Rockの矛盾、Macの矛盾

iPadとスティーブ・ジョブズのメッセージについて2つ書いたので、もうひとつ書こうと思う。なんとなく3つ揃えたくて。でも今日は結末を見据えずに書くので、支離滅裂になっても許してね。

学生時代、ロックンロールについて探求した時期がある。プレスリーは南部の貧しい田舎町で黒人ブルースマンの音楽に慣れ親しんで育った。青年になってマイクの前で子供の頃身体に染みついたブルースを歌ったら白人が歌うロックンロールが誕生した。そのプレスリーにいかれたリバプールの若者たちが4人集まったらビートルズになった。ストーンズは最初の頃、大好きな黒人音楽のコピーばかり演奏しイギリスのヒットチャートを駆けのぼった。ロックギターの基礎を作ったクラプトンはようするにアンプで歪ませたギターの音でブルースを弾いてロックギターを完成させた。

アメリカで生まれたロックンロールが、イギリスの若者たちによって進化した。それがいまのロックミュージックの源流だ。そのルーツをどうたどっても黒人音楽にたどりつく。ではその黒人音楽とは何なのだろう。

もう名前も忘れたけどある学者が、アメリカのブルースのルーツを追い求めてアフリカの音楽を研究したそうだ。だけど、音楽的なつながりはほとんどないことがわかりその学者はがく然とした。ブルースは、アメリカ南部で奴隷生活を送っていた黒人たちが、欧米の楽器を使って生み出したオリジナルなものだった。つまりブルースは近代の矛盾、人権だなんだと言いながら奴隷制度に微塵の疑いも持たなかった西洋近代の矛盾を背負って虐げられて暮らしていた黒人たちの哀歌なのだ。

そのブルースに、西洋近代の恵まれない少年時代を過ごした白人がシンパシーを感じて化学反応を引き起こして生まれたのがロックンロールなのだ。だからロックンローラーはみな貧しい生まれだ。ロックンロールとは、哀しみをポジティブに爆発させた表現なのだ。もともと、矛盾を内包している音楽なのだ。だからこそ、20世紀のティーンエイジャーが引き込まれた。

ロックンロールにはもうひとつ、重大な矛盾がある。そのメッセージは、もともとが黒人たちへのシンパシーから生み出されたものだから、西洋近代へのアンチテーゼになっている。愛や人間性を歌い上げ、あらゆる権威、エスタブリッシュメントに背を向ける。だから、まっとうな社会を形成する大人たちに忌み嫌われた。西洋近代が造り上げてきたものに、反抗することがロックミュージックの使命だった。

ところが、ロックミュージックが世界を席巻し、ビートルズやストーンズがスーパースターになるための装置は、西洋近代の結実であるマスメディアとパッケージメディアだった。つまりはテレビ放送とレコードだった。マスメディアは何しろ、西洋近代の大きな果実である大量生産・大量消費を支える重要なシステムなのだ。そしてそうした20世紀のメディアなくしてはロックミュージックの大流行は起こらなかった。ビートルズの真似をして若者たちが長髪をなびかせジーンズをはいたのは、マスメディアでその姿を強烈に刷り込まれたからだ。西洋近代なんてやってらんねえぜ、というメッセージを、西洋近代の真骨頂であるメディアに乗せて送り届けていたのだ。

放送と複製に重要性を持たせるのが、マスメディアの特性だった。そして放送を起ち上げるには、発信するための設備と各エリアに放送を届ける電波網という莫大な投資が必要だった。複製にも特殊な工場設備と希少性の高い技術が欠かせなかった。だからマスメディアは非常に特殊な権益だった。著作権法が複製にやたらうるさいのも、その特殊性を守るためだ。放送に必要な電波を国家が管理し割り当てるのは、特殊な権益を通じて誰かが何かをコントロールしたいからだ。実際には誰も何もコントロールできないのだけれど。

Macの有名な「1984」というコマーシャルフィルムがある。You Tubeで検索すれば出てくるんじゃないかな。誰がどう見てもIBMにしか思えない巨大な企業が人びとを支配する社会を、ジャンヌ・ダルクよろしく登場する女性が打ち壊す物語。Macというパーソナルコンピュータは、IBMというエスタブリッシュメント、コンピュータを独占的につくってビジネス社会を支配してきた企業に対するアンチテーゼから生まれた。その理念を明快に示す映像だ。

Macはインターネットとも共犯関係を築きながら、人びとを解放してきた。コンピュータを使う自由を特定の巨大企業から人びとのために奪取してきたのだ。

そしてついに、iPadがマスメディアの仕組みをぶち壊そうとしている。西洋近代なんてやってらんねえぜ愛こそすべてだぜというジョン・レノンのメッセージを増幅したのは、西洋近代の真骨頂たるマスメディアだったわけだが、それを今度はIT界のロックンローラー、スティーブ・ジョブズがぶち壊すのだ。

ところがそのジョブズの理念を実現するために、またもや矛盾が起こりはじめている。西洋近代のコミュニケーションを支配してきたマスメディアの仕組みを壊すために、ジョブズはすべてのトラフィックをiOSに押し込めようとしているのだ。アプリの登録には明確なルールがなく、表現は曖昧に、でもはっきりと制限される。支配からの解放のために、新たな支配をもたらそうとしているかのように。

もちろん、Andoroid陣営が対抗勢力になるのだろうし、日本からはSHARPが名乗りをあげている。ジョブズの解放運動(=新たな支配)は100%達成はできないのだろう。

おおー、@KenzrockIzutani さんも期待してくれてたのでとにかくMacの理念とロックンロールのシリーズを書いたけど、なんだこりゃこの文章、結論がないじゃないか。ただひたすら、ぼくたちは矛盾を積み重ねて進んできた、という状態が少しわかっただけだ。でもまあ、人間とか、社会とか、生きることとかは、そういうものなんだろう。矛盾だらけなんだろう。

それがわかっても、ぼくたちは、自由をめざす。新しい地平へ向かっていく。どんなに矛盾が積み重なっていようと、そこには人生を傾ける価値はきっとあるのだろうから。ぼくたちが信じるべきはジョブズでもiPadでもない。自由をめざす意志、その価値だけを信じていればいいのだと思う。

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コメント

  1. ザウルスフォーマットで、「ラテカピュータ」を作ったハードの人とかが、作り上げるから。ちょっと、微妙なんで。様子見なんですけど。オーサリングツールとか絵も、見ましたけど、どんなもんに仕上がるのかも、不明だし。コンセプト宣言しかないので。

  2. あ、そこへのコメントか。Sharpの端末、ニュース映像ではスゴそうだったけど。まあ、様子を見守りたいね。

  3. 「解放」という言葉は共産主義者の常套句としてよく使われてきましたが、「頭のいい我々が庶民を解放してあげよう」という支配階級の考え方があまり好きではありません。がしかし、最近の日本政治の閉塞感等を見るにあたり、破壊的な変革・改革・創造は民主主義的に大衆からボトムアップで成すことは難しく、聖人的な天才による扇動も時には必要なのかなとも感じる今日この頃。

  4. パーソナルコンピューター自体、70年代のカウンターカルチャーから生まれてきましたが、エスタブリッシュメントに対するカウンターであり続けるためにエスタブリッシュメント然とした手法をまたそれ自身が内包するという矛盾を生んでいるというのは皮肉なものですね。

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