場で展開されていくのに対し、日本のやり方は最初の一回こっきり市場だった。

ハリウッドの映像コンテンツがどのようにして多角的なエコシステムになっていったのか、いまひとつわからない。でもどうやら、70年代に大きく変化した、らしいのだ。というのは、そのあたりからケーブルテレビが伸びていった。それと、フィンシン法などのマスメディアの利権規制が制度化されていったこと。

フィンシン法とは、これも何度か書いた気がするんだけど、ネットワーク局でゴールデンタイムプライムタイムに流す番組の何割かだかを外部製作にしないといけない、というもの。テレビ局が自らの電波を自らのコンテンツに独占して使っちゃダメと言う、日本の感覚からすると強引すぎて理解しにくい法律。テレビ局の電波はいい番組作れる人たちに解放するんだという思想なんでしょう。でもおそらく、要するにハリウッドがその枠を欲しかったからロビー活動いっぱいやって通した法律なんでしょう。

そういう大ざっぱな知識はぼくも持ってるんだけど、このフィンシン法についてはもっと詳しく知りたいと常々思っている。こういうところこそ、誰かがみっちり研究してくれるといいなあ。

とにかく大ざっぱな知識で続けると、アメリカではそんな風にスタジオ軸で、つまりは作り手軸で考え方が再構築されたわけ、70年代に。プライムタイムで流すドラマをスタジオが作れるし、それをアメリカ中のケーブルテレビが買ってくれる二次市場もできあがっていった。これをシンジケーション市場という。

この感覚は、アメリカ国内だけでなく、世界各国に映像コンテンツを売りましょう、という流れに自然になっていくだろう。そしてさらに、ネットが出てきてVODサービスが整っていくと、最初こそ躊躇するにしても、いけそうじゃん、となると、見る見る展開していくことになる。VODの下地ができちゃってたわけだから。

かくして、アメリカでは映像コンテンツを何度も何度もマネタイズするエコシステムができちゃって、インターネット時代にも対応しやすいわけでした。

さて日本はどうだろう。日本のエコシステムもよくできていた。ただしアメリカとは真逆の構造だけど。それは、在京キー局一点(5点?)集中システム。

つまり、映像コンテンツのマネタイズはすべて在京キー局の最初の放送時に集約されている。最初の放送時にX千万円の広告スポンサーが集められる、なのでX千万円で制作する。そういう構造。このX千万円がそこそこの金額なので、やってこれた、これまでは、意外にいけてた。日本の場合はケーブルテレビがさほど発達する必要もなく、ネットワークの維持がむしろ広告費獲得には重要。だから、地方局に買ってもらうのではなくむしろお金を渡して放送してもらっていた。

このエコシステムには大きな長所があった。それはわかりやすいこと。5つのキー局、上位の広告代理店と取引すれば、だいたいのことが足りた。用事が済んだ。複雑なマネタイズ構造を勘定する必要がなかった。この放送枠にいくらのスポンサードがつく、だったらその枠内で番組を作ればいい。入ってくるマネーは制作費以上にはならないが、それでよかった。事足りたから。

ただ、いまとなってはこのシステムには欠点がある。ひとつは、すべてが視聴率になっちゃう。視聴率はふわふわしたもの、浮動票的なものだ。それはテレビをみているぼくたちがよくわかっている。すごく観たいもの、見応えのあるものに、必ずしもチャンネルを落ち着けない。だから視聴率が映像コンテンツの価値とイコールではない。イコールではないはずなのに、マネタイズの理屈がそこでしかできないから、経済価値はイコールにしかならない。

例えば『LOST』の視聴率は数%なのだそうだ。あれだけ世界中の人びとを物語の混乱の渦に巻き込んでいる映像コンテンツが、数%。日本なら制作費との兼合いから打ちきりになるだろう。でもアメリカでは成立する。何億円もかけて製作する。最初の放送だけでリクープしようなんて考えていないからだ。視聴率がマネタイズのすべて、だとこうはいかない。逆に言うと、視聴率がすべてだと、その後のマネタイズがしやすい企画が生まれにくいのかもしれない。

