(タイトルに「おっぱい」だなんて入ってて、せっかくぼくの記事を読むようになった若いお母さんたちに嫌われるんじゃないかと心配なんだけど、きわめて真面目な内容なのですぞ。・・・うーん、いや、あんまり真面目でもないかな?)
先週、5月30日にブライトコーブという会社のカンファレンスがあって参加していた。
同社はネットで動画配信するためのシステムを提供する米国が本国の会社で、グローバルではこの分野のトップ企業だ。クラウド上で動画を簡単に管理できる最先端のシステム。ネット動画の成長が見込まれる日本でも、これから注目されることだろう。
そのカンファレンスは「ブライトコーブPLAY」のタイトルでニューヨーク、ロンドン、シドニーで行われていたのが今年は日本でも開催されることになった。丸一日セッションが展開され、ぼくはその一部の企画のお手伝いをした。
詳しくはこのサイトで概要を見てもらえばわかる。(→ブライトコーブPLAY2014)例えばハフィントンポストの松浦編集長と、何かと話題の東洋経済オンライン佐々木編集長のディスカッションを日経BPの柳瀬博一氏がモデレーションする、というセッションもあった。クロージングは各テレビ局の動画配信担当者が一堂に会する贅沢な時間となった。
ぼくが企画した中で「エンタメはテレビとネットで交錯する」のタイトルでテレビ制作者がネット動画について語るものがあった。お呼びしたのは三人。日本テレビの電波少年T部長こと土屋敏男さん、テレビ東京で「モヤさま」を制作する伊藤隆行さん、そしてフジテレビ+(プラス)という動画枠で「世界一即戦力な男」を制作したフジテレビの俊英・狩野雄太さん。それぞれ何らかネット動画に関わっており、奇しくも30代、40代、50代の三世代のテレビマンによるディスカッションとなった。
土屋さんがネット動画黎明期(2005年!)に「第2日本テレビ」をプロデュースしたのはみんな知っているだろう。有料課金で動画ビジネスに挑んだり、広告モデルでもやってみたりと当時考えられるあらゆるアプローチを試したのが”第2日テレ”。それから、間寛平が地球を一周したアースマラソンも土屋さんのプロデュースだ。スポンサーもたくさんついてネット動画(動画だけでもないわけだが)の成功モデルとなった。
伊藤さんの「モヤさま」はネットでスピンオフ映像を配信し24時間で50万回再生された。この経験をもとにテレビ東京はちょうどこの5月30日に「テレ東プレイ」という動画サイトを立上げた。放送されたものではなく、オリジナル番組を配信するサイトで、広告をつけている。ビジネス化を狙った動きだ。
フジテレビの狩野さんが取り組んでいる「フジテレビ+(プラス)」は今年1月にスタートしたサイトで、ネットでオリジナル番組を配信している。こちらも独自に広告をつけており「テレ東プレイ」と近いビジネスモデルだ。「世界一即戦力な男」は実際にそのスローガンで就職活動をした菊池青年の活動をドラマ化したもの。ネットらしい企画を、ネットらしい切り口で制作している。
さてテレビ東京の「テレ東プレイ」は立ち上がったばかりで、最初は「TVチャンピオン」と「ギルガメッシュWEB」を流している。この「ギルガメッシュWEB」とは、90年代に放送された伝説の深夜番組「ギルガメッシュないと」をネット上で復活させたものだ。この番組、若い人は知らないだろうが「ギルガメ」と呼ばれある種、一世を風靡した。何で一世を風靡したかと言えば「エロ」だ。飯島愛をはじめAV女優が出演し、時折あられもない姿を披露していた。
そうなのだ。90年代は深夜番組に”おっぱい”が出ていたのだ。
さて、土屋さんはかねがねこの”おっぱい問題”について疑問を投げかけている。
「ぼくがこのところ気になっているのは”テレビはいつからおっぱいを出さなくなったか”ってことなんですよ」
お会いするたびにそうおっしゃる。
このセッションでも当然のようにその話になっていった。
「注目したいのは、ギルガメッシュWEBではおっぱいを映すのか、ですね。いや、おっぱいを出さないといけないんじゃないかなあ」とんでもないけど、興味深いことをおっしゃる。
立派な企業が主催するきわめてまっとうなカンファレンスの場で、いったい何を言っているのかと思うかもしれないが、これは表現についての重大な話なのだ。いやちがうかな?100%の確信は持てないけど、たぶんそうなのだ。
土屋さんは言う。「昔は深夜におっぱいがけっこう出てたんですよ。でもいつの間にか出せないことになっていた。それがいつからなのか。たぶん誰か最初に言ったやつがいるんですよ。”おい、おっぱい出しちゃまずいんじゃないか”って。そこから各局各番組に広がって気がつくと、どの局でもおっぱいは出さないことになっちゃったんです。犯人は誰なのか、知らなくてはいけません」最初に”おっぱい禁止”にした人間が”犯人”なのだと言う。
もちろん、”おっぱい”は”表現を制限するコード”の象徴として言っているのだ。
