地震が起きてからずいぶん経った。この間で、メディア構造もすっかり変わった気がする。何と言っても、TwitterやFacebookが浮上した。今までにも増して、ぼくらにとって重要な”メディア”になっている。ユーザー数もそれぞれ大きく増えたに違いない。
去年の5月に「ソーシャルデバイドとでも呼ぶべき現象」という記事を書いた。ソーシャルメディアを使ってない人と話すと、メディアに関する基本認識に大きなギャップができてしまう、という内容。あの頃は「あなたはTwitterにハマっているからそう言うのだ」となんだか特殊な人間のようなことをいわれたものだ。いまや、(少なくとも業界では)Twitterをやってない人の方が少数派ではないかな。
なんてことを感じていたら、ちょっと目を引く見出しを見て記事を読んだ。「ツイッターがエリートユーザーのためのマスメディアになっていく」というタイトル。Twitterがマスメディアだなんてどういうことだ?
アメリカで発表されたある論文。多くの人からフォローされているエリートユーザーのアカウント2万人について調査した。すると(以下は引用)
そのエリートとした2万人のユーザーからのツイートが、世界中でアクセスされた全ツイートの50%を占めるという。つまり、ツイッター内の全アテンションの約50%が、2万人(ツイッター人口の0.05%以下)のエリートユーザーのツイートに集まっているのである。ツイッターにおける情報の流れは、平等でもフラットでもないということである。
Twitter上でアクセスされたTweetは0.05%の人々に寡占されているのだと。これはびっくりだね。だとすれば、ぼくら下々の者のつぶやきの影響力なんてアリンコみたいなもんだってことだ。
そう言えば、またちがう話だけど近い話がある。
先日、久しぶりに集まった4人で食事した。地震以降初めて集まったので、あの瞬間どこにいたかにはじまり、ひと通りこれまでの出来事を語り合った。いまは、そういう会話がすごくホッとする。
この4人はソーシャルを使いはじめたのはこの一年以内。ぼくが早い方なぐらいの、初心者と言えば初心者だけど、すっかりソーシャル使用が日常化している。
そうすると、出てくる話題がものすごく共有できて驚いた。「あれ読んだ?看護師さんのブログ」「あー!読んだ読んだ!3回泣いたよー!」「YouTubeのあの映像はすごかったね!」「見た見た!すさまじかったよねー!」
何かをとりあげると、4人のうち3人は見ている感じだった。もちろんとりあげるのはブログやYouTube映像など、ネット上のコンテンツ。
あとで思い返して、へー、と感心した。もちろん4人のソーシャルグラフはつながっているので、共有している確率は高いのだけど、それにしても同じものを見てきたもんだなあと。
「看護師さんのブログ」「おなかがいたくなった原発くん」「グレートありがとウサギ」「これより下に家をつくるな」と並べられて、みなさんどれくらい「見た見た!」なのだろう?けっこうみんな見てるんじゃないかな。
みんな見てるとしたらけっこう、かなり、奇妙なのではないかな?ソーシャルってそういうメディアなんだっけ?
みんなが見てるとしたら、それはマスメディアについて「昨日の月9見た?」と同じことになってるような。
・・・だったらだったでいいのかもしれないけどね。でも、なんか、ヘンじゃね?・・・
関連記事