フジテレビの「Mr.サンデー」をぼーっと観ていたら、尖閣映像流出事件から一年経ったというレポートがはじまって、ぼーっとしてられなくなった。
尖閣映像流出事件って何だっけ?ほら、尖閣列島で中国漁船が海上保安庁の監視船に意図的にぶつかってきた様子の映像が、YouTubeで公開された一件のことだよ。2010年の11月4日だったんだって。一年前と言われて、どう感じる?ぼくは、ずーっと前だったような気がしていた。そしてこの一年でずいぶんいろんな変化が起こったなと思った。
あの日のことを思い出した。ぼくは夜遅く、なんとなーくTwitterを眺めていたら、何やら騒がしくなってきた。たくさんの人々が、「このYouTube映像は大変だぞ!」とつぶやいている。どうやら尖閣列島で中国漁船が海上保安庁の船にぶつかるシーンらしい。ぼくもYouTubeに見に行った。実は、その時、肝心のシーンがどこかいまひとつわからなかった。かなり長い映像が、いくつかに分けてアップロードされていたのだ。
翌朝、テレビをつけたら驚いた。各局の朝のワイドショーがこぞってこの映像をとりあげている。
ここで自分の反応が自分で面白かった。テレビのワイドショーがこぞってとりあげるのを見てから、ぼくは昨日の夜中の映像の重みを感じとったのだ。うわ!あれは大変な映像だったのか!逆に言うと、テレビが取り上げなかったら、ぼくは忘れていただろう。ニュースバリューのある映像を夜中に見たのに、そのニュースバリューはテレビのニュースを見ないとわからなかったのだ。
一方で、YouTubeの映像を、各局がこぞって取り上げるのは珍妙な現象だとも思った。あれー?YouTubeのこと忌み嫌ってなかったっけ?蔑んでなかった?あるいは恐れてなかった?手のひらを返したかのように、YouTubeの映像を大スクープとして使いまくっているテレビは、ほんとにどん欲なんだなあと思った。
そんな風に、あの事件は、テレビと、ネットと、ひとりの視聴者である自分との、三極の関係の上下左右が大きく変えたのだと思う。それは単純に、ネットがテレビに対して優位になった、というわけではない。むしろ、ネットとテレビが呼応しあい響きあう、新しいメディア環境が誕生したのだと思う。もっと言えば、前からあちこちで小規模に起こっていたことが、大きく顕在化したのだ。
それからの一年間。ぼくとネットとテレビの関係はどんどん変化してきた。さらに、3月に東日本大震災が起こり、7月にはアナログ停波に至った。ぼくは会社を移り、子供たちは高校と中学に進学した。その間、どんどんメディア環境は変化している。
いま気づいたのだけど、思い返すと、子供たちがすっかりテレビを観なくなった。一年前あたりは、もっと観ていた。それぞれのお気に入りの番組がそれなりにあったし、つけっぱなしのテレビを、ぼくと一緒にだらだら見ていた。それが、子供たちにとってテレビを観ない状態が基本、になってしまった。
そうそう、この一年の中で起きたもうひとつ大きな変化は、Facebookだ。毎日ふつうに使っている。Macを起こすととりあえずFacebookだし、出かけると駅でついついiPhoneのFacebookアプリを開く。何か重大なことを知るためではなく、なんとなーく生活にしみ込んだ習慣だ。でもこの習慣がはじまったのは、今年の1月。映画『ソーシャルネットワーク』を観てからだ。
不思議なことに、ずいぶん前にFacebookのアカウントは取得していたのに、まったく使ってなかった。映画を観たあと、ちょっと使ってみるか、とやっていくうちに、Twitterで知りあった人々がいつの間にかFacebookもはじめていて、お友だちが増え、ウォールが賑やかになっていった。コンスタントに使うかどうかは、そこに尽きるだろう。お友だちの活動が活発になって、ウォールがにぎやかになる。それがなければ、面白くないに決まってる。
この一年間、ぼくたちにとってメディア状況は歴史的なターニングポイントだったのだろう。あとから見ると、あそこが節目だったよね、と総括するのだろう。だとしたらこれはまだ、何かがはじまったばかりだったり、はじまろうとしている矢先だったり、はじまる前の兆しが起こりつつある段階なんだろう。
いま、節目だよ。いま言えるのはそれだけなのだ。プロローグとか、第一章ぐらいなのだ。
これから、何章も先がある。何ラウンドも試合は続く。起承転結の”起”がいまなら、これから”承”があったり”転”もやって来たりするはずだ。
だからぼくたちは、まだ何も決め込んではいけない。来たるべき変化に備えて、柔らかな自分でいないといけない。
でも、まあ、そんなに身構える必要もないんじゃないかな。変化を面白がって、だったらこんなことしたら面白いね、と、面白い軸を重視して動いていけばいいんだと思う。
そう、とにかく、動いていかなきゃね!
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