NewsPicksに抗議した件、NewsPicksとは決着したんだけど、前々回の記事にコメントをしてくれた方が、なぜあそこまで激怒したのかわかりにくいかも、と書いていたので、そこを少しは説明しておこうと思う。その方は読み込んでわかってくれてるみたいけど、あらためておっさんが少し年下の友人に語るようなつもりで書いてみようかな、と。そういう文体のほうがわかりやすいだろうと思うんだよね。ただこの文章、8000字以上あってものすごく長いので、ヒマで仕方ない時にでも読んでほしいんだけど。
その前に、月曜日にNewsPicksに行って、火曜日に東京FMの番組に出たこともさらっと書いておくわ。
NewsPicksでは、代表の梅田優祐氏と編集長の佐々木紀彦氏が迎えてくれた。うちのサービスで不愉快な思いをさせてしまい申し訳なかった、と言ってくれてね。彼らは自ら記事を作っているので、自分で作った記事を自分のサービス上でユーザーにいろいろ言われることも多いし、運営についても強い意見をたくさんもらうので、気持ちわかります、ということみたいだ。記事を書くぼくらのような人間は大事にしたいし支援になればと思っているので、ライターが不愉快になってしまうのは本意ではないんだって。
いろんなことを話したんだけど、とにかく彼らもこのところコメントによって生じる”空気”について悩んでいたとのこと。そしてね、ここがポイントだなあと思ったのが、当初梅田さんは運営側がコメントについて関与すべきではない、という方針だったんだって。いわゆる市場原理のように、自然にあるべき姿に落ち着くはずだ、と。ところがある時期から、そうも言えなくなってきた。運営が関与しないといいコミュニティになっていかないと考えるようになった。そう、NewsPicksはプラットフォームでありコミュニティでもあるんだよね。ドライなプラットフォームのつもりだったけど、いまや人間味あふれるコミュニティになった。それはいいことだけど、そうなると運営がコミュニティに関与すべきだとわかった。
ぼくが抗議した関連では規約の7条、5と6が修正したところ。5では、経済に関係ないような記事について「当社の判断により」削除することもある、となっている。6では、誹謗中傷などの通報があった場合にコメントを削除することがある、と変更している。
大きな方向転換だよね。コメントを削除するってかなりのことだよ。ぼくはびっくりした。自然に落ち着くはずと考えていた方針から、180度変わった。これはぼくの抗議の前から準備していたものだって。だからぼくの抗議はわかりやすい事例にたまたまなったんだろうね。規約変更後に、すでにいくつか通報があり、コメント削除はさっそく行っているらしい。
ぼくからは、土曜日の梅田さんのアナウンスはよかったし、ユーザーもすごく評価しているねと言った。そこはコミュニティ運営で重要な点で、中心人物が「こう使ってほしい」とみんなに伝えるのはコミュニティを強く導く。学生の頃かじった宗教学の話をしたんだけど、宗教の構成要素は3つあって、教祖と教団と、あとは教典なんだって。これは人間の集団どれにでも応用できる。NewsPicksにとって教典に当たるのが梅田さんのアナウンスだ。前はよくああいうアナウンスをしていたのに最近そう言えばしていなかった、と彼らも言っていた。梅田さんが、個々の要素について、なぜそうしたかをこれからどんどんアナウンスしていくと、ユーザーも、そうかそのためにこのサービスはあるのか、と意外に率直に認めるものだと思う。いいコミュニティになっていくといいよね。
東京FMの「タイムライン」という番組に出た話もしておくとね。この番組は前にも二三回呼んでもらっていて、本業のメディアコンサルタントとして、テレビやネットの世界で起こっている新しい動きを解説する役割だった。それが今回は「渦中の人」としての出演だったので、不思議な気分。
週ごとにキャスターがいて、火曜日は隔週で古谷経衡氏。政治も含めてハードな題材を扱う著述家。お若くてキュートな顔立ちなので扱う題材とのギャップが面白い。
