放送批評懇談会という団体が毎月出す『GALAC(ぎゃらく)』という雑誌がある。いわゆる業界誌でテレビを中心とした放送業界向けに出版されている。その5月号(4月7日発売)で「テレビイノベーションは大阪から始まる」という特集が組まれ、ぼくも総論的な原稿を書いた。九州出身者なりの大阪文化へのエールをこってり込めた原稿だ。自分としても思い入れがあるのでぜひ多くの人に読んでほしいと思い、編集部とも相談して、このブログへも転載することにした。テレビの話だが、それに限らず地方分権にもつながる内容だと思うので、ぜひ読んでください。
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大阪というカウンターカルチャー
人生には大阪発の番組と関西文化が何度も登場する
筆者は福岡出身で、なおかつ62年生まれの典型的テレビっ子世代だ。九州から見ると、大阪は東京同様の異世界であり、なおかつ東京より近しい文化圏だった。東京は下から見上げる存在だったのに対し、大阪は肩を組める等身大の兄貴分。小学生の頃は、半ドンで帰宅するとインスタントラーメンを食べながら『吉本新喜劇』を見るのが土曜日の楽しみになっていた。岡八郎、船場太郎、山田スミ子、桑原和男、チャーリー浜といったスターの数々の名前をいまもパパッと思いだせる。間寛平はまだ若手だった。中でも花紀京はずば抜けて面白く、最高のコメディアンだと思った。
『プロポーズ大作戦』や『ラブアタック』を大阪のテレビ局がつくっているのは司会者が関西弁の芸人だからわかっていたが、『ルパン三世』も“よみうりテレビ”とクレジットが出てきたし、自分が好きな番組のかなりの部分は大阪で制作されているのだということはなんとなく知っていた。つまり70年代、私がものごころついてから見ていたテレビの中で、大阪は東京と並んで中心にいる存在だった。
小学四年生の時に、ウルトラマンシリーズとは全くちがうヒーローものがはじまった。不気味な仮面をつけて、オートバイで駆け回る等身大のヒーローに最初子どもたちは戸惑った。「2号」が登場して「ヘンシン!」とやりだしたらみんなこぞって見るようになった。塀からヘンシン!と飛び降りてケガをする子どもが続出し問題になった。カードがおまけにつくスナック菓子が、中身を食べずに空き地に捨てられているのをよく見かけた。社会現象となった『仮面ライダー』が大阪の毎日放送の番組だったのを知ったのはつい最近だ。石森章太郎のマンガが原作だが、その誕生には毎日放送の人びとの意志が少なからず反映されていると聞く。ウルトラマンが巨大だったのに対し、ライダーが等身大であることは、何か象徴的な意味がある気がする。
80年代になり、大学に入って東京に出てきたころは音楽にのめり込んでいた。ある夜、たまたま足を踏み入れた下北沢の飲み屋はブルースマンのたまり場で、以来通いつめた。関西出身の伝説のバンド、ウエストロードブルースバンドの元メンバーたちがたむろしていた。関西はなぜかブルースバンドが多く、ソーバッドレビューや憂歌団も生み出している。ニューミュージック全盛の80年代に、ブルースの気取らない雰囲気や泥臭さが、関西弁とマッチして心に響いた。
“大阪”は何度もそうやって筆者の前に登場し、どこかカウンターカルチャーのにおいをさせていた。東京とは別のもうひとつの中心地として、東京に唯一対抗できる地方として、存在感を強く発揮していた。
「もうひとつの中心」から後退していた一時期
だが80年代から90年代にかけての大阪は、東京に実権を明け渡したかのようだ。「中心を大阪から東京に移す」動きがあちこちで起こり、大企業が宣伝部など重要な機能を東京に移したりした。テレビ放送もその流れに乗っていった。これはそもそも、70年代にテレビ放送が「東京中心のネットワーク」として再整備され、いわゆる「腸捻転」が解消されてからの流れだと言える。70年代からの20年間で、テレビ放送とは「東京から番組を全国に送り届け、それとともに東京の企業のCMを津々浦々に配信する」システムだということになった。
90年代に“平成新局”が続々生まれることでついにそれは完成された。だがそれは、大阪という“もうひとつの中心”の存在意義をあやふやにした。大阪キー局も“東京制作”のセクションをつくり、その傾向に対応していった。とくにゴールデン、プライムのバラエティやドラマは、大阪局制作のクレジットだが東京で制作しているものがほとんどになっている。タレントの移動の便を考えると、その方が都合いいのだろう。
それでもたまに大阪に行くと、ホテルのテレビで見る深夜番組は、もうひとつの中心としてのパワーではちきれそうだ。20年前の漫才ブーム以降、東京では見なくなった「ザ・ぼんち」が20年前以上のはじけっぷりで画面を暴れ回っていたりする。去年訪れたいくつかの関西キー局のロビーではいまもポスターに「やしきたかじん」の顔がどーんとあって、彼の冠のついた番組を宣伝している。ポスターから「東京に何もかんも明け渡したらアカンで!」という声が聞こえてくる。大阪はいまも堂々と大阪だし、東京に何も譲っていないことがそこへ行くとわかる。
大阪キー局には、地方代表としての新しい使命があるはず
これからまた大阪は、筆者が子どもの頃のような存在感をテレビ界で発揮していかねばならないのだと思う。それは、ローカルの意地とかいう精神論の前に、時代の要請が高まるはずだから。大阪自身がもう一度新たなパワーを持つべきだというのもあるが、地方代表として、新しいローカルの有り様の範となるべきだからだ。
そのための挑戦がすでにはじまっていることは、今号の特集で各記事に書かれている通りだ。大阪というカウンターカルチャーがまた動き出しているのだ。
