一時期ね。
”クール・ジャパン”とか言われてたでしょ。いわゆるオタク文化みたいなものが世界で評価されだして、いままでのエキゾチズム一辺倒の日本文化の評価のされ方が変わってきて、そんな現象を”クール・ジャパン”と言っていた。
”クール”って”イケてる”みたいな言葉だから、イケてる日本、いま風の日本、ということだったのかな。
でもクールなんてもてはやされてるわりには、日本のコンテンツ産業の海外進出はさほど進まなかった。
なんでじゃろ?
”クール”だったからだと、ぼくは思う。
つまり、とんがっちゃってた、と言うか、一部の人たちだった、と言うか。
わかってる人だけわかってくれる。そんな意外に小さな現象だったんじゃないか。
ジャパニメーション、とひところ言われて、クール・ジャパンの象徴になっていた。『マトリックス』の時には『アニマトリックス』なんていう、日本のアニメ作家によるスピンオフ作品も生まれた。見ると、なかなか”イケてる”作品だった。
今回のアカデミー賞受賞作品。『つみきのいえ』は、クール・ジャパンじゃない。ジャパニメーションでもない。”イケてる”かっていうと、そういう感想を持つ作品じゃない。表現形態はヨーロッパのアートアニメの風合いで、手描きのイラストにコンピュータで色着けて動かすという、ちょっとだけデジタルだけど本質的にはアナログな手法で制作された。
あんまり”最先端”じゃない。
でも受賞したよ。なんでだろう。
普遍性があったからだ、とぼくは思う。
あ、これをもう少し簡単に言わなきゃね。
誰が見てもわかるものだったからだと、思う。
誰が見ても、アメリカ人の審査員が見ても、ドイツ人のおばあちゃんが見ても、ブラジル人の子供が見ても、わかる。しかもセリフ無しで。
しかも、海面上昇という、みんなが興味ある事柄が物語の下地にある。(ただし、地球温暖化に警鐘を鳴らすために考えたんじゃないみたいよ。観た人がどう思ってもいいわけだけど)
そこが大事。
誰が見てもわかる、と書くと、ああ、じゃあ普遍性って小難しい言葉使ってるけど、わかりやすい、ってことね?とか言われそうだけど,そこはちーっとちがうけんね。
だから普遍性、と言っている。普遍性を獲得できるかどうか、あるいは、自分の表現を普遍的にもっていけるかどうか。それが”世界をめざせ”のとっても、たいへん、すっごく、大事なポイントになってくる。
この話、もう少し続けるね。
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