そろそろ、「広告」の次の言葉が必要かもしれない

2010年という、(おそらく)エポックメイキングな一年として語り継がれそうな年を振り返ろうと思っていたのだけど、なかなか、書けなかった。

何書くかな?ともやもやしちゃってたのだけど、今日久しぶりにTwitterでこってりいろんな人と話したら、どんどん書くべきことがわいて出てきた。そういうもんだ。誰かから刺激を受けて脳みそが働くようになる。

いろんな人とのいろんな話の中に広告の話題もあった。

そう言えば、「広告の新たな地平線」というカテゴリーで書いてきた内容は途中な感じになっていた。少しずつ書いていたのは、ソーシャルメディアとコンテンツについてだった。

広告はもういま、すごい勢いで変化している。少し前までの「コミュニケーションの核はWEBになるんでしょ?」という段階からぐいっとちがうステージに進みつつある。それはもちろん、ソーシャルメディアが登場したからだ。

少し話がずれるけど、スマートフォンがいますごい勢いだ。いまやケータイ電話の新機種といえばスマートフォンといった感さえある。さらに来年は加速するだろう。

スマートフォンを持つ意味は、単なるケータイ電話の代わり、ではない。それはわかっていたことのようで、あらためて認識させられた。Garbagenewsのこの記事「世界各国のソーシャルメディア利用率をグラフ化してみる」を読んだからだ。タイトル通り、各国のソーシャルメディアの普及度を表にしてある記事なのだけど、いちばん最後に、こんな文章がある。

来年はスマートフォンの浸透と合わせ、さらにこの動きは加速化していくに違いない。モバイル端末はソーシャルメディアと共に、世界全体を大きく動かそうとしていると見ても、あながち間違いではないのかもしれない。

ソーシャルメディアの普及について語る際は、スマートフォンとセットだよねと言っているわけ。

ソーシャルデバイドについて何度か書いてきたけど、その差異は要するにスマートフォンでソーシャルメディアを使っているかどうか、に集約される。常に例外はあって、スマートフォン持ってるけどソーシャルやってない人もいれば、スマートフォン持ってないけどソーシャルメディアばりばりの人もいる。でも傾向としては、ソーシャル=スマートフォンなんだ。これはセットでいま世界を変えつつある。

つまり、テレビ新聞雑誌=マスメディア一辺倒だったのが、スマートフォン=ソーシャルメディアに変化しつつある。マスメディアがなくなるとは言わないが、規模が急激に小さくなるだろう。その分、ソーシャルメディアの影響力がぐいぐい高まるはずだ。

そうすると何がどうなるか。考えれば考えるほど、答えは簡単じゃない。さらに、考えれば考えるほど、いまとまったくちがうことになっていきそうだ。天動説と地動説ぐらいちがう。宇宙のとらえ方がまったく変わってくる。

「広告」という熟語がいつ生まれたのか知らないが、「商品のセールスなど企業活動のためのコミュニケーション」てな意味合いになるだろう。それが「広く告げる」という熟語になっているのは面白い。マスメディアを使うことが前提になっているかのようだ。

でもこれからは、マスメディアではなくソーシャルメディアを活用した広告が出てくるべきなわけだ。そうするとそれはもう、「広く告げる」作業ではないかもしれない。少なくとも、何百万人を相手にすることではなくなっていくのだろう。だったら「広告」という言葉はふさわしくないだろう。だから(よく言われる)「狭告」と呼びましょう、といいたいわけではない。何かもっと、まったくちがう方向から持ってきた言葉を当てるべきなんだろうと思う。

もし、マスメディアではなくソーシャルメディアを軸に広告(?)活動をしていくとしたら、いわゆる媒体料をもとにした話ではなくなっていくはずだ。そしてその時点で、広告の世界がまったく別のものになるのだ。

そんな世界がまだぼくには具体的にはイメージできない。見えてこない。それぐらい、これまでの広告ビジネスは媒体料が基本だった。媒体本位制だった。そして媒体マージンがすべての源泉だった。みんなのお給料や、なかなかの金額の広告制作費のもとのもとだった。

媒体本位制が崩れる。2011年は、まちがいなくそういう年になる。スマートフォンの急激な普及がそれを後押しするんだ。

そんな中、ぼくたちは何ができるんだろう。どう生きていくのだろう。iPhoneを手に立って、ぼくらは考えねばならない。いや、考えている場合ではないか。どんどん歩き出さねばならない。・・・それから、手にしているのはもうiPhoneじゃなく、Andoroidかもしれないしね・・・

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コメント

  1. タッチパネル系って、ある年齢以上の人は、むずかしい。物理スイッチと、タッチパネルの上のボタンを探すとが、シームレスな人口は、ある一線があります。ATMが、タッチパネル化してから、オレオレ詐欺(銀行員が、わからないのに教えないから、ケータイで誘導される)に、ひっかかり、電車の切符が、タッチパネル化して、切符が購入できない人が増殖したように。物理ボタンと、タッチパネルは、歴然としてる。物理ボタンは、ピアノ。タッチパネルは、ピアノではない。iPadの、ピアノ、超むずかしいです。物理ボタンの付いた、スマートフォンって、500万人市場だな。とか思ってたりする。

  2. 初めてコメントさせていただきます。広告ではなく個告、はいかがでしょう?かなり前に、少しだけ流行った言葉かもしれませんが、時代が追いついたってことで。。。広く告げるのではなく、個々の興味にあわせてお知らせする。横文字で言うと、パーソナライズド・リコメンデーション。ネットの行動履歴(検索、購買)を元におススメしているのは、グーグルとアマゾン。iPhoneなどのスマートフォンからリアルな行動履歴を入力しやすくなったことで、心理的な抵抗感の少ない<個告>が実現できる時代になるのではないかと。

  3. 確かにテレビ・新聞は落日を迎えるのは時間の問題だろう。来年7月のアナログ停波がその分岐点になる。その頃から、大都市圏単位で機能するクラウド型のデジタルサイネージサービスが出現すると読みたい。スーパーやコンビニ店舗自身が自分の店先に巨大なiPadを設置し、そこにいる人達だけに放映する「地域インターネット媒体」のようなものだ。自家用兼外販広告媒体だから、自分の広告以外にも、フラッシュマーケティングメディアとして課金広告して使い、毎日コツコツと小さく稼ぐ、地域密着型のミドルレンジのメディアが脚光を浴び出すと期待するのだがどうだろうか?

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