スタジオジブリが映画制作から撤退するらしいという情報が飛び交っていたら、NHKあさイチに鈴木敏男氏が出演して「いや制作体制を変えるだけです。宮さんも短編は撮るんじゃないか」と打ち消したりと、ホットな話題になっていた。
そしたら、ソーシャルメディア上に妙な記事が出回って、けっこう多くの人がシェアしていた。こんな見出しだった。
ジブリがアニメから撤退 事実上の経営破たん:世界のニュース Nile_Amen
この見出しがニュースキュレーションアプリNewsPicksでピックアップされ、何人かのコメントもついていた。「知らなかった」とか「そうだったのか」とか「良記事」などとみなさんがコメントしている。
をいをいをい!んなわけないだろう!日本の映画興行の数字を塗りかえてきたジブリが経営破たんするほど儲かってないなら誰も儲からないじゃないか。ぼくは映画を作る会社に一時期いて、いくらで作って興行収入がこれくらいいけば儲かる、という計算をする立場だったので、ジブリが経営破たんだなんてありえないと直感的に思った。
Nile_Amenというサイトで元記事を読んでみた。驚いたのは、”それなりの内容”だったことだ。”それなりの”とは、何の根拠もなくバズりそうな見出しだけ書いて中身は3行です、という記事ではなく、”それなりに”調べて”それなりに”信憑性がある文章に見えていたことだ。興行収入の何%を映画館がとり、さらに配給手数料も引かれて興行収入の何%ぐらいしか制作会社に戻ってこないとか、各作品の製作費と興行収入を並べていたりとか。部分的にはまちがってないし、情報を集めてもいる。
ただ、全般に中途半端な知識で書かれていて、アニメ映画の製作費は5000万だと、テレビアニメのよく言われる制作費から単純に類推して書いているなど、いい加減だ。それに制作会社と製作委員会の関係などもまったく知らずに書かれている。ジブリの正確な収益は知らないけどこの記事がでたらめだらけなのはわかる。なのに、”識者”のみなさんがNewsPicksで「良記事」などと書いた上で拡散されている。
ひどいことだと思った。
この記事がシェアされてるのを見るたびに「こんないい加減な記事を鵜呑みにしちゃダメですよー」と書いていたのだが、この記事のネガティブパワーの拡散力には、はるか及ばない。むなしい気持ちになっていた。
そしたら今日になって反証が出ていた。
経営破綻とかデタラメ言われてるスタジオジブリは危ない企業どころか健全な企業だった
という見出しで、「市況かぶ全力2階建」というサイトに記事と言うかまとめなのかな、が出ていた。ジブリの決算公告を誰かが見つけてきて、それをもとに@massinaのアカウント名の方を中心に、冷静にツイートしたものをまとめたものだ。
『ポニョ』や『風立ちぬ』などのヒット作が出るとちゃんと数十億円の利益が出ているし、狭間の年も手堅く利益が出ているのは旧作の版権だろう、という分析。いやホントその通りだと思うよ。
それでね、ここからが今日の本題。
Nile_Amenはほんとうにひどい記事を書いたもんだと思う。よくわからないのが、それなりに調べてきてそれなりに推論とかしてそれなりの労力をかけて記事を書いている。狙いは何なの?ジブリが実は経営破たんだと書けばバズってPV上がるから生半可な知識でわざと”経営破たん”と書いたのか、それとも生半可だけど一定の知識を基に考えたら「おお!これは経営破たんなのだ!」とマジで書いた記事なのか。
そこはこの際、どっちでもいいので、とにかくいい加減な記事を書くなよ、と言いたい。いい加減な記事を書いた自覚があるらしいのは、元記事がNile_Amenから削除されてることに表れている。でも「バレちったよ」と薄ら笑いで舌出してるのか、「ぼくは間違ったこと書いてしまったー」と猛省しているのかはわからない。まあ、前者なんだろうね。後者ならちゃんと訂正記事なり謝罪コメントなりを書くべきだ。
Nile_Amenはそもそも、誰が何を目的に作ったサイトかもわからない。わからないけど、その後もせっせと新しい記事が掲載されている。でもいい加減な記事を出して謝罪的なこともないので、ぼくは以降、このサイトは信用しないし見に行かない。
