【赤ちゃんにやさしい国へ】保育の理想は”サービス”とは離れたところにあるはずだ〜たつのこ共同保育所〜

赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない。の記事を書いた直後はたくさんの方にメールをいただいたが、その後も時折メールが届く。メールをもらった方に取材して記事を書いたらまた別の方からメールをもらう、という流れができてしまった。3月にも新たにもらったメールがある。「たつのこ共同保育所」で子育てをしているというお母さんからだ。一部を引用すると・・・

(たつのこ共同保育所での子育てをはじめて以来)こんな子育ての仕方があるんだ!と目からうろこの2年間でした。
ただ、たつのこのあまりに特殊な存りかたを、周りにうまく説明できていないと感じています。
境治さまの文章を読ませて頂いて、たつのこのことを理解し、文章にできるのはこの方しかいないのではないかと感じました。
たつのこは、大きな家族なんです。
核家族の私でも、育児を楽しんでいるのは、この大きな家族があるからです。
子育てを楽しむことができるための社会の在り方への一つの具体例として、一度見に来ていただけると嬉しいです。

こんな熱いメールをもらって、そして「この方しかいない」とまで言われて、行かないわけにはいかない。幸い、自宅から比較的近い。これはもう、行くでしょ、ってことで、二回に分けて行ってみた。いろいろと面白く、またいろいろと考えたので、その取材録を書いておこう。

たつのこの説明の前に、自主保育について知ってもらった方がいい。なにそれ?と言う方は、以下の2つの記事をざっとでいいから読んでください。

【赤ちゃんにやさしい国へ】みんな自分の子供みたいに思える場所〜自主保育・野毛風の子〜
【赤ちゃんにやさしい国へ】これは大きな家族であり、ひとつのムラかもしれない〜自主保育・野毛風の子(その2)〜

自主保育は、その名の通り母親たちが自分たちで保育を行うし、園舎はなく青空の下で育てるのが基本姿勢。たつのこもそもそも、自主保育としてはじまったのだそうだ。

たつのこ共同保育所のWEBサイトによれば、1977年にはじまったとある。「たつのこの生い立ち」というページに設立趣旨が書かれている。読むと、固い。固いけど、高い理想の下にはじまったのだとよくわかる。自主保育も、そもそもは70年代にはじまったらしいので、この頃にこういう大きな潮流があったのだろう。

さて教わった住所に着いたのだけど、しばし迷った。どこにも保育所らしい建物がないのだ。よくよく探すと、あった。

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え?これ?これが保育所?マジすか?と、思わず独白していた。

メールをくれた有園愛さんから話を聞いた。

たつのこ共同保育所は、”共同保育”つまり、保育者と保護者で共同で保育を行う場所。川崎市認定の保育所だ。

保育者と保護者、というか母親が共同で。そこに理念が凝縮されている。

実は自主保育でも保育者がつく例もあった。野毛風の子はたまたまいなかったが、保育者がいた時期もあるそうだ。記事にしてないが他に取材した自主保育では保育者がいた。

共同保育の場合、保育はあくまで保育者が仕事として受け持つのだが、保育所の運営は保護者と一緒に行うのだ。

もちろん、フルタイムで働く母親は運営にも関わりにくい。そういう参加も全然ありだ。普通に、働く間に子供を預かってもらうためにたつのこを利用するのもあり。働いていてもパートなどフルタイムじゃなかったり時間のやりくりがつく人は、運営に関わる。運営と言っても、事務をしたり雑用をしたりといった、保育以外のあらゆる必要な作業を受け持つ。できる範囲で、できることを行う。保育まで背負うと大変なので、そこは保育者に託す。

フルタイムで働いて預けるだけの保護者も含めて、月に一回の運営会議には全員出席する。そこが共同保育の最重要な要素だ。保育所の運営を話し合う。あるいは、その時々で気になったことなどを述べる。一方的に預けるのではなく、”関与する”のがポイントだ。保育所を、一方的にサービスを受ける場だととらえずに、一緒にどうしたらいいかを考える。

驚くのは、園長はいない。いや、いるのだけど、便宜上保育士の資格を持つ保育者が順番に引き受ける。ある意味、建前上の園長。基本的に上下関係がなく、まったくフラットな関係なのだ。そこは自主保育と似ている。

