というわけで、総集編の3つ目のテーマはようするに、iPadって定着するのかね?一時的なブームで三年ぐらいしたら盛り下がっちゃうんじゃね?大丈夫?って話。
これについてはまた”図”を描いてみたので見てみてちょうだい。
iPadはLIFEのための史上初のコンピュータだ、と前にも書いたのだけど、そのことを表した図なんだね。これ、わかりますか。
ぼくたちはいつの間にか、家庭でもPCを使うようになっていた。おそらくその大半はノートPCなんじゃないかな。もちろんデスクトップタイプより使い勝手がいい。ダイニングテーブルにノートPCを置いて家計簿つけて奥さんが暗い顔をする、なーんてシーンが”フツー”になっている。
でもよーく考えると、家庭の中でPCって変だった。そりゃ家計簿つけるのは”仕事”だったりするからPCはいいでしょう。でもPCをリビングにも持ってきて、ひざの上に置いてWEB眺めたりって、けっこう不格好だしそもそも不便だった。クリックしてまたクリックしてWEBを渡っていったり、RSSでチェックすべきニュースサイトやブログの記事を読んでみたり、Twitterのタイムラインをどんどん流し読みしていったり、そんな時にノートPCについてるキーボードはあんまり意味がなかった。
だからキーボードがないiPadは、キーボードがないという実に単純なことによって、LIFEに溶け込むことができるんだ。なーんだ、キーボードっていらなかったんだなあ。具体的なブツを提示されて初めて気づいた。
そうやってとらえると、iPadはパーソナルコンピュータが登場して以来の新しい物体なんだと思う。だからどんどん普及すると思う。普遍的な製品になりえると思うんだ。もちろんAndoroidのタブレット端末を買う人もこれからiPadと拮抗するぐらい増えて行くのだろうけど。Andoroidも含めて、タブレットに普遍性があるのだと思う。
ただし、ケータイ電話やPCみたいに、ほとんど人間の数だけ普及するかと言えば、それはちょっとちがう気がする。iPadとAndoroid合わせても3割ぐらいの普及率で止まるんじゃないかとぼくは予測している。誰にとっても必需品と言えるようにはならないんじゃないかな。
だってiPadでやることって、相当に余計なことばかりだろうから。何しろ、雑誌を読んだり、映像みたり、そういうものだから。ないと困る、と言えるものではない。あくまで、LIFEの中でPCを使っていたことの代わりに使うものだから。リビングでPCを使うよりは断然いいぜ!という製品なので、おれはもともとリビングでPCなんか使ってなかったぜ、と言う人には関係ないモノじゃないかな。
別の見方で言えば、iPadは情報やコンテンツに強い意欲を持つ人のための製品。そんな意欲はないね、あんましね、と言う人には無用の長物になってしまうだろう。
iPadについて書いている人の中で、持ち歩くには重たいのでiPadはダメだよ、ネットPCの方が便利だよ、という意見を見たことがある。それ、ちょいーっとちがうんだなあ。そういう人は、WORKしたいんだろう。日常的に移動しながら、WORKしたいんだろう。そういう用途なら、PCの方がいいに決まってる。だってキーボードついてるもん。
iPadはもっとそうとう、どうでもいいものだ。どうでもいいことをする時に使う、どうでもいいもの。それがiPadなのだと思う。
そして人間は、どうでもいいことをしたくなってしまう動物だ。どうでもいいことが大好きで、どうでもいいことができないと死んじゃうよ、って人がそれなりの割合でいる。そんな、どうでもいいことを便利に、気楽にできてしまう、どうでもいいものが必要だったりするんだ。どうでもいいことを、洗練させていくことが”文化”というものなんだ。
ぼくもそういう、どうでもいいことが死ぬほど好きな人間だったりする。このブログだって一銭にもならないどうでもいい作業けれども、もう日々書きたくなってしまう。そんなぼくだから、iPadは大好きだ。面白くって仕方ない。
iPadは普遍なのか?ぼくにとってはそうだ。そしてそういう、たぶん3割ぐらいの人にとっては普遍だ。逆に言うと、iPadとはしょせん、そんなもんだ。そんなもんだという前提で捉えていかないと、まちがっちゃったりすると、思うよ。
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PCとTVの場所が、離れてるが故に、その部分を埋めるのが、iPhoneや、iPad.iPadがTVの部分をきっちり埋めてくれるのであれば、デジタルTVは購入しない。iMacの上に乗っかる、安いワンセグTVみたいなものが出れば、それを乗っけて、小さいTVを見てiMacでやいのやいの言う。どっちに転ぶかで、相当変化があるはず。PCとTVが隣においてあるワンルームみたいなところでは、最初から、iPadは不要。
iPadの登場で、人と作業の間に介在する「OS/デバイスの存在」がだいぶ透明(意識しなくていい)になりましたので、やはり進む先は「無」なんじゃないかと思います。人間にとってそれが一番楽ですから。
