「業界構造を変えたいんですよ」と、ぼくより10歳ぐらい若いその人が堂々と言ったのだ。かなり大きな、この不況でも成長している会社で、けっこうな立場を築いていた人なのに。じゃあ、また別の大きな会社に行くのかな、と思ったら、「とりあえず一人ではじめようと思ってて」と言ってのけるのでなんだか降参だなと思った。
「次の時代のプラットフォームをつくるんです」と彼は言う。「2017年が目標かなと思って」とどんどん壮大なスケールの話を、さほど肩に力も入らない感じで言うので、もうノックアウトだった。
でも正しいなあ、と思ったの。
古い希望が消えつつあり、新しい希望が生み出せるかもしれない、ひょっとしたら明治維新以来かもしれないこの過渡期に何が起こっているのだろう。
“プラットフォーム”という言葉は象徴的かもしれない。物事をのっける大きな”土台”みたいなものが大きく変わろうとしているのだ。”プラットフォーム”という言葉をあらゆる産業で大きく拡大解釈すれば、すべての事象にあてはまるのかもしれない。
それが可能になりそうなのはやはり、インターネットによるものだ。そして、インターネットは新しいプラットフォームをいろんな局面で生み出そうとしている。これは簡単に言えば、流通革命なのだ。
インターネットが産業としてもたらしつつあるのは、流通構造を変えはじめていること。そこに集約するのは極論過ぎるけど、話はわかりやすくなる。
アマゾンがいい例だけど、他のあらゆるWEBサービスも、ひとつの切り方として流通を大きく変えた。
そして、我がメディアコンテンツ業界で去年から大地震みたいなことが起こっているのも、ようするに流通構造の変化だ。メディアという、コンテンツのプラットフォームがごごごごごと大陸移動を一気に起こしている。テレビや新聞など旧マスメディアの広告費が急速に落ちているのは、ニュースだの映像だのを運ぶ船が、マスメディアからネットにシフトしているから。いや少しちがう。マスメディアに費やす時間に対してネットに費やす時間の比率がぐいぐい高くなっているから。
新聞は明らかに昔ほど読まれなくなった。テレビの視聴時間は意外に激減したわけではないが、とにかくネットにかける時間が増えて、相対価値を失いつつある。
そういうコンテンツの流通革命が起こっている今、コンテンツの側にとっては、ピンチとチャンスが同時に押しよせているのだ。
ピンチなのはもちろん、短期的に捉えた際、コンテンツ側にまわってくるお金がどんどん減っているから。テレビCMだのテレビ番組だの、雑誌のライターだのカメラマンだの、新聞の広告デザインだの、そういったものにまわってくるお金は、減っている。これは大大大ピンチだね。
一方で、長期的に、そして相対的に、メディアの優位性は失われつつある。ということは、長期的に、そして相対的に、コンテンツ側の優位性が高まる。これはチャンスだね。
ただこのチャンスに、大問題はいっぱいある。まず何よりも、あくまで長期的で相対的に、という点だ。だんだんね、少しずつね、これから何年かかけてね、ということだ。そしてその前に大大大ピンチがやって来ている。長い目でのチャンスに乗っかる前に、大大大ピンチに巻き込まれてダメになっちゃうかもしれない。
他にも大問題はある。そのあたりをまた、書いていくからね。
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