3.11以降のメディア状況を振り返る〜そしてテレビとネットは仲良くなれたか?〜

3.11から一年経った。遅ればせながらこのブログでもこの一年を振り返ってみようと思う。このブログで書いてきたことを軸に、メディアをめぐる出来事を軽くたどってみる。

それにしても本当にすごい一年だった。いやその前に、本当にすごい出来事だった。地震が起こり津波が来て原発事故があった。被災地の復興もまだまだ途上だし、原発事故は何にも解決していない。その上、地震はこのところまた活発になっているようだ。何も終わっていないんだよな。

一年前、ぼくはこんな記事を書いている。「この終末が終わると、ぼくたちは何かをはじめられるのだろうか」というタイトル。地震の3日後、明るい街自由が丘が暗い街に変貌したのを見て異様に感じた。ぼくたちはこの一件を経験することで、大きく感じ方や考え方が変わるだろうという内容。まあだいたいその通りかな。

去年の3月に書いた記事や4月に書いた一連の記事を読むと我ながら面白い。日々ひどく考え込んだり悩んだり思い直したりしている。でも4月後半には震災の余韻的な記事はなくなっている。現金なもんだ。

さて3月4月は日本のメディア環境にとって大きな変化が起こった。ターニングポイントと言ってもいい時期だったと思う。

まず震災後の数日間はテレビ放送が通常とはちがう状態になった。レギュラー番組はすべてなくなり、震災情報をどの局も送り届け続けた。そしてさらに大きな出来事が起こった。広島の中学生がNHKの放送を断りもなくUstream配信した。これを見たNKHの人気ツイッターアカウント @NHK_PR の中の人が独断でOKを出した。さらにすごいのは、それを知ったNHKの立場ある人もそれを追認した。

テレビとネットが力を合わせた瞬間だ。そしてこれに限らずネットでのコミュニケーションが大活躍した。ツイッターがとくにその存在感を浮上させ、テレビにはできない細やかな情報発信をする人がどんどん出てきた。テレビと張り合ったと言うより、テレビと補完関係を築いた、という感じだ。地震の直後一週間ぐらいはそう言う、美しい関係がテレビとネット、と言うよりソーシャルメディアの間にできあがっていた。それまでツイッターを知らなかったり知ってはいたけど怪しいイメージを持っていた人たちが、大事で有益なツールだと認めてくれた。

これが、原発の問題が浮上してからムードが変わってきた。最初は原発事故も”あんまりみんな大騒ぎしない方がいいよ”という論調が強かった。ところがどうも原発関係者や東電や政府の言ってることがおかしいんでない?ということがわかってきた。するとだんだんムードが険悪になってきた。みんなのいうことがささくれだってきて、ツイッターの場も荒れてきた。揚げ足取りや間違い探しや犯人探しになってきた。

テレビで発表されることは信頼できないぞ、いやツイッターではデマばっかりだ。もうそういう、内ゲバ状態になってきた。

一方で、テレビとネットの新たな化学反応みたいなことも起こってきた。典型的なのが、「グレートありがとウサギ」のアニメだろう。テレビではCMが流れず代わりにACの公共広告が流され、その中でも「まほうのち〜か〜ら〜で」という唄で挨拶を促すアニメCMがちょっとテイストが変わってるので話題になった。そのアニメに途中から自作の部分を加えて作った作品がYouTubeでいくつも投稿されたのだ。テレビとネットでボケとツッコミの漫才を演じているような状態だ。いま思い返してもあんな奇妙で刺激的な状況はあの時しか起こりえない特異な現象だったのではないだろうか。

震災後2〜3か月はそんな風に、テレビとネットは不思議な関係をつくりあげた。ただとにかく、いままでよりもネットがソーシャルメディアの力で存在感を増してきて、もはやギークのものではなく、普通の人びとも(使ってないにしても)存在を意識するようになった。ということは、テレビの側もソーシャルメディアを強く意識するようになった。だから、テレビ局がツイッターやFacebookを利用する例が増えた。さらにはYouTubeで予告編を流したりするようになった。ほんの数カ月前、2010年にはテレビ局は(正確に言うとその上層部は)ソーシャルやYouTubeを敵視していたと言うのに!

そんな中、なぜだかわからない現象が起こった。ネット側によるフジテレビへの攻撃。フジテレビが韓流をひいきしすぎる、これは韓国に操られているのだ、というような言いがかり的な批判がネット上で火を吹き、8月にはフジテレビへの抗議デモまで起こった。具体的な行動にまでは至らないのではと予測する人が多かった中で、非常に多くの人が集まった。

「ネットはなぜマスメディアに腹を立てるの?」という記事で、このフジテレビ抗議デモについて書いた。この時は、杉本穂高氏が現地で取材してつぶやいたTweetをぼくがTogetterにまとめたら、一晩で10万人以上のアクセスがあってびっくりした。ちょっと怖かったな、この時は。

そうやって緊張感もありつつ、ぼくの印象としてはこの一年でテレビとネットは距離を縮めたという気がしている。スマートテレビ、そしてソーシャルテレビという言葉が急浮上し、それを具現化するような出来事がどんどん起こっている。

3.11から一年ということで、この3月11日はその記念番組が多かった。メディア状況という意味で面白いなと思ったことがある。午後2時46分。その瞬間を軸に、追悼イベントが行われていた。テレビ各局はその模様を中継する。それまで各局でそれぞれの記念番組をやっていたのが、2時46分の黙とうの瞬間には追悼イベントの会場に切り替わるのだ。黙とうの瞬間は、ツイッター上でも「黙とう」のTweetがずらずらーっと並んだ。

これは震災後のメディア状況を象徴させることだなと思った。いちばん大事な瞬間にはテレビ各局が同じ場面を放送し、ソーシャルメディア上では多くの人がこれに同期する。

結局テレビが中心だね、などと言いたいわけではない。そこには役割分担があるのだ、それがこの一年でできた、と思うのだ。テレビは集約する。それをソーシャルメディアが拡散する。そこにはいい補完関係があるのだとぼくは思う。それをぼくたちは学んで、使いこなすようになってきた。それがこの一年ではないだろうか。

もうちょっと言えることがある気がするのだけど、とりあえず今日はここまで。

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