そんなサイトが増えた。ほんとにひどい記事だらけのサイトが多い。PV数を上げることしか考えていないのか。その上、悪意も感じるなあ。とにかくやたらとどす黒い意志ばかり表明して、他者を攻撃して、正義感めいたものを振り回して、そのわりに書いていることがいい加減。モラルが低い。いい加減なことしか書く気ないなら、文章を書くなと言いたい。
あれ?でも、そうだっけ?ネットでいろんな人の文章を読むのって、いい加減なことを書くな、って姿勢だったっけ、おれ?多少いい加減でもいいから、知らない意見、マスメディアに見えてこない主張や気分が発見できるから面白い!って思ってたのにな。
ブログと言うツールが出てきて、そこにソーシャルが加わって、誰でも主張ができるし、いいこと言うとソーシャルでばあーっと拡散されて伝わってくる。それが素敵だったはずだ。テレビや新聞では拾いきれない知見が、目の前をどんどん次々に流れて行くので、それをひょいっと読むのが面白くて仕方なかった。知的興奮を覚えた。
ところが最近、ひどい記事がほんとうに増えたと思う。え?!と感じた見出しは「待てよ・・・これおかしくないか?」とすぐ疑うようになった。簡単に信じなくなった。とくに、すでに頭の中にリストされているサイトだと、「あー!あすこか、読むのやーめた!」と瞬時に判断する。
ただ、そういうサイトがどんどん増えるので、いささか食傷気味だ。なんか、結局新聞やテレビの方がいいんじゃないの?
情報発信のすそ野が広がって、お金目当てでいい加減なこと書く人も増えて、全体にネット言論のクオリティが下がっているのだろう。少し前までは「ネットの人たちの方が頭いい!」って感じだったのが最近は平均とると明らかに旧マスコミの方がずっとまともなのだと思う。
でも、じゃあ、やっぱり旧マスコミ万万歳!ともならない。つい先週も、某日本の良識大新聞が、何十年も前の記事を「あれは誤報でした」と言ってるし。
もう誰も信用できない、ってことか?
などとエラそうに言ってる場合でもない。ぼくだって信憑性を保ってるのか、最近は自信がないのだ。
もちろん、このブログの元々の路線であるメディアはこれからどうなるか、については自信がある。少なくとも、間違った事実は書いていない。ぼくはジャーナリストでも何でもないけど、ある程度の基準を持って書いているつもりだ。
ところが最近、赤ちゃんや育児について書くようになって、不安が出てきた。この分野は丸きりシロウトで、生半可な知識しかない。もちろん、けっこう取材したり調べたりはしてるが、育児関係のことを記事として書くなら最低限把握しておくべきこと、みたいなものはまったく欠けている。
だからこそ、書く意義がある、という側面もある。育児のシロウトで、いちばん大変な時期は過ぎちゃったおじさんが育児について書いているから新鮮、ということらしい。でも書く側としては、勉強不足は否めないのだ。
そんなこんなで、このところブログの更新頻度がめっきり減った。前みたいに、ちょっと寝る前に書くか、さっき気になったあのことでも書くか、そんな気楽なものでもなくなってきたからだ。まっとうなこと書かないと、ハフィントンポストやBLOGOSを通じて誤った情報が伝わってしまう。
そういう、責任感めいたことを、感じるようになってしまった。ブログを書くことは息抜きで趣味みたいなことなのに、責任だけは重たい。なんだろう、これは。
さらに最近の現象として、ここで書くことの主体性みたいなことが、ぼく自身の心持ちとは関係なく、不安定になっている。だって自分のブログ上より、ハフィントンポストやBLOGOSで読む人の方が圧倒的に多いのだから。取材に行くと「ああ記事読みました。ハフィントンポストの記者の方なんですね」と言われることもある。アグリゲーションの概念を知らない人に、「ぼくは自分のブログに書いてまして、転載されることになってまして・・・」と説明するのは大変だ。さらにさらに、”ハフィントンポストに載った記事がスマートニュースに表示される”なんてこともある。知らない間にあやしいサイトに転載されたりしている。いったい誰が書いた記事なんだ?
