クラウドの海に漂っている私という存在〜Mac復旧せず〜

日曜日にMacがおかしくなりはじめた。

原因ははっきりしていて、本棚からドサドサドサーッと大量の本がMacの上に落ちたのだ。あとで気付いたのだけど、トラックパッドの右側部分にはっきりとへこみができていた。

ただ、日曜日の段階では、うーんちょっとおかしいな、ぐらいで済んでいた。起動して、Finderでファイル操作をしようとすると虹の円が回り続ける。でも、立ち上げてあるメールやFirefoxは動く。Finderがおかしいぞ、という程度だった。

月曜日に帰宅してからインストールディスクで起動し、ディスクユーティリティをかけた。これで絶対に直る、と思っていた。案の定、○○○を修復しました、というメッセージがすごい数出てきた。あー、これで直ったんだな、よくわかんないけど。そう思った。

再起動したら・・・やっぱり同じだ。うーん、これは重症。

翌日が祝日だったのも天の助けとばかりにアサイチでヤマダ電機に行って外付けHDDを買い、バックアップとってOS再インストールをやって、と作業を進めれば進めるほど、事態は悪くなり、ついに・・・起動ボタンを押しても、画面が明るくなるだけで何も起こらなくなってしまった。・・・うーん、IntelMacになってこんなの初めて・・・

少し前に、90年代からMac好きだったことを書いた。その頃はMacと言えば一日一回はフリーズし、月に一回は深刻な事態に陥るマシンだった。OSXになってからずいぶん安定し、IntelMacになってからはトラブルめいた事態が起こらなくなった。だから、ユーティリティだ再インストールだとやってみたのも何年ぶりかだったのだけど。

事態は最悪になった・・・

Macが動かない。数年ぶりで我が身に起こったこの事態は、ぼくをとてつもない重さで押しつぶしてきた。ものすごく落ち込んだ。いまのぼくにとって、Macが動かないことは、手足が動かないのに等しい事態だ。頭の中で考えたことを反映する手段がない。これまで考えてきたプロセスをぱっととり出すこともできない。iPadなんかでは到底カバーできない、自分の脳みその一部とも言える機能、それが動かなくなってしまった。一週間ぐらい寝込みたくなった。

いや?・・・だがしかし?・・・

ぼくはAppleのMobileMeというサービスを使っている。いわゆるクラウドサービス。Mac上のデータを必要な分だけクラウドサーバーに置ける。置いたデータは、別のMacからもとり出せるし、iPadやiPhoneとも同期できる。別々の場所の、別々のデバイスで、同じ環境、同じデータを扱うことができるのだ。

もちろん100%のデータをMobileMeに置いているわけではない。まだどこか、100%クラウドに置くことに抵抗があり、日々作業するデータに絞って置いている。仕事にとってほんとうに重要で機密にすべき文書は会社のMacだけに置いている。あるいは、プライベートな写真や音楽データはiPhotoやiTunesのデータとして、自宅Macの内蔵HDに入れてあった。

しかしこうなるとどうだ?全部MobileMeに置いちゃった方がよかったんでね?会社の機密に関わるもの以外はクラウドにしとけばよかった。少なくとも、きわめてプライベートなデータは消えてしまった。MobileMeに置いておけば、別のMacでもパパッと取り出せたじゃないか。

幸い、iTunesの音楽データはすべてiPhoneに入っている。iPhotoの写真の山はiPadに全部同期済みだ。そうすると、日々の作業に使うデータを別のMacでMobileMeから呼び出せばいいんだ。そうか。と気付いたぼくは、渋谷のAppleStoreにMacを預け、妻と息子に使わせていた旧MacBook Proを奪い取り、自分のアカウントのMobileMeのiDiskを呼び出した。あっという間に、ぼくの目の前に、ぼくの最新の作業ファイルたちが出現した。

妻子に渡していたのは最初のIntelMacBook Proで4年ぐらい前の機種だ。CPUはまだ、Intel Core Duo。OSもLeopardどまり。Snowにはしてない。去年買ったIntel Core2 DuoのSnowLeopardマシンに比べるといろいろ難はある。でも、こうしてブログを書ける状態にまで至っている。仕事上、軽い宿題もあったのだが、それもなんとか完成できた。

MobileMeを本格的に使い出したのは、実はこの春、iPhoneを買ってからだ。さっき100%クラウドに置くことに抵抗があり、と書いた。でもこうなるとどうだ?ぼくのデータは、100%クラウドに置けば、何かあっても別のマシンやデバイスで”あっという間に目の前にデータを出現”させられるじゃないか。手元のHDに物理的に”所有”しようとする方がずっと不安定だ。クラウドに置くことは、手元に置かないこと。だから不安になるけど、手元に”持ってない”状態の方が、ずっと長く”持っている”ことができるじゃないか。

ぼくにはいま、ようやくクラウドの意味と、予兆がわかってきた。

すごく大きな意味がありそうだ。

ひとつには、今後のコンテンツ流通とも関わる。こないだ紹介した志村一隆さんの『ネットテレビの衝撃』の後半に出てくるキーワードがある。”Buy Once, Play Anywhere”これもコンテンツのクラウドサービスの話だ。

もうひとつ、観念的なことを言うと、西洋近代が信奉してきた”所有”に対し、東洋哲学的に反論するのがクラウドということかもしれない。ぼくがものすごく不安になり、そして結局安心したのが、そういうことなんだ。そういうことってなんだよ、って話は追々ね。・・・追々書くテーマがまた一つ増えちゃったなあ・・・

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コメント

  1. そうね。本人より、デバイスが先に死ぬね。クラウドは、クラウドで自由なタイミングで、壊れたり、サービスなくなったりすので。

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