『アバター』はオタク精神の結晶〜日本映画産業論その6〜

『アバター』をネタに書いてきた。書いてたら暗い暗〜い話ばかりになっちゃった。こりゃいかん。『アバター』をネタに、日本映画にとって明るいことも書くからね。

2つ前の記事に”まる3”さんが面白いコメントをつけてくれた。『アバター』には日本のアニメの影響がいっぱい隠れてる!そうだね、きっとジェームズ・キャメロンは宮崎アニメもエヴァンゲリオンも見てるね、まちがいなく。賭けてもいいよ、1000円ぐらい。

日本のコンテンツ界にとって明るい材料がそこから見えてくる。

キャメロンに限らず、新しい映画にはオタクっぽさがある。ジョージ・ルーカスなんか若い頃の写真を見るとオタクそのものだ。分厚いメガネをかけたカッチョ悪い青年だった。そんなオタクだからこそ、あの壮大な世界を創造できたんじゃないか。

『マトリックス』もオタクの塊みたいな作品だった。ウォシャウスキー兄弟が日本のアニメ大好きなのは有名だよね。

もともと映画というものは、あるいはクリエイティブな作業というものは、オタクっぽいんだ。クリエイターはみんなオタクなところがある。何しろディテールにこだわることこそがクリエイティブのクオリティに関わるからね。

これからの映像表現には、いよいよましてオタク精神が必要になるんじゃないか。オタク精神こそが次の表現のモチーフや物語世界を生みだせるんじゃないか。だったら世界に冠たるオタク大国日本こそ、21世紀の映像表現のメインストリームを生み出せるのかもしれないじゃないか!

オタクの可能性にはもうひとつある。

キャメロン監督が『アバター』に必要なテクノロジーを開発したことは前に書いた。そしてこれからの表現にテクノロジーは欠かせないのだ。テクノロジーを駆使することで、次の表現が生まれるんだ。

テクノロジーと新しい表現は、実は常にセットだった。古くは『月世界旅行』などで史上初のSFXを編み出したジョルジュ・メリエスの作品もそうだ。トーキー映画の誕生によってミュージカルというジャンルが生まれた。

そしてオタクはテクノロジーが大好きだ。不思議と、理系の人間でなくてもクリエイターは新しいメカだの、デジタルツールだのをいじり倒す。そこには、3Dでスペクタクルを映像化する、なんて大袈裟なレベルじゃなくても、テクノロジーによる小さな表現革命がそこいら中で起こる可能性があるのだ。

そして、も一度言うけど、日本こそがオタク大国だ。オタク先進国だ。

少し前に、同人誌を舞台にアマチュア漫画家が活発に活動しているのに加えて、同人音楽、という運動も起こっていることを書いた。だったら、同人映像、も起こるはずだ。いやすでに起こりはじめている。

その中から、21世紀の日本のキャメロンが登場するのかもしれない。

『アバター』を世界中でヒットさせる。それはハリウッドにしかできないのだろう。そうだろう。でも『アバター』とは別のレイヤーで、『アバター』のような革命が、日本のあちこちで、きっと起こるんだ。それが21世紀のクリエイティブビジネスの源かもしれない。そういう動きをいかにビジネスにできるかが、ぼくたちに問われるのかもしれない。

うん、希望というものは、そうやって見つけていくものなんだね・・・

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コメント

  1. 歌舞伎観てるとオタクのためにあるような気してきますね。わかりにくい家系と同じ名前、つまり名跡。演目、そのわかりにくい(けど良く調べうると凝った意味合いある)題名、他演目と繋がる登場人物たち。歌舞伎好きのおばさんはいろいろ語るけど、その感じオタクそのもの。

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