古谷さんはYahoo!でも書いているので探してみるといいと思う。そしてNewsPicksではあんまりなかったけど、あちこちの記事でいろんな思いをしてきたそうだ。
「渦中の人」とは言え、もう抗議は取り下げたあとだったので、展開についてぼくが報告する進行になった。「批判」と「侮辱」はどうちがうのか、などぼくとして大事だと思う点を話せた。
古谷さんが教えてくれたんだけど、彼は実際に原告として法廷で争って和解に至った件があったんだって。詳しく口外しないことが和解の条件なので詳細は言えない。扱う題材がハードなので、案件としてもそうとうハードなんだろうね。
「言論活動をしていると、法律で守るしかないですからね」実感を込めていっていた。そう、本当にみんなね、不用意なことを言っていないかどうかよく考えたほうがいい。実際に法律であらそうことはあるんだから。
放送内容はアーカイブで一週間後まで聞けるから興味あったら。PCじゃないとだめなんだけど。
→東京FM『タイムライン』(右側にアーカイブがある)
さてなんでぼくがあそこまで怒ったのか。説明し尽くせないけど、できるだけ説明したいと思う。
ぼくはたまたま、ふと思ったこととして「赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない」と題したブログを書いた。信じられないアクセスがあり、メールなどもいっぱいもらった。まずその時のことを「一発当てた」と三上という男が言っているわけだけど、ぼくのブログは広告を入れていなくて、ここがアクセス数がどんだけ多くてもお金にはならない。それから、18万いいね!は転載先のハフィントンポストでのことだけど、そこにも何の金銭的やり取りもない。だからあの時のことを「一発当てた」と表現するのは違うわけ。
なぜ広告を入れないかというと、個人ブログで広告で得られる収入なんてたかが知れてるから。もちろん高い収入を得ている人もいるだろうけど、それはもっと前からやってた一握りの人びとだしね。それより、画面がいい感じにならないことのほうがぼくは嫌だ。
余計なことをいうと、著名ブロガーの真似をして、稼ぐためにブログはじめてる人をけっこう見かけるけど、意味がないからやめたほうがいいよ。たぶん労力に見合った収入は得られないから。ブログを書く意味はそんなところにはなくて、純粋に自分の情報発信が大きく広がること。
話を戻して、18万いいね!があってから、孤独な子育てに悩んでいたママさんからものすごくいっぱいメールをもらった。ぼくはこの突然の嵐のような出来事に当惑したんだけど、メールの中に昔仕事した女性がいて、いまこんな子育てを仲間としてますとある。興味を持って行ってみた。そこから、子育ての形を模索する活動がたくさんあることを知って、どんどん取材して書いていった。それをひとつの書籍にまとめたってわけ。
書籍になんでするかわかる?ブログを通じて世の中に発信するのにはどこか限界があるの。まとまった文章を手に取って読んでもらうことにはネットでの発信とは違う価値があり、書店の場でブログ同様にメッセージを発信できるわけ。違う形で世の中に問題提議できる。でもね、いくつか出版社に持っていったんだけど、売れるとは思えない、という反応。売らなきゃいけないからね、いま本は本当に売れないから。ふだんメディアがどうしたとか言ってるおっさんが、育児について語るなんて、その時点でわかりにくいって言われた。
そしたら、出版社を立ち上げたばかりという青年がやってきて、あなたの本を出したい!というわけ。えー?!初めての出版で書店に本を置けるの?と思ったけど、彼にほだされてそこで出すことにした。それが三輪舎。
いちいち本のPRしやがって、と三上という男は思ったらしい。でもね、あの本は本当に売れてないの。それでも著者は刷った分印税はもらう。出版社は売り切らないといかんわけ。だから著者は出版社に対する責任として、本をアピールしないといけないんだよ。
