偉大なるセルフパトロン、原信太郎!〜原鉄道模型博物館に行ってみた〜

月曜日は夏休みをとった。子供たちはもう、どこかに行こうと誘っても部活だ講習だと忙しいので相手をしてもらえない。そこで、美術館をハシゴするつもりだったのだけど、月曜日はどこも休館日だった。それくらい休みをとる前に調べとけよ、おれ。

困ったなーと逡巡するうち、ニュースで鉄道模型の博物館ができたと言ってたのを思い出し、ちょっと行ってみようかと、そんな軽い気持ちで行ってみることにした。

この7月10日に開館した、原鉄道模型博物館。横浜のみなとみらいの一角にあるという。ニュースで言ってたのは、原さんというおじいちゃんがコツコツ作ってきた鉄道模型を展示しているということ。映像で、ジオラマが出てきて、これはなかなかクオリティが高そうだと感じた。

でもね、そもそも鉄道には興味ないのね。模型には少年時代にちょっとハマって、タミヤの戦車や装甲車を買ってきて、兵隊のフィギュアとともに色も塗ってみたりはした。でも根がそういう、細かなビジュアルへの努力をしない方なので、ハマったわりには大したレベルには至らなかった。だから、模型づくりの大変さは知っている。

行ってみたら驚いた。ものすごくびっくりした。

ひとつひとつ、信じられないクオリティの高さ。いったいひとりで、どうしてこんな精密な模型が作れるのか。しかも、キットを買って作ったのではなく、すべて部品から自分で作り上げているのだ。そんなことが、できるものなのだろうか。

ひとつひとつ目がくらむような精密な模型が、目が回るほど大量にあるのだ。ひとりの人間が、生涯かけたにしても、ここまでの質と量を達成できるものなのか。

原信太郎氏は、大正生まれの93歳。子供の頃から鉄道好きで、模型も小学生の頃から作りはじめたそうだ。それから80数年間、ずーっと鉄道模型を作り続けてきた。

しかも!仕事は鉄道とは直接関係なく、事務用品メーカー、コクヨに勤めていた。ちゃんと仕事上でもいろいろ功績があって専務にまでなったそうだ。その方面でも発明や開発もいっぱいあって特許も数多く取得している。

サラリーマンとしても十二分に働きながら、それとはまったく別に模型を作り続けた。なんか、すごいよこのおじいちゃん!

実際、サラリーマン時代も世界中を毎年旅して、その土地の鉄道を見て回ったそうだ。働きながらもちゃんと休暇をとって、鉄道の情報を仕入れて回り、それを模型で形にする。

模型づくりにはまたこだわりがいっぱいある。こだわりだらけ。本物の鉄道はほぼ鉄が使われる。鉄道模型は真鍮など切ったり曲げたりしやすい素材を使うのが普通なのに、原さんは鉄にこだわる。買ってきた模型でもわざわざ鉄の部品を自分で作って取り換えたりするそうだ。鉄じゃないと、質感とか音がほんものとちがってしまうのだと。

原さんの鉄道模型の電源は、本物同様パンタグラフを伝わって集電する仕組みなのだそうだ。これも原さんオリジナル。ちゃんと架線を通して電気を集電するように自分で作り込む。

展示に書いてあるそういう解説を読んでいくと、しまいには笑ってしまう。うひゃひゃひゃひゃ。そんな馬鹿なこと、やってのけてきたんだ、このおじいちゃん!ひゃっひゃっひゃ!笑うしかない!

昨日書いた「ミュージシャンはもう神様じゃないのかもしれない」という記事と結びつけると考え込んでしまう。原さんにとっては、プロとかアマとか、そんな区分は無意味なのかもしれない。ただひたすら、情熱の対象がある、だからやりたいことをやる。そんなことでしかないのだろう。

原さんにもし「音楽や映像制作が産業として危機なんです、そしたらプロの表現者が食べていけなくなるかもしれないんです」なんてことを訴えたらなんて言うだろう。想像するに「それは大変だねえ、でも音楽や映像が作りたいなら、作るしかないよねえ」そんなことを言うのではないだろうか。鉄道模型づくりが”表現”として扱われず、”鉄道模型クリエイター”なんていう職種が存在しなかっただけで、原さんはやっぱり”何かを表現してきた人”だと言えるし、そこでは職種があるかどうかはほとんど意味を持たないんじゃないか。

境塾でゲストにお招きした小寺信良さんが”セルフパトロン”という言葉を使った話を書いた。原さんはまさしく、セルフパトロンの体現者だ。しかも自分の活動費を稼ぐ仕事でもすごい業績を持つ。スーパーセルフパトロンと言えるかもしれない。

そんな見方も含めて、この博物館は面白い。この夏、ひとりでやることなかったら、行ってみるといいかもよ!

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