それからもうひとつ、このわかりやすいエコシステムのもっと哀しい欠陥は、作り手をアホにしてきた、という点だろう。作り手は、テレビ局もしくは代理店さえ見ておけばよかった。そしてそれら上流から制作費がいくら降りてくるか、だけを考えればよかった。というか、それ以外に経済的な要素を考えるポイントがなかった。そうしたシステムが生み出す意識に加えて、”活動屋”の世界から流れてきた職人意識や、日本の戦後左翼的な価値観(資本家は悪だ!)もミックスされて、お金もうけに興味ない独特のクリエイター気質が醸成されてしまった。おれたちは数字とか考えるのがイヤだからこういう世界に入ったわけでさあ、と平気で言ってしまう心性。それは、このテレビ局や代理店にぶらさがって甘えていれば生きていける、独特のエコシステムに起因するのだとぼくは思う。(これは局内、代理店内の制作セクションの人にも言えることだろうね)

このエコシステムはこれまではよかった。とてもよかった。よくできていた。わかりやすかったし、作り手は制作に専念できた。でもここへ来て、上記の2点の欠陥が大きくマイナスに働いている。

そこをどうするか、どう乗り越えるかが、個別の会社の課題でもあり、個々人の課題でもあるのだと思う。

そして、世界戦略を考える際もポイントとなる。世界戦略を構築することは、まったく新しいエコシステムを作り上げることだ。並大抵のことじゃないし、何年も何十年もかかるかもしれない。

うへー、またこってり濃厚な記事を書いてしまったよ。しかもまだまだ、書くべきこと、あるやんけ。ってわけで、なかなか終わらない、あんたとおいらの世界戦略!

このブログは何のために?(そしてぼくは?)

久々の更新のわりに、今日は無駄話を書く、と宣言しちゃう。ホントは世界戦略とか、iPadについてとか、書くべきこといっぱいあるんだけど、その前に今すぐ書きたいことが出てきたもんで。

このブログは2008年から書いてきた。そして何度か書いてきたように、Twitterとリンクさせてからぐいっとアクセス数が増えた。連動してフォロワー数も増えた。これを読んでるあなたも、そう言えばいちばん最初に読んだきっかけは誰かのTweetだったなあ、かもしれないよね。

個人ブログとしては、かなりテーマがはっきりしている方だと思う。クリエイティブビジネス論というくらいだから、クリエイティブ産業をどうビジネスにしていくのか、そして何より、このものすごい変革期にクリエイティブの担い手はどう考えて何をすべきかを書き続けている。すると当然、クリエイティブの担い手メディアの担い手コンテンツの担い手広告の担い手とにかく”担い手”が集まってくることになる。こいつぁてえへんだ、なんとかしなきゃ、な人たちが読んでくれてるんだと思う。

その中のひとり、@uguisu_pro(最近ママさんになった映像ディレクター)がわりと唐突にこんなTweetをくれた。

@sakaiosamu 唐突なんですが境さんのブログはやっぱり面白いですね。ツイッターやってると疎かになりがちですが、境さんの文章は長文で本領発揮されてると思うので是非ともブログ書いてください。ってホント唐突にすいません。

うれしいけどホント唐突だよな、とか思って、このブログのどこがいいのか140字以内で言ってくれよ(配点:30点)と返したら、こう言ってくれた。

@sakaiosamu 最近ディレクターやって母やってメディアリテラシー教育の末端にいて、と色々やってる身で。で、sakaiさんのブログ読んだら、やっぱり現場にいつつきちんと俯瞰で見ようと且つ文字にしようという、それってこの過渡期にかなり必要だと思って。

なんかうれしい。うれしいのは、正確に褒めてもらったから。「現場にいつつ俯瞰で見ようと、且つ文字にしようと」そうだな、言われてみるとそれ、やってるし、「それってこの過渡期にかなり必要だと」思って書いてるんだよな。

