前回、前々回と、この国の変わらなさにぶつくさ言う文章を書いてきた。そもそもぼくは、日本が”固定的”であることが嫌だと思いながら生きてきた。固定されちゃうことから逃げて逃げて生きてきたのだ。
さてその日本は結局、この20年(いや結局は30年?)変わらないままだった。アメリカはダイナミックに変化してきて、マーク・ザッカーバーグの天才的思いつきを世界的なビジネスに成長させた。出る杭を打たないばかりか、ハゲタカのようによってたかって儲けさせてそのおこぼれをもらおうとする、そんなことがシステム化されている。「ウォール街」の悪らつ投資家ゲッコーを肯定したからだ。
弱虫なこの国は、身を寄せあいながら、時として舞い降りてくるゲッコーみたいな連中に対し、泣きながら「あっち行け!」と遠くから石を投げてきた。あるいは、若者がゲッコーのような振る舞いをしはじめると、「けしからん!」とダークスーツの検察団を送り込んでクビを締め上げた。
出る杭や、外からの杭をとにかくみんなでよってたかって打って打って、そのことばかりに血道を上げて自分たちのちっちゃなちっちゃな権益を守り抜いてはひと息つく。そんなことばかりをこの20年間やって来たのだ。
カタチや体制はちがうけれど、彼方の砂漠の国々でも同じようにこの2〜30年間、世の中は変わらなかった。砂漠の国々がぼくらとまったくちがうのは、独裁政権が続いたことだ。想像してみると恐ろしいことだが、同じ人物が、中年から老人になる間ずーっと、為政者であり続けたのだ。そればかりか、その男の家族親戚が利権を手中に収めてきた。いまどき、そんな不条理が、不思議と砂漠の国々では続いてきた。世界最強の国がそれを支援してきたからだ。
どうあっても、天変地異が起こっても、その独裁体制は変わらないと思われていたのに、ピラミッドの国ではたった18日間のデモ闘争で政権が倒れた。我が物顔の独裁者はあっさり、国外逃亡した。たったの18日間で。(もちろん、それも世界最強の国が今度はデモの側を支持したからだ。)
興味深いことに、この政変でははっきりとしたリーダーはいなかった。グーグルの社員の若者がクローズアップされはしたし、彼がみんなを少しばかり煽ったのは事実だろう。でも彼は決して、「さあ、この国の明日を私とつくろう」とは言わない。政権を倒したリーダーが次の政権を担うのが革命というものだろう。でも2011年の革命はそうではないのだ。
その革命にFacebookやTwitterが大いに役立った、ソーシャルネットワークが革命を起こしたのだ、というレポートがあり、また一方で、それは言い過ぎ、買いかぶりすぎで、ソーシャルはみんなの行動をまとめるスピードを上げたに過ぎない、という声もある。ぼくにはよく事情はわからない。
ただ、リーダーのいない革命を実現できたのは、ソーシャルメディアのおかげではないだろうか。いや、これはソーシャルを讃えているのではなく、リーダーがいなくてもなんとなーく連帯できてしまうのがソーシャルなのではないか、ということで、考えようによっては恐ろしいツールでもある、ということだ。
でもまあ、良い方に受けとめれば、ソーシャルの力で人々の力を革命にまで結集できる時代になったよ、とも言える。
だったら!
このぼくらの日本。変わらなくて、固定的で、いやんなっちゃうこの国も、ソーシャルの力でどどーんと変わるのかもしれない。ぼくたちにはいまやソーシャルという武器があるのだから、この国を変えられるかもしれない。
そりゃいい!・・・そりゃいい?・・・うーん、ホントに変えられる?・・・
いやそもそもさあ、変えるって具体的にはどこをどう変えればいいの?・・・
砂漠の国々にはそもそも、倒すべき対象があった。独裁者だ。独裁状態はよくない。圧倒的に良くない。それが30年も続くのはもう、とてつもなく悪いことだ。だから、その独裁者を倒すことは、必ず良いことだ。100%混じりっけナシにやるべきことだ。さあ倒そう!Facebookで呼びかけよう。
わかりやすい。わかりやすいなあ。
でもこの国はどうなの?日本では誰を倒せばいいの?政権党?それとも野党?誰が悪者?誰が正義?最終ボスキャラはお城の奥にいるんだっけ?
敵が見えない、敵がそもそもいない、それがこの国だ。倒すべき相手は、下手をすると1億3千万人いて、そこには自分も含まれるのかもしれない。だから、変えようにも、変えられない国なのかもしれない。
独裁者がいない国って、ひょっとしたら最低なのかもしれない。ものすごく不幸なのかもしれないね・・・
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