そしてそのあと、たまたま知った保育園反対運動が気になって、またたまたま自宅の近くなので行ってみた。保育園側も行政側も反対運動側も、みんな取材させてくれたから、話を聞いては記事にしていった。この時はまたプレジデントウーマンオンラインで連載やる?って話もあったので、そこで書いたの。
とくに反対側はどんな主張があるのか、フラットな気持ちで取材していった。でも聞けば聞くほど、反対するスジが通ってないなあと思った。それをできるだけフラットな書き方で書いたつもり。でも、そのあとは会ってくれなくなった。そして久々に説明会が開かれるというので見学に行ったら、こないだまで取材に応じてくれた反対側の人たちが「マスコミは呼ばないんじゃないですか?でも記者がいますよね!どういうことでしょう!」と言い出した。記者っておれ?って感じなんだけど、仕方ないらしく、退出させられた。
こういう記事を書いていると、メールをもらうようになる。「保活中の者ですが、私の町に保育園の計画があり期待していたら猛烈な反対運動が起こっています。アドバイスいただけませんでしょうか」そんな相談が来るわけ。相談されたら会うでしょ、おじさんが若い人にアドバイスとか言われたら。
それで説明会に行ってまた追い出されたりとかね、そうしながらもだんだん、いろんなことがわかってきた。反対運動が起こるメカニズムみたいなものがね、少しずつ見えてきたのよ。・・・でもね、どうしたらいいかはわからない。
地元を刺激するのはよくないらしいと学んだので、できるだけ一般論としてブログに書いたりするわけ。でもそれが何になってるんだろう?わからないなと悩みながら書くわけ。そしてまた別の説明会に行ってまた追い出されたりするわけ。何やってんだおれ、と途方に暮れるわけ。
市川市のママさんからもメールもらったの。現地にも行ってみたよ。反対の看板掲げている家が並んでた。その写真も撮った。PV稼ぎたきゃその写真のっければいいよね、でもそれだとこじらせるだけかも。だから少し様子を見ようと思って書かなかった。とにかく、署名運動をしてはどうでしょう、てな、大したアドバイスになってないようなことを言った。
そんな最中に、「保育園落ちた日本死ね」からはじまる”運動”が巻き起こった。すごいすごい!と思ったね。当事者が強烈なメッセージを発信したからだよね。こういうことも起こるんだとびっくりした。それに続いて「保育園落ちたの私だ」とつなげていく人たちも現れて、ぼくはちょうど3月からYahoo!ニュースで書くことになったので、取材して書いたらものすごいPV数になった。そうかあ、こういう風にムーブメント起こせるんだなあと、少しやり方わかった気がした。政治の問題にもなって、社会が保育園の問題に向き合うようになった。
ところが、4月になって市川市のママさんから連絡をもらった。計画が中止になった、と。ガーン!やっと世間が保育園の問題に目を向けるようになったのに、行政も事業者もその風を受けてもう少し粘ればいいのに。
連絡をもらって一週間ぐらいしてから毎日新聞が市川市の件を記事にした。なーんだよ、いまさら、と思ってたら、それで火がついてまた保育園問題に世間の目が向かった。反対運動について賛否両論巻き起こった。へー!そうなるんだ。議論になったことに驚いた。
うーん、だったら、書けばよかったかもしれない。相談された段階で、現地行って撮った写真使って、記事書いてもよかったのかもしれない。いや、でもわからないんだよね。たんに話をややこしくするだけかもしれないし。でもいまは何らか、書くべきだったんじゃないかと思ってる。
とにかく、反対運動にスポットライトが当たってよかったな、と思ってたら、熊本の地震でこの問題から世間の目が離れてしまった。それは仕方ないかもしれないけど、マスメディアも、人びとも、簡単に忘れるんだなあと思った。
そんな中に、iRONNAから寄稿の依頼があったの。これ言うと失礼だけど、実は前にもメディア論のほうで依頼もらったことあって、断っちゃったの。このメディア、自分に合わないなーと思ったから。大きくわけると保守論壇だからね。別にぼくはリベラルだとも思ってないけど。思想的に色がついたら困るなと。