それを裏付けるような研究成果が3月3日のNHK文研フォーラム『テレビ視聴の東西差』で発表された。2005年の調査では、20・30代の視聴率上位番組は関東と近畿でかなり一致していた。ところが2014年になると近畿の上位番組が大阪制作もしくは関西芸人が司会する番組中心になった。大阪パワーが地元での具体的な視聴に表れはじめているのだと言える。
筆者なりに大阪キー局でトライして欲しいと考えているのは2点。ひとつは全国に(そして世界に)発信することと、もうひとつは地域にいままでにも増して密着することだ。
在京キー局は見逃し無料視聴を共同で行う実験をはじめるようだが、大阪キー局が自社制作の番組をまとまって視聴できるWEBサイトをつくったら、おそらくびっくりするほど再生されるだろう。東京キー局の見逃し配信はCMをつけてかなりの売上を稼ぎだし、出演者にリターンができるようになりつつあると聞く。関西でしか放送されてない番組をネットで配信すれば全国の人が見るようになり、広告収入も収益性が大いに見込めるはずだ。ローカル局の自社制作比率は平均9%だが、関西キー局では30%強が普通。配信できる資産は、日々大量に生み出されているのだ。
さらにそれを英語と中国語の字幕をつけて配信すれば、世界中からアクセスされる。海外の人びとに関西文化をダイレクトにアピールできるのだ。観光客の関西への誘致に絶大な力を発揮するはずだ。そして日本企業の海外向けのCMをつければ、広告収入も稼げる。中国市場を重要視する日本企業はいまや多く、中国国内で広告を打つより効率的だと感じてもらえるかもしれない。
こうした外側へのアピールと並行して、地域に新しい形で密着していく内側への努力も重要になる。実はそのためにこそ、マル研のSyncCastのような、番組を見ながら使えるセカンドスクリーンは役に立つ。うまく使えば、地域企業に合った形の情報配信をサポートできるのだ。15秒で商品認知をさせるテレビCMに加えて、事細かな情報をセカンドスクリーンで送り届けることは、地域の企業のニーズにかなうはずだ。
また、テレビ局だからこそリアルな場での地域との接触や貢献が逆に求められ、効果を発揮すると思う。筆者は先日、イオンモール岡山に一部移転したOHK岡山放送を取材したのだが、そこに見た新しいローカル局の有り様にカルチャーショックを受けた。岡山放送の例を参考にすると、ショッピングモールのような地域の施設との協業や提携は大きな効果をもたらしそうだ。何よりも視聴者から見て身近な存在になることは今後いままでにも増して強く意識すべきではないだろうか。放送局自身が、人びとの生活の場におりていくことがいま必要だと思う。
ブロック圏の放送局のあり方のモデルという役割
地域との関係に関しては、大阪キー局は別の視点で特別なモデルとなりうると思う。それはブロック圏でのテレビ局のあり方だ。ご存知の通り、近畿地方は広域放送圏と呼ばれ、放送エリアが大阪府だけでなく京都府、奈良県、兵庫県、さらには和歌山県、滋賀県と6つの都府県に広がっている。日本の行政区画として道州制についてよく議論されるが、関西は放送に限って道州制が敷かれているのだとも言える。
道州制が各地方にとって今後よい方向に働くのではとの見方に立つと、テレビ局も地方ごとにまとまっていくべきなのかもしれない。別に合併だ再編だなどとキナ臭い話でなくとも、放送局が県域を超えて協業や提携していくことは放送の中身でも営業面でもよい効果をもたらすのではないだろうか。その際、関西は先んじたモデルになる。
また、この1月に出版された脇浜紀子氏の著書『「ローカルテレビ」の再構築』(日本評論社)には興味深い問題提議がなされている。「ローカルテレビ」を地上波局だけでなくケーブル局も含めてとらえ、その連携によって互いの不足点を補えないか、というのだ。これは、讀売テレビのアナウンサーとして報道に携わってきた氏が、広域圏の局では個別の地域の報道や情報がカバーしにくいとの思いから出てきた問題意識だ。(一文削除)
この論を参考にすると、関西局がケーブル局とも連携しながら、広域圏をうまくカバーしていく姿が思い描ける。そしてそれは、他の地方のテレビ局にとっても力強い連携モデルになるかもしれない。地上波局とケーブル局の拠点が各地域に分散的に存在して役割を果たしつつ、それらをまとめていく基幹局が地方全体にとって重要な役割を果たす。そうした、各地方における複合的な放送局のあり方について、関西局は範となれるのではないだろうか。
長々と雑多なことを書いてきたが、ようするに関西のテレビ局には今後ますます、在京キー局とは別の道を歩むべくがんばって欲しいということだ。それが必要な時代がはじまっている。そしてその実現には、これまでの常識や習慣を見直したり、場合によっては捨てたりする勇気が必要だ。
もっと端的に筆者の願いを言うと、小学生の頃に慣れ親しんだ♪プンワカパッパ〜プンワカパッパ〜のテーマソングとともに、あのしょうもない喜劇を気軽に見られるようにして欲しい。インスタントラーメンをすすりながら毎週過ごしたあの素晴らしい時間を、見たい時にスマートフォンで再び体験できれば、何度でも見ると思うのだがどうだろうか。
『GALAC』5月号については、こちら→放送批評懇談会『GALAC』サイト
Fujisanのサイトで直接購入もできます→Fujisan.co.jp
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境 治
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