それでまあ、昨日の続きなんだけどね。
なぜサバイバルな時代になるかというと、人生はそもそもサバイバルだから。そして、この国は高度成長が完成した70年代からこっち、人生はサバイバルじゃないかも、という大きな誤解の中でやってきたわけ。
大きな誤解でこの三十年くらい大丈夫だったのは、もたれ合うシステムを作っちゃったからなの。
それは間接金融と株式持ち合いと企業内労働組合と終身雇用と年功序列制に支えられていた。これらはすべてもたれ合いそのものでしょ。株式持ち合いなんか典型だしね。
このもたれ合いシステムに対し、バブルが崩壊した時、”あれ?いけないのかな?”という機運がはじめて芽生えた。もたれ合ってるとみんながやっていけなくなるのかな?と一瞬みなが感じた。だから、”護送船団方式”をやめようということになった。金融ビッグバンとかはじまった。
でももたれ合いはなかなかやめようとしない。だって既得権にぶら下がるのはラクだもん。誇りさえ捨てちゃえばこんなにラクチンな人生はない。だからみんな、他人の既得権は目を吊り上げてけしからんと言うけど、自分の既得権になるとさらに目を吊り上げて権利を奪うなと叫ぶ。
それがね、もう持たない。もたれ合いではもう持たないねと。はっきりしはじめているわけ。
あ、もう少し続きを書くから、また明日ね。
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