70年代にいままでの広告の仕組みが完成した、と書いたね。それはつまり、この頃に日本の”近代化”が完成したってことなんだ。
”近代化”と書くと、その前が”前近代”でなんだか情けない世の中だったみたいじゃないか。”近代化”ってえらそうに言ったって、しょせんは”製造業中心の産業資本主義”によって経済力が大増強して、誰もがそこそこお金を稼げるようになった、ってことにすぎない。
製造業は世の中をどどーんと変貌させる。いまの中国が好例だね。農業人口が都市に流入して”製造業”のブルーカラーかホワイトカラーになる。ホワイトカラーの方がえらそうに思えるけど、製造業の管理職だってだけの話だ。とにかく、日本でも、中卒高卒で農村から就職列車で都会にやって来て工場で働くようになった。大学まで出れた人はホワイトカラーになった。そんなことが50年代60年代に急激に日本で起こった。
製造業の従事者はその生産者であり消費者にもなった。真面目にやってたら”所得倍増論”にのっとってほんとに所得が倍増した。洗濯機と冷蔵庫とテレビまで買えるようになった。働いて多少イヤになってもテレビで長嶋が頑張ってるから自分も頑張れた。気がついたらローンで一戸建ても買えてマイカーまで手に入った。やった!おれ、がんばったじゃん!その頃、テレビ広告費が新聞広告費を抜いた。テレビがメディアの王様になった。
日本人はマジメにまだまだ働いた。子供らも育って”団塊の世代”となり生産者になり消費者になった。彼らはお父さんたちとちがって豊かさをエンジョイした。テレビと新聞で新発売が告知された商品をどんどん買っていった。クルマはもっと大きいヤツがいいし、洗剤は新しい成分のよく落ちるヤツがいいし、コカコーラよりおいしい飲み物が次々出るし、ビールはキリンもサッポロもおいしくなっていった。
広告とはそういう、近代化が完成された中、製造業がウハウハ新商品を売りだし、その告知システムとしてマスメディアが機能していった、そんな中で成長してきた仕組みなんだ。
変わろうとしているのは、そういう仕組みだってこと。マスメディアはどこまで行っても近代化の延長線上のものでしかないし、近代ってもんがもはやどうでもよくなってきている中、マスメディアもどうでもいいもんになりかけている。
つまり、ぼくたちが考えるべき”次のこと”とは、”製造業がウハウハ生み出す新商品をマスメディアによって告知する”システムはもうどうでもいいよね、って前提からはじまるってことだね。
わかる?・・・うん、ここで書いてることはわかるよね。でも、まだ”次のこと”はよくわかんない。そりゃそうだ。ぼくもまだわかんないもん。だからさ、考えようぜ・・・
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