呪文を唱えれば呼び出せる私の分身〜Macまだ入院中〜

昨日の記事はタイトルとちょっとちがったかな。タイトルを最初に書いたときに書こうと思ってたことにたどり着く前に終わっちゃった、みたいな。

ということで、間髪入れずに昨日の続き、本来書こうと思ってたことを書くよ、今日は。

Macがおかしくなって入院させるまでの一連の流れの中で、ぼくは当初大きく落ち込んだのに、なんか、落ち込まなくてもいいんだな、と事態をとらえ直した。クラウドサービスを使っていたのに、とらえ方がクラウド化していなかったのだ。

大事なデータ(=現在進行中の自分)は、手元のMacのHDDの中にある。そんな感覚で十数年生きてきた。いやほんとに、Macはすっかり、ぼくが”生きる”ことと密接に結びついていた。だから、落ち込んだ。ところが、MobileMeを使っているということは、データをクラウドに置いているということは、別に落ち込むほどではないじゃないか。AppleStoreに預けておくだけだ。しばらく待てば元気になったMacが帰ってくるし、その間も別のMacで十分暮らせる。

つまりぼくにとって大事なのはもはやMacというマシンではないのだ。Macがぼくの分身なんじゃない。Macを操作して扱うデータがぼくの分身なのだ。

少し前に売り出した新しいMacBook Airのラインナップ。11インチなら8万円台。しかもストレージはたったの64GB!なるほどなー、ということだ。コンピュータって、なんだったらそんな構成でよくなくなくないすか?データは全部MobileMeに置いちゃえば、全然オッケーすよ。そんなメッセージなのかもしれない。

MacBook Airは、データを保存できるiPad、なのかもしれない。キーボードがついたiPadなのかもしれない。MacBookとiPadの差異は、いつかなくなるのかもしれない。

コンピュータは、いつか、ただの鏡になるのかもしれない。魔法使いが「鏡よ」と呼び出すように、IDとパスワードという呪文を唱えれば、鏡に分身が登場する、そんな存在になるのかも。

このクラウド感覚に、ぼくはもっと早く目覚めていてもおかしくなかった。だって、この何年間も書いてきたブログサービスこそ、クラウドじゃないか。ぼくは何年分もの自分のこの渾身の思いを、思想を、記録を、主張を、一行だって自分のMacの中に置いてやしない。gooのサーバーの中に置いてあるだけだ。書いているのはほとんど、自宅だけど、会社でも書けるし、なんだったら他人のPCやネットカフェでだって書けるのだ。99%自宅のMacで書いてきたから、ぼくが感覚的に誤解していただけだ。自分のMacに書き続けてきたような錯覚を感じていただけだった。

そしてこの話は、メディアとは何かという話にも結びついていく。自分の分身はMacなのか、クラウド上のデータなのかは、映像作品の鑑賞をDVDを所有して行うのか、なんらかのサーバー上から”呼び出す”のか。

なんて話に入っていこうと思ったけど、眠たいのでまた続きを書くからね。よろしくね。

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コメント

  1. Knowledge Navigatorであり、Soul Agentだと思いますね。Macの前に座ると、いろいろと発想が、溢れてくる感じがします。PCがなくなっても、新しいMacでも、向かっていれば、前に作業したファイル、というか、コンテンツは、よみがえってくるはずですが。そのままを取り戻そうとするより、記憶が、消えてしまう前に、新しいMacに、さっさと作業を手伝ってもらうほうがよいのでは、とか思ったりしますが。稟議が、取れませんかね。笑

  2. 家庭内の稟議は会社のよりハードルが高いです。稟議を出す時点で勇気が・・・(^^;

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