でも依頼の内容は、市川市の件を受けて保育園反対運動について、だったの。あ、そうかと思った。これまで書いても書いても、肝心なところに届いてないなと思ってた。iRONNAは、編集部に聞いてみるとやっぱり年配層が高いんだって。だったら、そういう人たち向けにそもそものところから書くことにはかなり意義があるんじゃないか。反対しそうな人たちに、なぜ反対しないほうがいいか、少しでもわかってもらえるんじゃないか。だから書いたの。
そういう目的だから、いちからくどくどと説明したわけ。自分がおっさんなのになんでこういう問題にかかわっているかも、書く必要があったわけ。おれ、あんたら同様普通のおっさんだけど、こんな経緯で関わってんだよね。そこを書くことで、読む側のおっさんらも、自分のことに引き寄せてくれないか、という文章だったの。
iRONNAに原稿が出て、どんな読まれ方してるかすごい気になった。果たして年配層がどれくらい読んだのか。Twitter検索するけど、つぶやき見てもよくわからないよね。ただとにかく、好意的に受けとめる声が多いのはわかった。「いいね!」も5000もついたしね。そこはよかったな。でも狙いはまた違うんだけど。つぶやき見ていってもわからない。そうしているうちに、思わずNewsPicksに入っちゃった。いかん、まずい、どうせ嫌な思いするだけだとっとと出よう。でもコメント見ていくとなんだここの人たちもネガティブなこと言うだけじゃないんだ。なにしろぼくはすっかりそういうイメージ持ってるんでね。ふむふむ、と。批判的なこと書いてる人もいたけど、一理あったりして。なるほどね、なんて思ってたら、三上のあのコメントが出てきた。
その時の気分ね、松田優作だった。「なんじゃ、こらー!?」いつの間にかよくわからない相手に刺されてるわけ。批判でもない。中身と関係なく、ただただこき下ろすためだけに書かれた言葉。けなすにしても、毒づくにしても、時として言葉は美しかったり知性が光ったりすることもある。でもなんだこれ?何でもないよこれ。なんだかわけわかんない。「いいね18万の一発屋」って全然意味わかんないけど、侮辱する意志だけははっきりとくっきりと伝わってくる。あのコメントをいままた思い出しても血が沸騰しはじめる。卑劣だよ、あの言葉は。
何か言ってやりたい。リアルな場なら、胸ぐらつかんで、お前なんだその言い方は!って怒鳴りつけるだろう。でもNewsPicksは何もできないんだよ。ただPCの前でわなわなするしかない。
どうしようか、何すればいいか。しばらくわからなかった。一晩おいたと思うんだけど、ふと気づいた。Twitter連携してるかも!検索したら出てきた。三上俊輔という男。話しかけた。「誹謗中傷になっている」というこちらに対し「二番煎じだと思いました。お会いしてお話しますか?」という返事。は????なんだこいつ。「二番煎じ」などとさらに追い討ちをかけるようなこと言いつついきなりお会いしますか?ってどういうやつ?「二番煎じだと一発屋と言っていいわけですか?」と追いかけたら「ずいぶん一発屋にご執心ですね」だって。傷口に塩をすり込んで楽しんでるようにしか見えない。「三上さんは会いましょうと言ったのに境はシカトしてる」って声を読んだけど、こんなキテレツな反応する失礼な人間に会おうなんて思うはずないよ。会いましょうかと言いながら、さらに揶揄ばかりしている。ほんとうに会う気があると思えないよ。というか不気味だよ。
だから「正式な抗議に移ります」と最後に書いたら「Twitterのコミュニケーションだけで一方的な解釈は怖いな。だから私は最初にお会いしてお話しましょうか?と言ったのに」だって。だからぼくは正式な抗議に移ったわけ。
このやりとりは、ご丁寧に三上という男が自分のブログに書いてるから読んでもらうといい。
