ソーシャルコンテンツ構想・その0

このブログを読んでくれる人もまた少し広がったかも、ということで、このブログを解説するページをつくってみた。

その時、過去の記事を読み返してみて、しまった、ということがある。けっこう途中で終わっちゃってるシリーズがあるんだよね。

とくに、「広告の新たな地平線」「VODに未来はあるのか」の2つは、ものすごく半端なことになっていた。どっちも、iPadがぼくの生活に登場したことで、気持ちがそっちに集中したもんで、忘れちゃってたんだね。

この2つは時間軸的には並行して書いていた。広告と、映像コンテンツの話で、別々のように見えるけど実際には密接に関係しているつもりだった。だから並行して書き進めることで、この2つのテーマに化学反応が起こるんじゃないか、という目論見だったわけ。

で、この2つを忘れていたのでもう一回、という気になったのだけど、どうせ化学反応起こすのなら、つづきはひとつにまとめていこうと思った。

それから、この2つを結びつけるのが実はソーシャルメディアだ、という前提に勝手に秘かに立っていた。だったら、そういう大テーマを掲げて、広告と映像コンテンツの未来を構想してみようと考えたわけ。

そこで、「ソーシャルコンテンツ構想」というサブタイトルをここに堂々と掲げるものであります。

広告の未来も、映像コンテンツの未来も、ソーシャルメディアが鍵になってくる。その上、ソーシャルを核に広告とコンテンツは境目がどんどん曖昧になって融合して渾沌として面白いことになってくると想像している。そしてほぼまちがいなく、この想像は具現化する。ただし、あともう1年か2年かかるだろうな。

ということで、「ソーシャルコンテンツ構想・その0」というタイトルにあいなりました。

さてこの、ソーシャルコンテンツ構想のベースとなる話は、すでに書いていた。広告の新たな地平線シリーズの中の最後の方、「コンテンツパワーとソーシャルパワー」という記事。でもこれはちょっとわかりにくかった気がする。

わかりにくかったので、いくつか、今後の話の鍵になりそうなことを箇条書きにしよう。でも思いついた順なので、整理はできていない。

・コミュニケーションの真ん中にデジタルを置く
・スマートデバイスがメディアのターミナルになる
・コンテンツの面白さがそのままパワーになる
・コンテンツと広告は融合していく
・メディアコストとコミュニケーション効果は必ずしも比例しなくなる
・映像(リッチコンテンツ)はいままでにも増して効力を持つ
・偶然の出会いを仕組むという矛盾を戦略化する必要がある
・複数の場(メディア)上で関連性のあるコンテンツを展開するべき
・総じて、今後は空爆よりゲリラ戦が効くことになる
・アートディレクションの役割が増す
・複数の領域の作り手がチームを組む必要が出てくる
・意外にコトバが重要になってくる
・物量やお金に、誠意や真摯さが勝利する

うわわわわ、思いつくにまかせて書き並べたらすごいたくさんの項目になっちゃった。それに、思いつきながら、それぞれが重要だ。

というわけで、上に書き並べた項目を少しずつ整理して、書き進めていこうと思う。ってけっこう、大変な作業になっちゃいそうだなあ・・・

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コメント

  1. こんにちは。いつもありがとうございます。>意外にコトバが重要になってくるこのあたりから書き進めていただけると、焼け跡に立つコピーライターとしてとても励みになります。

  2. 媒体開発を生業にする者が1番分からないのが、ソーシャルメディアって結局どういう姿でどう表現されるの?です。”広告とコンテンツが融合するのだ”という指摘に”なるほど”と合点が行きました。要はメーカーが一方的に作り出す広告から、消費者の願い事や共感する部分を共通意思して、これがインクルードされた情報=コンテンツだという風に解釈しましたが、これで良いのですね。

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