コミュニケーションに関わる部門の変遷〜広告の新たな地平線・その4〜

広告におけるメディアとコンテンツの関係論。だんだん生々しくなっていくよ。さあ今日も”図”とともに解説しよう。

前回前々回と書いてきた「メディアを先に決めるんでなく、全体を企画してからメディアを決めましょうよ」という話は、実はだいたいの人は納得する。「そうそう、そうなんだよね!」と、前々から考えてたみたいに反応してもらえる。実際、相手の方も同じ考えなのだ。

なにしろクロスメディアという概念が言われはじめてもう10年ぐらいは経っているのだ。みんなもう「んなのわかってるぜい」と思ってる。

ところが、実際にはなかなか具体化しなかったりする。・・・どうしてだろうね?

どうしてかを説明するのが上の図だ。

そもそも、ネットが登場するまでは、企業がメディアを使う際の担当部署は宣伝部だけだった(宣伝部と呼ばれているかどうかは企業によっていろいろだけどね)。宣伝部はほぼ100%、広告代理店とつき合っていた。そこで、メディアの購買を代理店を通して行ってきた。

10年ぐらい前から、広報などの部署がネットを使いはじめた。企業サイトを持つために、WEB制作会社とつき合いはじめ(あるいはWEB制作会社が勃興し)いわゆる「.co.jpサイト」を起ち上げるようになった。こうしたサイトはすべての部門のニーズを満たす必要があるし、その制作プロセスの中で「企業をどう世の中に見せるか」という問題が起こってくる。上場会社の場合はIRも考えねばならない。そのため、こうした作業は一年とか二年とかかかる。また引受けるWEB制作会社は企業コンサルティング的なスタンスになってくる。こういう会社には「私たちは頭いいですよ!」というムードが自然と生まれる。

これに少し遅れて、販促セクション(事業部や営業本部の中にあったりする)がネットとつき合いはじめる。主にちょっとした販促サイトと、検索エンジンへの対応だ。こうした業務の受皿となったのがいわゆるネット代理店だ。若い営業マンを大量採用し、人海戦術で営業をかける。各企業がどんどん検索対応をしはじめたので、ネット代理店は急成長した。

一方、宣伝部の中でもネットとのつきあいがはじまる。マスメディアのキャンペーンにネットも使おうという動きが出てきたのだ。いわゆるキャンペーンサイトとかスペシャルサイトとか言われるWEB制作が必要になってきた。これは既存の広告代理店が窓口になり、その中に出来たインタラクティブなんとか局、のようなセクションが対応した。そしてキャンペーンサイトのためのWEB制作会社が立ち上がっていった。あるいは、グラフィックデザインの会社やCM制作の会社にWEB制作部門が出来て対応した。こうしたサイトは比較的短期間で制作する。また、制作単価も上昇傾向になった。宣伝部予算は広報や販促セクションより大きいからだ。

こうしたプロセスを経て、上の図のような体制ができ上がっていった。

そこへリーマンショックが到来したのだ。

コミュニケーションの世界に、「ROI」という言葉が進出した。マスメディアに注がれてきた潤沢な予算が3割4割アタリマエ感覚で減らされた。でも広報や販促でのWEB予算は増えたりはしない。そんな状況だ。

話はこれでおしまいではなく、いよいよ本題に入るよ。でも今日は疲れたからまた明日。次回はけっこう生々しく、また興味深い話になっていくからね。乞う、ご期待!・・・

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