保育の姿勢は、”伸び伸び育てる”ということ。だから、やたらと子供たちに介入しない。基本的にほっておく。もちろん保育者は面倒を見ているのだけど、あれやっちゃダメこれやっちゃダメということではない。これも自主保育と同じだ。

だからほんとうに子供たちは伸び伸びしている。有園さんの娘さん、ななちゃんにぼくはえらくなつかれて、二回目に行った時にはもう「あ、境さんだ!」と言われた。憶えてくれたんだな。彼女もホントに自由だ。
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ななちゃんが部屋の中央で”びゅーん”と飛ぶ真似をしている。可愛らしい。

ちなみにこんな感じの、はっきりいっておんぼろな家を園舎に使っている。狭いし、古い。でも子供たちは楽しそうだ。

小さな小さな庭で、泥んこ遊びをしている。きちゃなくなる。でも子供たちは気にしない。保育者も保護者も、ニコニコとその姿を見つめている。

有園さんは、力説する。ここはホントに素晴らしい!彼女はご主人の仕事の都合でこの街を離れるところだったのを、説得して居続けたのだそうだ。それくらい、離れられない。

「普通の保育園は”つるっとした”ものを求めるじゃないですか。」と彼女は言う。ものすごく抽象的な表現だが、なんというか、便利だけど無味乾燥で血の通っていない様子を”つるっとした”と言っているようだ。

「”つるっとした”ものを求めると、ホントのものにならないんですよ。たつのこは違うんです。つるっとしてない。手もかかる。時間もかかる。そんなやり方にみんなで取り組んでいるんです」熱く熱く語る中から、理屈じゃなく伝わってくるものがある。

保育者の一人、信安直美さんとも話ができた。なんと!彼女は自分の子供たちは野毛風の子で自主保育で育てたのだと言う。自主保育の楽しさ温かさが忘れられず、子供たちが育ってからも関わりたいと思っていたらたつのこと出会い、保護者ではなく保育者の立場で関わることにしたのだそうだ。そして今度、保育士の資格を取ろうとしているのだと言う。その情熱にまたびっくりした。

自主保育を取材した時、母親たちが自分で保育することと、その伸び伸びした育て方に、保育の理想かもしれないと感じた。ただ自主保育はフルタイムのワーキングマザーには参加できない。

“共同保育”は、保育者を保育の中心に据えつつ、手伝う保護者と、預けるワーキングマザーと、うまく役割分担できている。だったら、これが理想的なんじゃないのだろうか?つるっとした、とにかく子供をきちんと預かってくれればいいサービスを求めるなら普通の保育所がいいわけだが、でも少しでも参加意識を持ちたいなら、共同保育はいい選択肢になるだろう。

自主保育の取材でも感じたのだが、保育とは普通のサービスではないのだと思う。そんな”つるっとした”言葉では包みきれない、もっとデリケートでまた非合理的なものだ。預ける側と預かる側に心が通いあい、ピュアに信頼しあえる”同士”のような関係が成立しないと本来はうまくいかないのだ。先日のベビーシッターの事件も、ポイントはそこにあるのではないか。

共同保育所はたつのこ以外にもあるそうだ。興味を持った方は近くにあるか探してみるといいと思う。

信安直美さん(左)と有園愛さん(右)二人で楽しく語ってくれた
信安直美さん(左)と有園愛さん(右)二人で楽しく語ってくれた

有園さんと信安さん、お二人に話を聞いているとなんだか姉妹のように見えてくる。「信ちゃん」とか呼んでるし。姉妹みたいだ、というのも自主保育でも感じたことだった。保護者が保育者をちゃんづけで呼ぶなんて普通の保育所ではなかなかないんじゃないだろうか。そういう信頼関係、いや信頼関係なんて仰々しい、もっと親密なほんとうに家族のような関係があり、一緒に子育てする。心強く安心できると思う。

共同保育は、自主保育とともに、今後も追っていこうと思う。

ところで、この2回目の取材には、一緒に三輪舎の中岡さんが同行してくれた。前に記事の中で「本にしたいのだが出版社の方に相談したい」と書いたら、彼がメールをくれたのだ。なんと、この1月に自分で出版社を起ち上げたのだそうだ。中岡氏の三輪舎についてはまた別の回に、じっくり書こうと思う。・・・というわけで、この「赤ちゃんにやさしい国へ」のシリーズ記事を元に、本を出すことになる・・・のかな?

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コミュニケーションディレクター/メディアコンサルタント
境 治
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