テレビはそもそも、実はかなり猥雑な存在だった。テレビばかり見てると頭が悪くなると言われ、大宅壮一という評論家が「一億総白痴化」と、これはこれでいまだと問題になりそうな言い方で批判した。
「11PM」について年配男性に話を向けてみるとおそらく必ず「ああ、子どもの頃ふすまを細くあけて隠れ見てたもんだよ」と遠くを見つめながら語るだろう。この伝説の大人男性向け夜のワイドショーでは、”うさぎちゃん”と呼ばれた女性レポーターが温泉を巡るコーナーがあり、その、見えていたのだ。”おっぱい”が。
あるいは「時間ですよ」という銭湯を舞台にしたホームドラマがあり、ここでも時折見えていた。見せちゃっていた。
そして「ギルガメ」。これはもう、かなり積極的に見せていた。”そういう”番組だった。
それがいつから見せなくなったのか。見せてはいけないことになったのか。
テレビは大宅先生に叱られながらも猥雑に歩んできた。”おっぱい”だけでなく、80年代から90年代のテレビはいま思い返すとやんちゃどころではなかった。むちゃくちゃしていた。そしてその度にもちろん、世間様からおしかりの言葉を受けていた。ごめんなさい、すみません。と謝りながらやんちゃするのがテレビだった。
90年代後半から、やんちゃもやってられなくなった。これはなぜだろう。世の中全体の空気が許さなくなったのだろうか。”おっぱい”も誰かが「もうやめとこうぜ」と言ったのだろうし、あれやこれやのむちゃくちゃも、少しずつ誰かが自制をかけたりお叱りの電話がかかってきたりしてしぼんでいったのだろう。
そしていつの間にか、世間様からお叱りを受けていたテレビそのものが世間様そのものになっていった。テレビばかり見てると馬鹿になるなんてもう誰も言わない。いまはむしろ、テレビを見ない若者は、世の中の動きが掴めていないんじゃないかと危惧する人もいるほどだ。
そんな馬鹿みたいなことしなきゃ番組作れないの?おっぱい出さなきゃ面白くできないって言うの?いやそうじゃない。そうじゃないけど、そうなんだ。表現には自由の枠があり、その枠の中で番組を作らないといけない。でも”面白い”ということには、あらかじめ規定された”枠”の境界線を綱渡りのように走り抜ける、という要素がたぶんにある。表現する内容と言うより、ギリギリに挑んでいくその様こそが表現であり、ぼくたちに興奮を、この場合の興奮はおっぱいとは関係ない方向の興奮なのだけど、もたらすのだ。「やべー!」と言いたくなるきわどさ、こんなテレビってなかったよなー、という類いの興奮が一昔前は確かにあり、表現はそうやって進んできた。表現の枠も広げてきた。
でもテレビは表現の枠をこの十年以上の間に広げるどころか狭めてしまった。”おっぱい”はその象徴なのだ。土屋さんがあえて”おっぱい問題”を提議するのもそういうことなのだと思う。実際におっぱいを出すべきだと言ってるわけではないはずだ。
「ギルガメッシュWEB」におっぱいを期待するなあ、と土屋さんが言うのはだから、ネット動画には新しい表現の枠組みがあるのではないか、という問いかけだ。あるいは枠組みができてないならそこで何ができるかを一から試そうよという、作り手としての意気込みだろう。ほんとうに”おっぱい”を出してよ、という意味ではなく、ネットでやるならそれくらい自由な場として番組を作るといいね!という大先輩からのエールなのだ。
おっぱいの話でほとんどセッションが進んだ。そしたら最後にテレビ東京の伊藤Pが「よし!ギルガメWEBで、おっぱい出します!」と宣言しちゃっていた。伊藤さん、大丈夫?・・・いや、そうじゃないか。これは土屋さんから伊藤さんへのエールへの返答なのだ。”がんばります”という宣言だ。おっぱいを出す!くらいの意気込みでネットならではの面白さをめざしますよ!伊藤さんは電波少年を大いにリスペクトしているので、大先輩からのエールに応えた、ということだろう。
テレ東プレイは伊藤さんが監修的に関わっている。フジテレビプラスでは狩野さんのような世代がメインで制作している。若いテレビマンが、テレビのノウハウを生かしつつも、未知の表現領域に足を踏みだしている。きっとギリギリへの挑戦をしていくのだろうし、ビジネス化のための悩みもどんどん出てくるだろう。テレビマンがそれをどう乗り越えて新しい表現を構築できるか。テレビじゃないけどテレビって面白いなあ。そう思わせてくれるように、テレビマンのネット動画には期待したい。
そんな素晴らしいセッションになってほんとうによかった、土屋さんのおかげだなあと思っていたら、Facebookにこんな写真とコメントを投稿していた。
六本木でたそがれて自分を振り返ってる投稿を見ると、土屋さんはやっぱり、大勢の前で”おっぱい”と野放図に言いたかっただけなのかもしれないと思えてきた。いや、つまりそれが表現者のサガなのだということでもあるけど・・・
コミュニケーションディレクター/メディアコンサルタント
境 治
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