新聞を越えたジャーナリズムへ〜クリエイティブ維新その18〜

まず、新聞に代表される日本のジャーナリズムは、そうとう変だった。よく、マスコミは第三の権力だと言われていたけど、ほんとうに権力だったと思う。

ペンは剣より強し、と美しく言われてきたけど、その言葉通り、剣より強かったんだ。

剣より強い大権力者集団が、反権力っぽくふるまってきた。そのことが、この国の言論を大きくねじ曲げてきたとぼくは思う。

大学時代の同級生で某大新聞の友人と数年前に会った時、彼はハイヤーでやって来た。ぼくはものすごくびっくりした。「ハイヤーかよ!」と突っ込んだら「え?なに?」と不思議そうに答える。40代の男が私用での移動にハイヤーを使う。その奇妙さに自分で気づいていない。とんでもない世界に暮らしているのだ。

映画やドラマで”ブンヤ”として描かれている姿はアウトローっぽくてカッコいい。でも、夜討ち朝駆けと言っても会社の費用でハイヤー乗り回して取材しているんだ。アウトローでも何でもないよ。

これは日本の大マスコミ独特の企業文化だ。アメリカの新聞社は、個々がもっと規模が小さいので、そんな”大企業”っぽさはない。

日本のジャーナリズムの特異性は”記者クラブ”制度にも象徴化されている。政府の各役所にしろ、地方の役所にしろ、そして警察にしても、記者クラブが存在する。そこに詰めて、公の発表をもとに記事を書く。その一方で、記者クラブ通いによって人脈を形成し、独自の情報入手ルートをつくっていく。重要人物と交流して、そこからしかとれない情報を得ていく。記事にしたりしなかったりする。

そういう駆け引きが”取材”の大きな要素となる。だから、とくに政治記者が出世したりするのだ。

それはジャーナリズムなのだろうか?

インターネットは、そういう大マスコミの特権性をひっぺがしつつあるのだ。

じゃあ新聞はどうなるのか。なくなっちゃうのか。

答えは、日本のジャーナリズムが新聞を越えられるかどうかにかかっているだろう。新聞を越えられれば、新聞は生きていける。

じゃあどうすんの?それは次回に書こう。

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コメント

  1. 元朝日新聞記者の烏賀陽(うがや)氏の「朝日ともあろうものが」を読んで、同じようなことを感じました。「新聞を越えられれば、新聞は生きていける」——なるほど!とても気になります。

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