http://mikamika8375.hatenablog.com/entry/2016/05/18/093652
ここで「ご本人ですか、ちょっと言いすぎました。」とでも言われたら会ったかもしれないよ。でも痛いじゃないかと言ったらさらにグサグサ刺しながらお会いしましょう、って全然わからない。
三上という男は、その後もブログとTwitterでグサグサ刺している。「売名行為」「PV稼ぎ」「今回二発目が出たから」などと侮辱を重ねている。侮辱はひと言ぐらいでは検察がとりあわないのだけど、こうしてどんどん重ねるとわからないよ。最初のひと言からして侮辱は侮辱なんだから。
http://mikamika8375.hatenablog.com/entry/2016/05/21/051636
いやちがうか、これは「なぜここまで激怒したのか」を説明するために書いてたんだった。またヒートアップしちゃったけどそういう話じゃなかった。
できるだけ一般論に高めたことを言おうと思う。批判しても当然いいし、なんだったら侮辱だって受けて立つけど、人が書いたものに何か言うのなら、2つの点に気をつけてほしいと思うよ。
1つはね、ちゃんと読んでよ。二番煎じって、どう見ても1ページ目だけ読んで言ってるでしょ。二年前に書いた「赤ちゃんにきびしい国で・・・」とiRONNAに書いたものはタイトルが似てるだけで全然違う内容なんだよ。まったく二番煎じじゃない。上に書いたように、保育園反対運動への取材からわかったことを書いていて、それはこの一年の取材の成果なんだから、二年前に書いたものの二番煎じにはなりようがないの。二番煎じと言うなら、前のものを一度読み返すぐらいすべきだ。
ちゃんと読んでよのもうひとつは、あの記事は1ページ目に「保育園問題を実感しにくい中高年にこそ読んでほしい」と見出しがでーんとついてるの。つまり二年前の記事を読んだ人に向けては書いてないわけ。対象外の人は読むなとは言わないけど、その見出しをちゃんと読んだら、どうして1ページ目でくどくど書いてるかわかるはずでしょ。三上という男の言ってることはさあ、よく読まないで書いたコメントだってのがありありとわかる。それなのにどうしてああ胸を張って二番煎じと言えるの?
2点目はね、思ったことをちゃんと書けよ、ってこと。1ページ目が長くてイライラしたんでしょ?だったら「1ページ目がこんなに長くてかったるい記事、イライラするよ!」とか言えばいいじゃん。それは「批判」だからさ。的外れでも。なのに1ページ目が長すぎるとどうして「一発屋」って言うの、わざわざ。意味わかんないじゃん。「いいね18万の一発屋」とか書くから「なんじゃこらー!」になるわけ。ZARDからして意味わかんなかったんだけど、なんでそんな変な表現するの?
まあなんというか、ぼくとして予想外だったのはね、ものすごく変わった人に当たっちゃったことだね。とっとと謝ってくれたら個人のほうはすぐに文章差し替えて、NewsPicksに絞った抗議にするつもりだったのに、逆になるとは。
NewsPicksへの抗議は取り下げたけど、三上という男への抗議は取り下げない。取り下げられない。謝るどころか、侮辱を重ねてるから。だから彼に対して、内容証明を送るか、メールで済ますかわかんないけど、ここに書いたことをぐっと凝縮して送り届けようと思う。今度こそ心して受けとめてほしい。
保育園反対運動はまだ、首都圏のあちこちで起こってる。前に取材した80代の、でもかくしゃくとしたおばあちゃんの園長先生がメールをくれた。老骨にむち打ってもうひとつ保育園を開設してがんばろうとしていたら、猛烈な反対運動に悩んでいる。そんな話だ。ぼくからするとお袋みたいな園長先生が、相談にのってくれと言っている。ぼくは市川市のようにポシャらないように、今度こそ役に立ちたいと思う。これまでの経験から、少しは何かできるんじゃないか。いや、いまはわかんないけど。でも今度こそ、と思ってる。
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