株価半分の絶望〜希望が見えない不安の時代〜

ある理由から、株を持つことになった。投資するぞ!という前向きなものじゃなく、話の流れで株を持たなきゃならなくなったのですわ。

某大手家電メーカーの株なんだけど、持つからにはってことで、株価を調べたりしてみた。それだけだと、ああそうですか、って感じ。

えーっと、ってことで、ついでにこの一年でどれくらい株価が下がっているかも調べたら、ほとんど半額になっていた。計算したらちょっと驚いたのね。

日経平均がこの一年で半分近くになっているのだから、当たり前なわけだけど、自分のものとして、個別の銘柄を見るとさすがにびっくりした。

ざっくり言うと、X百万が、X百万×二分の一、になっているわけだよ。

単位百万だし、”持たなきゃならなくなった”背景があるから、ちぇっ、で済むけど、一年前に買っていたとしたら、自分の稼いだ金を積極的に投資してやろうという買い方だったら、そして単位千万だったらどうだっただろうと想像すると、寒気がした。

つまり、この国に、そういうことが起こったわけだ。

それから、どうせなら他の株もいろいろ調べたんだけど。とにかく下がっている。増収増益のネット関係の会社の株も下がっている。そして、いったいどこが上がりそうか、皆目見当がつかない。と言うか、どこも上がりそうには思えないんだわ。

で、ふと、中国企業の株って買えるのかな、などと考えた。

あっ、と思った。

そういうことなんだよ。

例えば、どこか別の国の投資家から見ると、日本企業の株なんか、買おうなんて思わないんだろうよ。ちょっと落ち着いたら、どうれ、やっぱ買うなら中国じゃないかな、BRICsだろ、どう見ても。そう思うに決まっているよ。

日本という国に”買い”の要素なんてないじゃないか。

この一年で失われたんだ。”買い”の要素が徹底的に無くなってしまった。この国から。

市場原理主義はまちがってるとか、そんなこと言ってる場合じゃない。だって世界は市場原理で動いているんすよ。そんな中で”買われない国”になっちまってる。ってことはっすねえ・・・

夢も希望もないってことじゃないっすか・・・

ぼくたちがやるべきことは、新たな希望を探すことなのだろうか。それとも、希望がないなりの暮らし方をつくりあげることなのだろうか。

後者なんじゃねえの?って思う?・・・でもさあ、ぼくたちは、ぼくたちの子供たちに、希望を探してあげないと、いけないんじゃないのかなあ・・・

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