ミュージシャンはもう、神様じゃないのかもしれない

自分が出て以来、毎週観ている『新・週刊フジテレビ批評』。メディアとコンテンツの未来を考えているぼくにとって、いつもタイムリーな話題を取り上げタイムリーなゲストを招いてくれる貴重なテレビ番組だ。で、先週土曜日、7月21日の放送ではゲストに佐久間正英氏が登場して、おっタイムリー!と思った。

佐久間氏といえば先月、「音楽家が音楽を諦める時」というブログがものすごく話題になった、あの佐久間氏だ。この記事は共感も呼んだけど誤解を含めての批判も出てきていわゆる賛否両論状態になった。それを受けてBLOGOSでインタビュー記事が出たり、しばらく話題が続いた。その佐久間氏がゲストで、さらにコメンテイターが津田大介氏だったので、”違法ダウンロード罰則化”問題も含めてホットな出演となった。

もともとの記事は、アルバム制作には1200〜1500万円はかかるのに、CDが売れなくなってきたからそんな制作費をかけられなくなってしまった、もう音楽家は音楽制作を諦めるかなあ、というもの。日付にA.M.4:00とあり、ほんとに深夜に書いた独り言だったのだろう。

テレビで語る佐久間氏は、そういう状況をただ嘆いているわけでもなく、ネットによってレコード会社などに頼らなくても音楽を送り届けられるようになったのはいいことだとも言っていた。お金をかけないと制作できない音楽もあるけど、お金をかけなくてもつくれる音楽だってあるんだ。

ところで、佐久間正英氏はJUDY&MARYなどのプロデューサーだと紹介されるが、その前に佐久間氏と言えば四人囃子だ。

四人囃子。そういう名前のロックバンドが70年代にあったのだ。佐久間氏はそのメンバーでベース担当だった。

70年代後半のロック少年だったぼくは、高校時代、何をしていたかと言えばひたすらロックだった。ギターこそがぼくだった。

同級生たちと組んだバンドで練習したのはディープパープル。グランドファンク。フリー。バッドカンパニー。キッス。難しいけどクイーン。そして日本のロックバンド、クリエイションに四人囃子。

クリエイションがストレートなブルースロックだったのに対し、四人囃子はプログレだった。コード進行も難しいし、曲の展開も複雑だ。先輩たちが「おまつり」を得意なレパートリーにしていて憧れたものだ。ぼくらにはちょっと無理だなあ、みたいな。

その頃はギターを弾ける人間自体が少なかった。楽譜も十分にはなくて、カセットテープで何度も何度も巻き戻して耳でコピーしていた。この音はどうやって出してるんだろう。雑誌で読んだりFMラジオでミュージシャンがゲストで出ると聴き入ったりした。

ミュージシャンは神様だった。佐久間正英も森園勝敏も竹田和夫もCharもクラプトンもキース・リチャーズも、みんな神様だと思っていた。

それは30年以上前の話だ。

最近、よく思うのだけど、ぼくがロック少年だった30年前と、いまと、ギターが弾ける人の数はどれくらい増えたんだろう。仮に高校一年生になったらそのうちの十万人がギターを弾くようになるとしよう。ギター高校生の歴史はぼくの10年前、つまり40年前からはじまったと仮定する。

すると、30年前は100万人。それが、いまや300万人増えて400万人になっていることになる。4倍だ。

いま大学の文化祭なんかで若い人のバンドを見ると、自分たちの頃よりずっと上手いので驚く。なーんでそんなに上手いんだか。30年前より格段に情報が得やすくなっているとか、いろいろあるんだろうけど、すそ野が広がって全体のレベルが上がっているのだと思う。

そしてそれは音楽だけではないのだ。あらゆる分野の創造力、表現力が上がっている。日本人は史上稀なコンテンツ文化の民主化を引き起こしたのだ。誰だってクリエイターなのだ、今や。

佐久間氏のブログが論争になった時、それを批判する若い人のブログ記事がこれまた話題になった。ぼくからすると、神様にモンク言うなんて恐れ多い!でも彼からすると、ただのおっさんにしか見えないのだろう。神様と崇めているぼくは馬鹿にされてしまうかもしれない。

マスメディアが育んできたコンテンツ文化は、いまやそういう状況なのだ。これは想定外なのだと思う。メディア上で活躍する表現者は特別な人で、神様と崇めるべき存在で、だからその創造物は大事にしなきゃいけないから著作権を厳しくしなきゃ。これまでのコンテンツ文化が想定していたのはそういう構図だ。でも、もはやちがうのだ。ぼくにとって四人囃子の佐久間氏はいまでも神様だが、思い切り俯瞰からみるともはや、ミュージシャンは神様ではなくなってしまったのだ。だってそこいら中に無名のミュージシャンがいて、びっくりするほどレベルが高いのだ。そうした神様は神様ぶらずに平気でニコニコ動画で自分の作った楽曲をオープンにしてしまうのだから。

それくらい、成熟してしまったのだ。こんなに成熟した状態は誰もイメージできてなかった。例えばクラプトンやキース・リチャーズはもうそろそろ70歳だ。・・・70歳?!ロックンロールはそんな老人が演奏することを前提にしていただろうか?想定外じゃないか?!

表現者は、もう神様なんかじゃない。そういう前提ですべてを組み直す必要があるのだと思う。そしてそれはちょっと夜中に独り言で愚痴りたくなることではあるけど、決して悪いことでもないんじゃないかな・・・

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