日本映画は生き残れるのか・・・映画らしさとか、もやもやと・・・

日曜日に『探偵はBARにいる』という映画を観に行った。

中一の娘と、いくつかの映画の予告編を観たら、彼女がこれがいいと言ったのだ。ミステリー好きの娘は、自慢のようだけど目が肥えてるし、鼻が利く。彼女なりに何かをかぎ分けたようなのだ。

そこで観に行った。中年の父親が娘を連れていくタイプの映画ではない。でも、思いっきり楽しんだ。娘も満足した様子だった。

『探偵はBARにいる』はタイトル通り探偵映画だ。日本ではありえない、私立探偵が謎の女の依頼で殺人事件を捜査するという物語。こういうの、すごく久しぶりで懐かしく、また新鮮だった。何に似てるかといえば、松田優作のテレビ映画『探偵物語』にすごく似ている。

『探偵物語』はテレビだったけど、映画だった。そして、その頃、80年代あたりまでは東映の映画には探偵だの犯罪だのが描かれる、垢抜けたような垢抜けないような独特のにおいを放つラインナップがあったもんだ。帽子をかぶった探偵とか、うさんくさいけど協力もしてくれる刑事とか、繁華街のいかがわしい仲間たちとか、どこかに欠陥を持つヤクザや暴力団とか。そして謎の女が電話かけてきたり、麻薬取引の情報が飛び交ったり、拳銃をがんがん撃ちあったり、殴りあいをして血へどを吐いたり、リンチ受けて顔がぼこぼこになったり。

チャンドラー、そしてハメットの小説にかぶれて、日本流にアレンジしたコミカルなハードボイルドの潮流が30年ぐらい前には確かに存在していた。すでに斜陽になって下降線をたどっていた日本映画界にあって、うらぶれてるけど魅力的な香りを漂わせて、一部の、そういうのにかぶれてしまう青少年たちをおびき寄せていたのだ。青少年たちはすっかりかぶれて、サングラスを意味なくかけて場末の小汚いバーでよく知りもしないのにバーボンを注文して飲んだもんだ。

少し大げさに言うと、なんとかそういう探偵みたいな暮らしができないものかと、大企業に入ってネクタイ締めて満員電車に揺られるのではなく、小さくても自分の”探偵事務所”で、いかがわしい仲間たちとやっていけないものかと、そんな欲求の果てが、コピーライター稼業だったかもしれない。

うーん、すっかり80年代のうらぶれた青春時代に浸ってしまった。そんなノスタルジーを書くつもりで書きはじめたんじゃないぞ、今日は。

『探偵はBARにいる』で驚いたのは、これが興行ランキング1位だったことだ。

どうしてそんなに驚くのか。それは、この作品が東映配給だからだ。いや、そればかりか、東映制作で東映配給なのだ。製作は(衣のつく製作とつかない制作のちがいは『テレビは生き残れるのか』参照)製作委員会なのだけど、これは事実上、製販一体の100%東映映画だと言っていい。

そして東映映画が興行トップというのは、大変大変珍しいのだ。

ただし、これはたまたま、トップになった週が”スキマ”だったことが大きい。オープニング2日間、つまり公開した土日の興行収入は1億7千万円だったそうだ。普通、興行トップの作品は最初の2日間で3億円台に至ることがほとんど。

そういう他社作品がなかった。だから、東映作品がトップになれた。

・・・をいをい・・・さっきから黙って聞いてりゃ東映なのに東映なのに、って。東映に何か恨みでもあるのかよ。などと、からみたくなる?うん、ごもっとも!でも、ホントに東映がトップは珍しいの。普通は、東宝なの。東宝と、東映や松竹との間には、もはや超えようがないほど大きな差がついちゃってるの。・・・てなこととか、そうは言っても今年は少し違うかも、ってこととか、また次回ね。

忘れてたけど、少し前の回に、しばらく映画について書く、って言ってたので、これからしばらくはホントに映画について書くよ・・・

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