インターネットにも”金魚〜え〜”は必要なのだ〜広告の新たな地平線・その1〜

Twitter市民革命の話のつづきはちょっとお休み。なんかまだうまくまとまらないからさ。だから逃げるってわけじゃなく、今日からはまた本題と言うか、クリエイティブビジネス論らしいテーマで書くよ。しかも広告。ある意味本業の真ん中。少し何かが見えてきてわかってきた気がするのよ。

それでね。いきなりだけど、最近読んだ@tabbata氏のブログ<TABLOG>で”ものすごく重要なこと”が書かれていた。まずはこのエントリーを読みなさい。(@tabbata氏って誰?とかいう人も、とにかくこのブログを読めばわかるから読め)

重要なことはいっぱい書かれているのだけれど、ぼくがとくに重要だなあと思ったのは最後の方。勝手に引用しちゃうとね・・・

自分の欲しいものを分かっていて、検索エンジンを使って調べられる人からの、顕在化している欲望を拾うという意味でグーグルは最適です。ただユーザー自身も気付いていない、潜在的な欲望をどう喚起するかという点で、グーグル的な世界観では絶対に行き着けない所があると考えています。

これを読んだ時、あああああ!そうそうそうそう、そうなんですよぉ!と”そう”が五回ぐらい立て続けに頭の中を駆け巡った。

マス広告はプッシュ型でネット広告はプル型だ、などと言われてきた。マスメディアは受け手が受動的で、だから番組の合間に広告を”挿入する”けれど、ネットは自分で情報を探したい人が使うから受け手は常に能動的なのだ。そんな風に言われてきた。

これに対しぼくは、大枠はそうだけど、全部がそうだとも言えないんじゃない?と疑念を持っていた。ネットに接する時、人はそんなに終始能動的で自覚的なの?自分が何を欲してるか100%明確になっているの?明確になっていたとしてもそこには”余計なコミュニケーション”が入り込むスキがまったくないの?そうなの?そんな風に感じていた。

もっとカンタンに言うと、人間はもう少し自堕落なんじゃない?ってこと。

いままでの広告は、テレビを見ている時や電車に乗っている時に、受け手の”スキ”に入り込んでいこうとしていた。インターネットだってさ、いろんなWEBをなんとなーく、だらりんと眺めていることだってあるんじゃない?あるよ。ぼくはあるよ少なくとも。

マスには受動的に接する。ネットには能動的に接する。そんなに単純じゃないぞ、人間は。だったらそこに広告の入るスキがあり、スキを見せた受け手をこちょこちょこちょとくすぐるやり方がもっとあるはずだ。そこにこれからのクリエイティブの役割があるはずだ。それはけっこう、いままでの広告クリエイティブが培ってきた”みなさんを楽しい気持ちにさせたいなあ”の根本発想が役立つはずだ。

それが@tabbata氏の言う「潜在的な欲望を喚起する」ということなのだと思うんだ。

マス広告が死に体になり、クリエイターの役割がすごい勢いで減少している。減少するのはまちがいない。だけどクリエイティブな要素がネットにないわけじゃない。むしろある!いっぱいある!いままでよりややこしく複雑なこと考えないといけないけど、導線づくりだのコンバージョンレートだの、いままで考えたことのない要素は増えたけど、ROIだのKPIだのCTRだのなぜかどれもこれもアルファベット3文字のクリエイターが苦手な数値がやたらと介在するけど、それでもクリエイティブは必要なのだ。なぜならば、受け手が”人間”だからだ。

Twitterはその格好の例かもしれない。だって自分がフォローしてる人たちのタイムラインを眺めている時って、そんなに能動的?○○○に関する情報を誰がつぶやくだろう、って思いながらつぶやきの流れを見ているわけじゃない。むしろ、思いもよらなかった一言が面白すぎたりするから面白いんじゃないか。

受け手が人間である限り、人間を面白がるし、人間の面白さの発露であるクリエイティブはやっぱり大事だ。それをROIだのKPIだのCTRだの、数値化しないと上司に稟議通せないのなら、オッケー!数値化してやろう。あんたの上司にハンコつかせたろうやんけ。

と、いうね、大きく変化する業界にあって、大きく変化しながらも、クリエイターの本質的な価値はこれからも変わらないんだぜ、という方向の話をしていくぜ。いいっすか?・・・・

[`evernote` not found]
Pocket

トラックバック用URL:

Facebookアカウントでもコメントできます!

コメント

  1. 下記の文章を思いだした。串田孫一さんは戦争末期に世田谷の親戚の家に病気で寝ていた。そこいら中が米軍のB29の爆撃で焼け野原でのっぺらぼうの状態であったそんな時。 伏せっている串田さんの寝床に、 「キンギョ〜やキンギョ〜〜〜」 という売り声を聞いた。ふらふらと家の外に出て行った。幻聴ではなかった。本当に空襲後の焼け跡と瓦礫のなかを金魚売りが天秤を担いで歩いていた。        …        串田さんは続けて、 「これで僕は大丈夫と思ったのですよ。日本の国は…」と。ここに落ち着くのがスゴイなぁってボクは思った。・・・で、この風景を思いだした。※TABLOGでライブドアに引っ越しですか・・・。 ボクの心も騒ぐ。

  2. hhoshibaさん、コメントどうもです。ええ話ですね〜。売り子の呼び声(=広告)が聞こえてきたら、この国は大丈夫だと思える。人間の活動がある限り広告は生きつづける。ただ形が変わるだけなのかも。ライブドアへの引越はまだ検討段階ですが、ブログに戦略的に力を入れているので。BLOGOSみたいに硬派なことやってるのも共感です。ブログサービスにも”ブランド”があるってことですね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です