最初にふれたNile_Amenだって、サイトを見ても誰が書いてるのか、さっぱりわからない。名前もはっきりしない人が書いたいい加減な記事と、ちゃんと氏名を明示してまともなつもりで書いたブログ記事と、マスコミ上でプロの記者が書いた記事と、ぜんぶごちゃまぜになってキュレーションアプリで拾われ、日本中のスマホを飛び交っている。
そんなニュースとその解説と個人的な印象みたいな言説が、言い方悪いけど津波の濁流のように何もかも呑み込んでガレキのような状態になってしまって、毎日すごい勢いで目の前を流れて行っている。ぼくたちはその中から目についたものをひょいっと拾って、感じたことをコメントとしてくっつけて流れに戻す。見送るとその話題はどんどんふくらんでいっている。たくさんの人が何の気なしにつけたコメントで体積が増し、すぐに大きくなるのだ。
こんな状況では、ニュースをどう受け止めるか、読む側もいまや責任がある。そのまま信じて「みんな!大変だぞ!」ってコメントしたらどんどん信じるから。ぼくたちはもはや、ニュースをそのまま信じてはいけないのだ。「ん?!この記事は怪しいぞ!臭うぞ!」そう感じたら拡散しないようにしないといけない。そうするうちに、いい加減な書き手やサイトは淘汰されるはずだ。いや淘汰されないといかんと思う。
なんとややこしい世の中になったものか。これは過渡期なのか、ずっと続くことなのか。・・・まあ、自分なりの判断で情報を受けとるのは、いつの時代でも必要だとは言えるけど・・・
コピーライター/メディアコンサルタント
境 治
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週刊誌を購入していた層が読むメディアになるんでしょうね。
時代が変われば媒体は変わるけれども、中身は大して変わらないということでしょうか。
誤報とわかれば元記事の回収が楽になる分マシなのか、余計に誤報が乱発されるようになるのか。。。
過渡期かどうかは判断が難しいですが、通らなければいけない道と、私は思っています。「お前が悪い」「いや、最初に手を出したのは君だ!」「お前の返事が悪かったからだ」「あんな聞き方じゃ、あんな返事になる」。こんなおいしい論争に、『そーだ、そーだ』『でも、ココがおかしい』とか外野の立場で一言申して、ページクリックで、さあ次の話題は、、、とできるんですから、こんなおいしいメディアは、今までなかったと思います。それも今や、電車の待ち時間などの隙間時間でできるのですから。で、ネットのニュース関連がグズグズになって、「やっぱ、朝日、読売、毎日の意見ぐらい見ておこう」という話が出ると思います。(あ、三大新聞じゃなくてもいいんですけどね。NHKでもOK)
特に最近の方はネットサーフィン(死語)などなさらないそうで、Buzzなキュレーションニュースサービスでの紹介記事を、すぐに信用されるようです。「他のサイトでは、なんて言ってるのかな」ぐらいのネットサーフィンをすれば、賛成、反対の意見があることがわかると思います。
以前、大学生に「ニュースはネットで、って言うけど、何を良く見るの」と聞いたら、「サイゾーとか」と言われ、ずっこけた記憶があります。
皆賀いつか必ず、じっくり読めて、そこにきちんとした意見があるニュースを読みたくなる! という日が来る事を、祈っております。