昨日の夜は急いで帰宅した。9時からのドラマ『ゴーイングマイホーム』をリアルタイムで観たかったからだ。
この秋のドラマの中でも注目のこの作品。本来は10時放送なのだが、2時間スペシャルでスタートということで、初回だけ9時放送だった。
何が注目かというと、是枝裕和の脚本・監督作品なのだ。
コレエダって誰?という方には『ビューティフルライフ』『誰も知らない』『奇跡』などの作品で知られる映画監督だとまず説明しておこう。
ただ、是枝監督が独特なのは、テレビのドキュメンタリー出身であることだ。だから”映画監督”と定義して良いのかわからない。もっとゆるく”映像作家”とした方が適切なのかもしれない。
彼の作品を観ると、”テレビのドキュメンタリー出身”であることが「なるほど!」と思えてくるだろう。不必要な抑揚がなく、淡々としたタッチ。その場での役者のアドリブ的な演技を大切にしているらしい。だから自然な空気がたちこめる。
そんな作風だから、地上波のプライムタイムのドラマに起用されると聞いて驚いた。そしてワクワクと期待した。
はじまったドラマはある意味想像通りであり、また想像以上に是枝作品の空気感を帯びていた。カメラが、照明が、音声が、演技が、そしてセリフが、構成要素のひとつひとつが、よく観ているドラマとまったくちがっていた。
新鮮!
ぼくはプライムタイムにこの作品を持ってきたフジテレビ(じゃなくて関西テレビ?)の英断にも感心した。どこか、テレビの転換期、ターニングポイントの象徴なのかもしれないとも思う。
ツイッターのタイムラインを眺めながらドラマを観ていたのだけど、案の定、賛否両論飛び交っている。「退屈だ」「飽きちゃった」「意外につまらない」そんな”否”のツイートもけっこう見かけた。一方で、「こんなドラマなかった」「面白い」という肯定的なツイートももちろん多い。視聴率競争で王座を奪われたフジテレビ(関西テレビだけど)があえて賛否両論飛び交うドラマを企画に選んだことは素敵だと思う。ひとりの視聴者として喜ばしい流れだ。
ツイートの中に「映画みたいだ」というものも多かった。
これは面白いことだと思う。普通の視聴者が、ドラマを観て、テレビドラマらしいと感じたり、映画みたいだと受けとめたりするのだ。非常に感覚的な、でも正直な感想なのだろう。
そもそも、ドラマらしいとか、映画っぽいとか、どんなちがいがあるのだろう。
日本のテレビドラマは、映画へのコンプレックスと意地ではじまっているのだ。
米国のテレビドラマは、事実上ハリウッド、つまり映画人が作ってきた。映画界はテレビを味方にすることで新時代を乗り切ろうという戦略をとったのだ。だから米国のテレビドラマは、大昔の『ローハイド』であれ、最近の『プリズンブレイク』であれ、映画みたいだ。
一方日本の映画界は、テレビを拒んだ。生まれたばかりのテレビ界を突き放し、スタッフも貸さないし役者も使わせないのだと宣言した。そういう戦略・・・というより感情を選んだのだ。
その結果、テレビドラマは自分たちで試行錯誤して製作方法を作り上げるしかなかった。「私は貝になりたい」という、最近映画としてリメイクされた物語は、テレビドラマ黎明期に初めて”テレビでも素晴らしいドラマが作れる!”と自信をもたらしたエポックメイキングな作品なのだ。
以来、テレビドラマはTBSを中心に進化していった。70年代まではTBSがドラマというジャンルをリードしていった。
そんな中、フジテレビが80年代後半からドラマ界のリーダーに躍り出た。”トレンディドラマ”などと称され、TBSとはまったくちがう手法と空気感を持つドラマを作っていった。90年代にはそれが確立され、他の局にも影響を与えた。
だから、80年代前半までとそれ以降とでは、テレビドラマが持つ空気感はまったくちがう。70年代と90年代のドラマはかなりちがうが、90年代といまのドラマはほぼ同じ空気を持つ。
『ゴーイングマイホーム』を観て”映画みたいだ”という人は、90年以降のドラマと比べているのだろう。
是枝監督のドラマを観て”映画みたい”という人は、彼が映画界の人だと知って言っているのかもしれない。でもさっきも書いたけど、是枝氏はテレビマンユニオンという、番組制作会社の出身だ。テレビマンユニオンは、日本のテレビ史上初めて設立された制作会社で、この会社の設立以前は制作は社内で行うものだった。同社によって”外注”システムが生まれたのだ。
是枝氏はそんな、テレビ番組制作会社のど真ん中みたいなところでキャリアを開始し、映画に進出した。だから、彼の映画は当初、映画界でも違和感を放っていた。それまでの映画とちがう!と言われた。
そう考えると、このドラマを観た人が”映画みたい”と評するのは不思議なことではあるまいか?
頭の中を整理せずに書いているので話がどこへ向かうかわからないのだけど、もうひとつこのドラマで大事なのは、”マイホーム”がテーマになっていることだ。主人公はCMプロデューサーというばりばりに都会的な職業に就いている。彼の父親が実家で倒れるところから物語がはじまるのだが、どうやら彼が故郷に回帰する話なのだと第一話で予感させる。
いま、ぼくたちは故郷に回帰しはじめている。リーマンショックから立ち直るためなのか、去年の津波で打ちひしがれたからなのか、原因ははっきりしないしどれもこれも原因なのだろうけど、そういう潮流がぼくたちを覆いはじめている。都会に住んでなにやってんだ、おれ。そんな気分にぼくらは包まれている。そんな気分をぽわーんととらえて物語が動こうとしているのだと思う。
故郷に回帰する物語であることは、このドラマがソーシャルな匂いをこっそり撒いていることでもある。ここんとこはもっと解説が必要だな。でも解説はそのうちまた書こう。とにかく、故郷回帰とはソーシャルな気持ちなのだ。
いろんな意味で『ゴーイングマイホーム』は興味深い。このあとも追っていこうと思う。
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