その小柄な女性に話を聞いたのは、横浜の小さな会議室での1時間半ほどに過ぎない。その短い時間、彼女から発せられるエネルギーをめいっぱい浴びていた感じだった。話を聞きながらぼくは、十数年前のAppleのキャンペーンを思い出していた。Think Differentをスローガンにしたそのキャンペーンには、アインシュタイン、ジョン・レノン、エジソン、ピカソといった、いろんな分野の、世界を変えた人びとが登場する。CMのナレーションはこう結ばれる。
「彼らはクレイジーと言われるが、私たちは天才だと思う。自分が世界を変えられると本気で信じる人たちこそが、本当に世界を変えているのだから Think Different」
ああそうか。その時ぼくは気づいた。ぼくは彼女の中にクレイジーを見たのだ。だって彼女は世界を変えられると信じている。だから彼女は世界を変えるのだ。
ほとばしるエネルギーに圧倒されながら、ぼくはそんなことを考えていた。
前にAERAの特集「子育て小国を生きる」(14.4.21号)でコメント取材を受けた時、同じ記事の中でAsMama(アズママ)が紹介されていた。「子育てシェア」サービスなのだと言う。これをはじめた甲田恵子さんに会ってみたいと思った。AERAの小林明子記者を通じて紹介してもらい、横浜まで会いに行った。
三輪舎の編集者・中岡祐介とともに訪ねた関内の中小企業会館。1階が、こじゃれたコワーキングスペースになっている。その会議室にやって来たのはイメージしていたより小柄で、イメージしていたより元気いっぱいの女性だった。
「子育てシェア」サービスと言われて勝手に想像していたのはNPOとして細々とけなげに活動している姿だったのだが、アズママは立派な株式会社で、けなげと言うより満ちあふれるパワーを人びとに分け与えているような明るさを放っていた。
アズママはあちこちから取材を受け記事になっている。中でも、ぼくたちが訪問する数日前の日経コンピュータの記事「AsMama、異色のビジネス「子育てシェア」確立までの紆余曲折」は、分厚い内容で完成度が高い。ITproでWEBでも読めるようになっているのでぜひ読んで欲しい。ぼくは前もってこれを読んでしまって、アズママがよく理解できてしまい、これ以上何を聞けばいいのかわからなくなってしまった。だからできるだけその記事にないことを書こうと思う。
甲田氏は20代から30代の前半を会社員として過ごした。当時はキャリアウーマンとして会社社会にどっぷり浸り、いまの自分とやってることがまったく違うと言う。そのパワフルさから想像するに、さぞかしバリバリ働く優秀なビジネスウーマンだったことだろう。
ところがリーマンショックでリストラにあう。その時にIT技術などを学ぶべく職業訓練校に通った。ともに学ぶ女性たちが、子どもを預けられずにキャリアを捨ててしまうのを見て、子育てを事業のテーマにしようと思いついたそうだ。彼女自身も一児の母だが、自分の悩みではなく周りの女性たちの悩みを解決するのが動機だった。そういうところが彼女の強さかもしれない。
そこからアズママのビジネスがはじまるのだが、いまの形にたどり着くまでに山あり谷あり、紆余曲折があった。その分、完成度が高いと言うか、ほんとうによくできている。それはコミュニティづくりであり、子育て以外の領域にも応用が利く、一種の発明と言えるのではないかと思う。
子どもを預けるのはかなり勇気がいるし神経を遣う行為だ。信頼できる相手じゃないとなかなか預けられないだろう。ベビーシッターをネットで見つけるサービスだと、少し前にあった悲しい事件のようなことが起こるリスクがある。そうじゃなくても、自分の子どもが迷惑をかけないかとか、逆に変な扱いを受けないかとか、心配はつきない。
アズママはそれを見事に解決している。
リアルとネットの2つの場でコミュニティを形成し、知りあって関係を結んだ相手に子どもを預けることができるのだ。
アズママの活動の基本は、イベントだ。子どもを預けたい、あるいは預かってもいい人たちを集めて心を通わせてもらう。子育てシェアは顔見知り同士であればだれでも預けることも預かることも出来るが、「友達の輪をどんどん拡げて地域の子育てを支援したい。子どものお預かりで役立ちたい」という人たちをアズママでは「ママサポーター」に認定している。預けたくて参加した人は、ママサポーターとコミュニケーションすればいいのだ。気が合うな、信頼できるな、と思えるママサポーターなら、子どもを預けられる。
一方でアズママは”オンライン共助サービス”を持っている。これは要するにSNSだ。子育てシェアに限定したFacebookのようなものをイメージしてもらえばいいと思う。
登録すると、ほんとうにFacebookのような画面を操作していく。例えば、地図上で自分の近くにこんなにたくさん利用者がいる!とわかる。そしてママサポーターは詳細なプロフィールを記載しているのでどんな人物かもよくわかる。もちろんリアルイベントで会っていれば問題ないわけだが。
アズママはそんな風に、イベントを通してあるいはSNSを通して信頼関係を築きコミュニティを形成しながら子どもを預かってもらえるので安心できる。これはつまり、疑似的に”地縁血縁”を形成しているのだ。信頼できる相手に1時間500円から700円で預かってもらえるのだから、こんなにいい育児システムはないだろう。
さてアズママは株式会社だと書いたが、どこで収益を上げているのだろう。なんと驚くべきことに、会員からは料金を取らない。500円から700円の預かり料は母親とママサポーターが直接やり取りし、アズママは仲介もせず手数料ももちろん取っていない。これを聞いた時、頭の中がハテナマークでいっぱいになった。子育てシェアサービスの会社が子育てシェアで手数料を取らなくて何がお金になるのか?
