このブログをよく読んでくれてる人なら、昨日発売の週刊ダイヤモンドは読んだんじゃないかな?「2011年フェイスブックの旅」と題してFacebookの特集記事を組んでいた。アイコンパレードの表紙を書店で見た人も多いんじゃない?
あれ?なんか、聞いたことある話だ。そう、ほぼ一年前、同じ週刊ダイヤモンドが「2010年ツイッターの旅」と題した特集記事を組んだんだ。表紙もアイコンパレードだったよね。その頃の日本のTwitterユーザーは400万人台だったそうだ。それがいまや1300万人だとか。そしていま、Facebookユーザーは300万人だというから、同じような展開でこれから一年で1000万人を超えるのかもしれない。
ちなみに同じ24日発売の週刊エコノミストと日経MJもFacebook特集だったそうだ。足並みをそろえたわけでもなさそうだから、そうしたくなるタイミングなのかもしれない。
さて先週あたりから急にぼくのFacebookの画面も活発になっていた。それが今日、いよいよ盛り上がっている。ぼく自身も、今日だけでFacebook上でかなりのコメントを書き込んだ。これはもう、ぼくの日常の中に習慣として入り込んできそうだ。帰宅してからも、メールとTwitterとRSSとチェックしたらFacebookものぞいてみて、それからまたメールとTwitterと、と繰り返していた。それぞれのぞくたびに、新しい書き込みがあったり話しかけられたりして、大忙しだ。
うーん、こういうことなんだなあ。
こりゃあ、やっぱり来ますぜ、皆さん。Facebookは今年、来ちゃう。
根拠は前にも書いたけど、イノベイターでもアーリーアダプターでもなく、アーリーマジョリティたるぼくがいま、こうして活発にFacebookを使っているから。ってそんな根拠、全然論理性ないけどね。でも論理を超えて、ぼくは予言する。今年はFacebook元年だわ。
週刊ダイヤモンドの特集記事でけっこう重要なことを教わった。勝間和代さんと小林弘人さんが異口同音に言っていた。最初は友だち申請をどんどん承認して増やしていたのだけど、ある時からそれをやめて実際の友人に絞っていった、のだそうだ。ここ、重要!
Twitterの面白さは”拡散”だ。だから、どんどん面白そうな人をフォローしていくといい。あるいは、フォローしてくれる人が増えていくのも面白がれる。”増える”のは歓迎すべきことだった。
でもFacebookは”限定”なのだ。へたに”拡散”させようとしても、わけわからなくなる。混とんとするだけだ。だから、「リアルでも知ってる人」に絞っていくのが”正解”のようだ。
もちろん、ある方向の見知らぬ人たちを友だちにしていくのも使い方のひとつだろうけど、Facebookの”基本理念”を生かすなら、”知ってる人に絞る”方がいいだろう。
Facebookの楽しみ方の重要な点、とくに先に普及したTwitterとのちがいを世に示しただけでも、ダイヤモンドの特集は意義が大きい。少なからぬ人たちが「なるほどねー、おれもそうすっか」と思ったはずだ。そして、そこを踏まえるとFacebookは楽しくなる。
いやいや、だってここまでこんなに普及しなかったんだから、日本人には向いてないんだよ。そう主張する人もいるかもしれない。
でもいま、ぼくは実感していることがある。ソーシャルメディアの普及はやっぱりソーシャルなチカラなんだと思う。いまぼくがどうしてFacebookに頻繁にアクセスしているか。お友達が活発に何かしているからだ。思い起こせばTwitterもそうだった。誰かと話さないわけにはいかなくなってきたのだ、ある時点から。Facebookも、なんとなく登録していた人たちが、映画や雑誌に刺激されて、せーので活動し出した、それがいまなんだ。Facebookにとっての、ソーシャル沸点みたいなものが2011年1月後半で、沸点を超えるとすごい勢いで鍋がぐらぐら煮えたぎり出しているのだ。
さてFacebookは、使いはじめるとわかる不思議な点、面白い点がいっぱいある。Twitterはそのシンプルさが魅力だけど、Facebookの機能はいろいろあって奥深い。日々使いながら、レポートしていこうと思う。
というわけで、しばらくはFacebook特集ね、このブログも・・・
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バーチャル空間でのコミュニケーションが様々で形式でだいぶ出回ったが、現実空間でのリアルサイトでインターネットで繋がるメディアが出てきても良いだろう。特定の地点でのプロファイルの画面テーマで関心をもったスマートフォンの携帯同士がリアルタイムで”ささやきあう”のだ。これを仲介するのが渋谷の駅前や新宿のアルタ前にあるような膨大なデジタルサイネージのネットワークメディアはないのか。もし、全国に10万端末をネットし、リアルポータルとして市民に無料放映をさせたら、きっとあたらしい形の恋や愛が芽生えるシーンを生む事だろう。