そもそも、何が変わろうとしているのか〜メディア事変その24〜

そもそも、いままでの広告の仕組み、あるいはメディアの構造って、この30年ぐらい続いてきただけなんだよね。いまメディアやクリエイティブの世界で働いているぼくたちにとっては、物心ついて以降、あるいは物心ついたらすでに、そうなっていたから、普遍的なことのように思い込んでいがちだけど、30年。たったそれだけ続いてただけなの。

力道山と街頭テレビの時代が過ぎて、テレビがぼくたちの茶の間にあるのが当たり前になった。それは、日本に製造業中心の産業資本主義が本格的に根付いた高度成長とともに完成されていったわけ。完成したのが70年代前半。長嶋茂雄が現役を引退した頃、高度成長は高度な成長を終えた。同時に、テレビ広告費が新聞広告費を超えたんだ。

新聞広告はテレビ広告に王座を奪われはしたけど、そのあとは二つのメディアは手を組んで、広告キャンペーンと世論形成の中心となっていった。新聞15段を朝日毎日読売(略称:チョーマイヨミ)で同日に打ち、また同時にテレビ各局で一斉にテレビスポットが流れはじめる。雑誌でも同じキャッチと同じキービジュアルでややターゲットを絞って広告展開し、ラジオ広告もまあ流しましょうか。そんな”メディアミックス”がナショナルクライアントの新製品キャンペーンの定番になった。

80年代には”コピーライター”にはじまり広告ブームが巻き起こった。”クリエイター”という言葉が日常語になり、電通や博報堂が就職時の人気企業になった。”ギョーカイ人”という人種が世の中に登場し、ネクタイ締めない会社員もありなんだ、ってことになった。

そんな状況は、ほんの30年の歴史しかないわけ。そしていま、壊れようとしているのは、そんな20世紀のあだ花みたいな事柄たち。製造業を中心とした産業資本主義が産んだ、実はとってもあやふやで、もろい、はかない現象だったんだ。

さて、ポイントとなるのは、ここまでで2回も書いた”製造業を中心とした産業資本主義”って部分じゃないか。”モノ”をどどーんと製造してどかーんと売る。それと、いままでのマスメディア中心の広告の仕組みがひっついていた。

変わろうとしていることの実体が、そのヒントが、”製造業を中心とした産業資本主義”って部分にある。ぼくはそうにらんだね。・・・うわ、話が壮大なスケールでお届けする感じになってきた・・・こりゃ続きが大変だわ・・・

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