私的には8割は行くのではないかと(笑)LIFEツールとしての使われ方は3割程度かもしれないけど、この先、持ってないとハナシにならない、生きていけない、てな事が起きそうな予感がします。もちろんインフラ状況、大きさ重さ、種々ハードル次第ですが。いままでは役割分担(PCはPC、カーナビはカーナビ、教科書は紙w、みたいな)されていたわけですが、クラウド化も含めてお手軽簡易一本化していくような気がしてます。その時のお手元端末としてはタブレットは最適かなと。まあ、もしかしてウデに巻き付けているかもしれませんが(笑)すいません、SF好きなんです。
PSPや任天堂DSといった携帯ゲーム機やKindleのような電子書籍ビューワも広義ではLIFE端末と言えるのではないかと思います。それらは使用目的や自由度がiPadよりは限定的で逆にその分最適化されているだけだと。もしそれらの端末がクラウド上の自分のメインアカウントに接続できるようになればもっと境界は薄くなると思います。これからのコンテンツは、端末指定というよりデバイス指定になる方向性かもしれません。例えば、「このゲームはiPad用です/このゲームはPSP用です」じゃなく、「このゲームはタッチパネルデバイスで動作します/このソフトはキーボードとマウスが必要です」みたいな感じで。デバイスの分類定義の標準化はBlueToothのプロファイルのような感じで必要になるとは思いますが。
ご商売をずっとやりたいご老人には、GUIで計算できる、計算機とか作ってあげたい気がするけど。もう、眼がしょぼしょぼになっちゃってる人に、使わせるのは、無理があるね。1日中、画面見てても、眼性疲労が起こらない人と、大変なことになる人だと、そういったデバイスの必要性は、まったく違うので。あと、SFなら、最後は、テレパシーだから、ツールは、いらないはずですが。
この論は少しく迷走したり揺らぎがあるように思える。それは腑分けの仕方や分水嶺の設定がボンヤリしているからかなって思う。(少なくとも、ボクとは異なる)1)とりわけ日本人はlifeのなかに大きくworkが浸食してきている。この腑分け・区分けはどうなんだろう?一方、iPadというブツはこれらの垣根をハナから問題にしていない。(と思う。)2)上記に関連するが、営業の男でいつもiPadを持ち歩いている。iPadのpagesやnumbersにoutlookから同期させたドキュメントを入れている。もしくはクラウドに上げたそれらをiPadで呼び出す。もちろん、彼自身のアミューズメントのアプリも無数に入れてある。3)キーボードのアリナシが分水嶺になるのだろうか?iPadの入力には内蔵キーボードかテンキーをタッチで使用するんでしょう?外付けのキーボードを叩くのとそれほどの意味合いを持った差異性があるのか?4)上記に関連するが、音声入力の技術は日進月歩。今現在でも相当のものだとか・・・。早晩、分水嶺自体が消滅する。5)コンピュータの歴史はその置かれる場が工場→オフイス→家庭→個人(lifeと言ってもいいが・・・)へと浸食してきた歴史でもあり、同時に(それがゆえに・・・)ヒューマン・インターフェイスの容易化の歴史でもあるような気がする。当然とか必然でタブレットPCはここある。6)iPhoneからひょいとiPadにジャンプしてきた。初代機であるiPadがこれからどのように増殖・進化していくのかを我々はまだ知らない。多分操作の容易化はますます進化し、機能はさらに増殖し、テレビ視聴、録画、通話、無線・・・などを附加させたデバイスになっていくのだろう。7)携帯電話が登場したての頃、現在のように1人に1台以上の時代の到来を予見した人は一人としていなかった。ジョブスが言う・・・「革命的な製品が生まれ、それが世のパラダイムを大きく変革させていく」・・・このはずみ車的な乗数的な変数は人間の予知能力をいつも凌駕する。で、ボクのこの問い掛け的な論に答えれば・・・「iPad(のようなタブレット)はますます進化し、ますます必需品となり、100%に近い普及を遂げる」「これらのデバイスを持たないということは“社会的な死”を意味する」以上
えっと。新富町あたりだと、iPadってもしかして20年前のfiloflexのように、営業必須アイテムとかなってて、半分以上の人が、無理矢理使ってたりしません?
iPadってアラン・ケイの唱えたダイナブックに一番近いプロダクトではないかと思うのです。
まだまだです。
いっぱいコメントがあってどうレスしようかしら。みなさんありがとうございます。hhoshibaさんの論へのレスです。iPadはWORKにも使うと思います。営業マン全員持って、顧客へのプレゼンアプリとか見積り簡単アプリとか入れて、お前らこれで効率的に仕事取ってこれるよな、とか増えると思います。でも一方で、そういう定型的化できること以外には使いにくいです。Keynoteで書類をイチから作るのは大変。指で大ざっぱにしかいじれないんですね。結局、PCで作ったファイルをiPad上でプレゼンする、という使い方。そういう設計なのだと思います。iPadにとって、いちおうWORKで使えなくもないんじゃない、というムードです。本格的なWORKはPCの方でやってね、できればこの機にMac買ってね、と、そういうメッセージなんだと思う。あとねえ、3割説なんすけど、iPadに夢中なぼくと一緒になって夢中になる人と、お前そういうの好きだよなあという人と、明らかに別れていて、前者はだいたいTwitterもやってるんですね。ソーシャルデバイドと同じようにタブレットデバイドがありそう。まあ、この先またいろいろ変化するかもしれませんが・・・