2010年ももう、あと十日でおしまいだね、ってことで、今年を振り返るつづきだよ。
今年はほんとうにソーシャルに明けてソーシャルに暮れようとしている感じだ。そしてこのブログにとって決定的な変化があった。
1)実名をさらした。2)Twitterアカウントを載せた。→アクセス数もフォロワー数も格段に増え、ゆるやかなコミュニティが生まれた。
ソーシャルメディアが起こす現象そのまんまが起こったわけ。個人的なブログでそんな類いまれな体験ができたのはホントによかったなと思うよ。
そうなったのは、佐々木俊尚さんの『ネットがあれば履歴書はいらない』を読んで、書いてある通りに”セルフブランディング”を実行した結果だ。
その顛末は、”焼け跡ブログ”というカテゴリーでくくった一連の記事を読むとわかる。この一連は自分で言うのもなんだけど、面白い読み物になっている。ソーシャル体験を生々しく語っているから。日々驚いたり喜んだりしている様子がホント、おもろいよ、おれ。
中でも、「高度成長の焼け跡に、ぼくらはiPhoneを手に立っている」と題した記事はなんというか、中年のぼくがみずみずしいこと書いたもんだと思う。最初に出てくる会食した”ある方”が佐々木俊尚さんだということは、前にも書いたよね。
この記事については、何人かの方から、”あの文章はホントによかったっす”てなことを言われた。このブログに目を留めてくれたきっかけになった、という方も多いみたいだ。
ぼくはいまはコピーライターという仕事からは離れてしまった。でも、同じようなことは結局、続けているんだと思う。つまり、”時代のメッセージ”を一所懸命紡ぎ出そうとしているんだね、いまも。
突然話が変わるんだけど、大学では宗教学を専攻していた。宗教を社会学的に研究する学問だ。その中で、”依り代(よりしろ)”という概念を教わった。例えばユタとかイタコとか、あるいは広くシャーマンとか、ある共同体にとって大事なことを”告げる”存在のことだ。神霊が”依りつく”対象のことで、人間に限らない。”言霊”なんて言い方もあるように、言葉にも神は依ってくる。
ぼくの解釈では、”神”とは、その共同体の共通意志みたいなものだと思うんだ。だから、依り代は、その共同体(コミュニティ)の意志を受け止める存在。
コピーライターとは、依り代だと思ってやってた。おのおのの仕事での共同体(=その商品を出す企業と広告にかかわる人々)の意志を言葉にする。その意志が対象となる消費者とも共有できると、商品を動かすこともできる。
コピーは、天才的なコピーライターがひとりで勝手に考えるんじゃなくて、打ち合せを何度も重ねるうちにそのチームの意志が乗り移って、書くというより”書かされる”ものだと思ってるんだ。
ぼくにはそんな性癖というか、習性というかが、身について離れないんだろう。だから、いまのぼくはたぶん、大きくメディアコンテンツ業界で頑張っていて、次の時代を真剣に考えている人たちの”共通意志”を言葉にしている、メッセージしているんじゃないだろうか。
そのひとつの表れが「高度成長の焼け跡に、ぼくらはiPhoneを手に立っている」という一行になったのだと思う。
ちょっと大げさだけど、sakaiosamuのミッションが、そういうことなんだと思う。ぼくとあなたと、それからあの人やその人の頭の中にもやもや、もごもごしている気分や概念を、「こういうことじゃね?」と文章化する。メッセージにする。そしてそのメッセージを通じてゆるやかな共同体を形成する。
この一年、ぼくは知らずして、そんなことをやっていたのではないだろうか。それこそ、誰かに命令されたのでもなく、一方で自分で明確になすべきことを自覚していたわけでもなく、ただ感覚的に動いているうちになぜか、このブログの場で言葉を紡ぎ続けてきた。
そう自分で気づくと、これはなんとも面白いと思うんだ。直接的な仕事ではないし、お金にも何にもなりそうにない。でも、面白いし価値もあると思う。そう思うと、来年もずっと続けていけそうだ。
そういう、不思議な自分のミッションを自覚できた2010年は、ずっと後で振り返ってもすごく大事な年だったんだろうなあ。そのミッションにはあなたも関与しているわけなので、あなたも当面はぼくのミッションに関わり続けなきゃね。飽きるまで、でいいからさ・・・