とくに今年は、過渡期にやるべきことを実際に目の当たりにし体感し実際に動いてみるやってみるそして書いていく、ってことを意識的に(仕事上でもミッションだし)やっているのだわ。その際に、ブログとTwitterはほんとに有効なことになっていて、動いてやって書いてつぶやいたらいろんな人と知り合ってまた動いてやってみている。だからこのブログのコンテンツは、”おれの知識”などでさえなく、”おれ”なんだ。

なんてことをもやもや考えながら外出していたら、今度は初めての方、@kayskayomuraさんからこんなTweetをもらった。3つに分れていたのをひとつにまとめてみよう。

@sakaiosamu 横から失礼します。今、テレビ・広告・芸能・音楽・出版業界がものすごい勢いで転落する中で、その状況に直面する業界人の心の内面を正直に文章に表している人って境さん以外に見当たらないんですよ。僕が知らないだけかもしれませんが。まずこの未曾有の状況において、境さんしかいないってことが際立っていますし、また境さんにそれができて他の人にそれができないのは、境さんだけが新しい時代に対応しようともがいてらっしゃるからだと思います。新しい時代とは要するに業界のIT化ですね。業界がこういった状況に陥った原因としてリーマン・ショックに端を発する世界的経済不況はあると思いますが、僕はそれ以上に大きい原因として、これら業界のIT化への立ち遅れがあると思います。 あ、140字を超えたから零点ですね。

ぼくはもちろん、1000点あげますと返信したわけだけど。

ここでこの初めてやりとりした方(最近ブログにコメントをいただいていたみたい)が”もがいていらっしゃる”と書いているのに驚いた。そしてうれしかった。このブログの過去の記事まで相当読んでくださったのだろうなと。そして、@uguisu_proに言われて「このブログのコンテンツは”おれ”だな」と考えていたところだったので、まったくその通りだと思ったわけ。ぼくがこのブログを通してみんなにひとつ胸を張って言えるのは、おれ、やってみてるぜ、ってことだから。おれ、頭いいぜ、とか、特殊な知識あるぜ、ってことじゃなく、おれ、やってみてるから、だからみんなもどんどんぐいぐい、やってみようぜ、と訴えている。呼びかけている。アジテーションしている。もう答えはやってみるところにしかない。たぶんこっちの方だから、これやってみよう。それしかないから。

やってみる前に理屈もこねる。やってみた後で論理化する。それも大事。でもやってみないとはじまらない。もうね、そういう局面なんだよな。

てなことを@kayskayomuraさんと話していたら、また別の初対面女子が何か言いたげに会話にからんできた。経済学とマーケティングで業界を救える、というので、教えてちょと振ったら、経営書の1ページ目に書いてあるようなことを得意げにTweetしてきたのでがーっかりした。んなこともうとっくにわかってるし、みんなやってるし、ってことで。そしてそんなんじゃ”救えない”んだから。会社が多少長持ちするだけだ。期待しちゃったもんで、ほんと深くがっくり。さらに話かみあわないわ失礼だろそれみたいなことを言うので、ブロックした。Twitter使って約1年ではじめてブロックしちゃったよ。しかも相手に「あなたブロックしましたから」みたいな捨てぜりふ的なことまで言って、おれ、大人げない。どうやら頭悪い子ちゃん(しかもどうやらオコチャマ)がお勉強の成果を大人にぶつけたかったらしい。おれたちが立ち向かってるの、お勉強じゃなくて現実だからさあ。必死にもがいてるおじさんにチャチャ入れないでくれる?

なんてことまでネタにして、ほんとに”コンテンツはおれ”だね、これじゃ。いや、でもそれでいいのだ。だってこのブログの存在意義は、「現場にいつつきちんと俯瞰で見ようと且つ文字にしようという、それってこの過渡期にかなり必要」だってところにあり、つまりはぼくが「新しい時代に対応しようともがいて」いる、その様子を書くことにあるからだ。そしてそれが、いまのぼく自身の存在意義でもあるのだろう。

うむむ、しかし今日もこういう内容でよかったのか、おれ?世界戦略どうするんだよ。うん、そこもあるんだよね、書きたいこと。だったら早く書け、ってば、わかったよ、ってば・・・