自分でも驚いたのは、ジョブズの訃報にものすごいショックを受けたことだった。これまでにも、自分が影響を受けた人物が亡くなったことはたくさんあったのだけど。はっきりと”ショックを受けた”のはジョブズが初めてではないだろうか。
自分がどれほどジョブズに影響を受けたかをあらためて思い知った。
夕方、たまたま銀座にいたので、AppleStoreに行ってみた。花でも手向けようかと思ったのだ。何かしないとおさまらない気がして。
花を手向けに来た人。なんとなく来た人。取材に来たテレビ局。PCを手にレポートしている人もいる。Ustで生配信しているのだろう。
そんな様子を見ていると、目が水っぽくなってきた。たくさんの人たちが、ぼくと同じように悲しんでいると思うと、胸の中が熱くなってきたのだ。
初めてMacを買った時のことや、家族のためにiMacを買った時など、自分とApple(=ジョブズ)との関わりをひとつひとつ思い出し、熱いものがどんどん込み上げてきた。
ジョブズは”言いたいこと”がある人だった。Macを使うと、彼の”言いたいこと”が伝わってくる。それは、「これ使って何するのも君の自由だ。さあ、自由に発想してごらん。自由に描いてみてごらん」
ジョブズは、ジョン・レノンに似ているのだ。そう言えば、ずいぶん前、去年の夏に「スティーブ・ジョブズというロックンローラー」という記事を書いたっけ。
突然、話しかけられた。「あの、ちょっといいですか?」振り向くと、見覚えのある顔が。ああ、そうだこの人、NHK BIZスポの堀キャスターだ!
その場にいた人、ということで、インタビューを受けた。胸にいろいろ込み上げていたところだったので、やや興奮していろんなことをしゃべった。「スティーブ・ジョブズは思想家なんです!」そんなことも言った。
のだけど、放送で使われたのは「仕事で使うツールはすべて彼からもらいました」という部分だけ。なーんだい、せっかくカッコいいこといっぱい言ったのに。そっち使ってよ。ま、いいけど。
Can you speak English?
30歳ぐらいとおぼしき白人が話しかけてきた。
A little.
よせばいいのに、そう答えてしまった。
矢継ぎ早に英語で質問され、興奮していたので思いつくままにどんどんしゃべった。たぶん、奇妙な英語だったんじゃないかな。
「あなたは花を持ってきたんですか?追悼にきたのですが?」
「花だ。花のために、ここに来た。だがこれを見て驚かされた。」
「あなたにとってスティーブ・ジョブズはどんな人物ですか?」
「私は15年前に最初のMacintoshを買った。ずっと使っている。Macintoshはわたしの人生を変えた。」
「Macintoshは何を変えたのか」
「ぜんぶ。わたしの人生の全部を変えた。仕事。家族生活。全部だ」
「スティーブ・ジョブズはあなたにとって何が特別なのか」
「彼はメッセージを持つ。私は感じた。私はMacintoshにメッセージを感じた」
「そのメッセージはなんですか?」
「自由。私はAppleからメッセージを感じた。”自由になれ”」
だんだん質問が高度になってくる。
「ジョブズが死んだあともあなたはAppleを使うのか?」
「使う。ジョブズが死んだあと、Macにメッセージはある。だから私はまた買う。」
「ジョブズは働き続けて亡くなった。仕事を減らした方がよかったですか?」
「私は知らない。私は何を言うべきか知らない。しかし私は彼に感謝する」
「何に感謝するのですか?」
「メッセージ。メッセージをくれたことに感謝する。自由になれ。感謝する。そしてもうひとつ。ワン・モア・シングにも感謝する」
ぼくがしゃべった英語を日本語に表現するとこんな感じだったんだと思う。まあ、とにかく悲しんでいることは伝わったかな。
それにしても、ぼくは”思想”とか”メッセージ”とか、そんなことばかり言っている。そう受けとめてMacを使ってきたのだ。でも考えてみると、Macの中をのぞいても、どこにもBe Free.なんてことは書いていない。書いてないのにそれが読み取れる。なんて不思議なことだろう!!
製品からメッセージを読み取る。そんなことは、もう金輪際起こらないだろう。局部的には起こるかもしれないけど、こんなに世界中で製品が売られ、世界中の人々がメッセージを受けとめるなんて、もうあり得ないんだ、きっと。しかも、メッセージを発信しながら、ジョブズは実際にそのメッセージ通りのことを成し遂げてきた。コンピュータライフを、音楽流通を、コンテンツ流通を、これまでの足かせから解き放ってきた。
人間は、理念を持って、それを実現することができるんだ。
ぼくたちは、ジョブズのメッセージを、それぞれの形で、実現していこう。
スティーブ・ジョブズは、そんな風に、ぼくたちに生きる意味までもたらしてくれたのかもしれない。
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