答えは、イベントにあった。母親とママサポーターが集まるイベントは、企業の後援で開催する。つまりスポンサーだ。イベントへのスポンサー料がアズママの収益源なのだ。
何しろ、赤ちゃんのいる母親、という明確なプロフィールを持つ人びとが必ず集まるのだ。育児関連だけでなく、そういう子育て世代をターゲットにしたい多様な企業にニーズがある。言ってみればアズママはひとつのメディアであり、メディアに特定の人びとが集まるのだからスポンサー収入が得られる。言われてみるとなるほどと思うが、会員から会費的な料金を取らないのは目からウロコだった。
甲田氏はそういう、ちょっと普通では考えないアイデア力、発想力が満ちあふれている。
中でも驚いた話がある。アズママでは育児の中で起きた事故に対し保険が適用される。これは大変な努力の末に実現したものだそうだ。会員に負担無しで保険が組めないか、保険会社に相談するとそもそもそんな商品がない。一から計算して組み立ててもらうとかなり高額の保険になってしまった。
でもなんとか実現したいと、あちこちの保険会社を回って相談した。回っても回っても無理だし組んでも高額になると言われたがそれでも諦めなかった。ある時、前職時代に縁があった保険会社の、立場の高い方が身近に赴任してきた。昔の縁でと頼みに行った。それでも無理だと言われたが何度も何度も足を運んだらようやく部下の方に対処するよう言ってくださった。そしてついに保険が実現できた。
さて、保険実現の過程でのエピソード。あちこちに相談する中で、世界の保険の胴元的な会社、イギリスのロイズにも電話をかけて相談した。いきなりの電話に相手も真摯に対応してくれたが、やはり簡単ではない様子。話をする中で、英国の担当者が「ところであなたはどこの保険代理店か?」と聞いてきた。いや、自分は保険代理店ではないのだ、育児サービスの経営者だと答えた。
「そしたらね、そのロイズの人が私にね、”Are You Crazy?”って言うてきたんですよ。あはははは」
保険会社の人間でもないのに保険の組み方についてロイズに直接電話してくるなんて、なんてクレイジーなのか、ということだろう。
大阪出身で、関西弁であっけらかんとしゃべる彼女のそのエピソードには本当にびっくりした。最初に書いた通り、ぼくは彼女の話を聞きながらAppleのThink Differentキャンペーンを思い出していたからだ。頭の中でパパパパパッとアインシュタインやエジソンやピカソやジョン・レノンの顔が映し出され、そこに彼女の顔も重なった。そうだ彼女も「クレイジーな人びと」のひとりなのだ。
彼女はプレゼンファイルをぼくに見せながら熱く語った。「この仕組みをね、介護など他の分野や、世界にも広げていける思うんですよ。それめざして頑張ってます!」
彼女はそれを実現してしまうのだろう。なぜならば彼女はそれができると信じているし、それができるまで努力をやめないのだろうから。
彼女はクレイジーなほどの発想力を持ち、またクレイジーなほど諦めない。彼女は日本の育児を変えていくだろう。そして彼女は世界も変えるのかもしれない。
アズママは面白くぼくたちに発見をくれる。今後も追いかけてみようと思う。
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コピーライター/メディアコンサルタント
境 治
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