iPadの予約開始が近づき、Twitter上でもその話題で盛り上がってきた。そうした中で、iPadは持ち運ぶにはいろいろ問題あるしネットブックの代わりにはならない、という意見もいくつか読んだ。
それはそうだと思う。
でも、iPadはPCの代わりに使うもんじゃないと思うのだけど。だからと言ってiPhoneのでかいやつ、ともちょっとちがう。iPadは、まったく新しいモノなのではないかな。
別の見方をすれば、iPadはテレビに代わるモノなのだと、ぼくは思ってるんだ。
これだけだと、あんた何言ってんの?って思われちゃうだろうけど。
で、突然話は変わるのだけど、『お前はただの現在にすぎない』という本がある。ぼくは学生時代だった80年代に読んだのだけど、1969年に出版されたもの。30年前にすでに古本屋じゃないと探せなかった伝説の書籍だ。でも2年前に復刊されてアマゾンで買うこともできるよ。
お前はただの現在にすぎない テレビになにが可能か (朝日文庫)萩元 晴彦,村木 良彦,今野 勉朝日新聞出版このアイテムの詳細を見る |
テレビとは何かを問いかけながら当時のTBS闘争などを伝えたもの。この本の結論はタイトル通りで、「テレビとは現在にすぎないのだ」ということ。つまり、テレビはその即時性に価値があり、それ以上でも以下でもないのだと、そこにテレビの真の可能性があるのだと、そんなことが書かれている。(もう30年近く前に読んだので細かな点は憶えていないけどね)
ぼくはこの本に強い衝撃を受け、その後のテレビの見方に少なからず影響されたと思う。
1962年生まれでまごうかたなきテレビ世代のぼくは、とにかくテレビが世の中の窓だった。家の真ん中には常にテレビがある、という生活だった。朝起きたらテレビをつけ、帰宅したらまたつけて、テレビを消す時が寝る時。そんな生活を何十年も続けてきたのだ。
ところが、そんなテレビ中心の生活が、変わった。朝起きてもテレビを真っ先にはつけない。帰宅してもつけない。テレビを消す時と寝る時はシンクロしない。
これまでのテレビの代わりに、PCかiPhoneをながめている。何を見ているかといえば、Twitterのタイムラインだ。みなさんのつぶやきを、朝起きては読み、帰宅してはながめ、寝る時にようやくやめる。テレビとちがうのは、iPhoneで通勤や移動時にも読むし、会社のPCでも読む。いままでのテレビよりもTwitterの接触時間は長いということだ。
どういうことだろう?こういうことだ。
Twitterよ、お前はただの現在にすぎない。
Twitterの中身は”みなさん”なんだから、”すぎない”ってのは失礼かもね。でもね、そういうことだと思うんだ。
さて、ここでiPadの話に戻ろう。
iPadをぼくはどう使うだろう。
少し前までは、帰宅したらすぐにテレビ、だった。いまは帰るやいなや、電車の中でiPhoneで読んでいたTwitterのタイムラインの続きを読んだり、みなさんのつぶやきで得たURLをRead it laterからたどって読んだりしている。これを、例の小さな小さな書斎のMacBook Proでやっている。パパったら最近、帰るとすぐに書斎にこもっちゃうのよねえ、となっている。もちろんぼくだって、リビングのソファでタイムラインを読みたいんだ。妻や子供たちとしゃべりながら、Read it laterしたいんだ。
iPadがあれば、それができるじゃないか!
ね、だからiPadはテレビに取って代るモノなんだよ。これは実際に小一時間ほどiPadをいじりたおしての実感。PCの代わりに使うモノじゃない。ごろごろしながらリラックスして眺めるものだ。かなり受動的に使うものなんだ。でも、Twitterを通じて世の中を見てる人には、つまりソーシャル空間がメディアのフィルターになる生活になった人には、こんなに便利でステキなものはないはずだ。
PCのじゃまっけなキーボードは付いてない。iPhoneだとつぶやきからWEBに飛んだ時にどうしても画面が小さくて見づらかったけど、十分な大きさで見ることができる。Twitter経由で世界を知るにはこれ以上ないツールになるだろう。
つまりこういうことだ。
iPadよ、お前はただの現在にすぎない。(と言いたくなるはず)
そしてiPadを通じて知ったテレビ番組を見たりもするだろうね。え?いまiPhoneAppについての番組やってるの?じゃ、テレビつけよう、てなことは、実際こないだあったし。
さらに、そこにはVOD的な映像コンテンツが入るスキマもできてくる。いまだって誰かのつぶやき経由でYou Tubeの動画を見に行くことはあるでしょ?面白そうな映像コンテンツの予告編をYou Tubeで流しておいて、Twitter経由でそれを見た人に、iPadアプリ版の数百円の本編を買ってもらう流れはつくれるわけ。
WEB上で課金コンテンツは売れないよ、って?そうだね、WEB上ではね。でもiPadならちがうのかも。おそらくiTunesのアカウントをそのまま使うことになるので、購入までスムーズじゃないかな。課金が成立するかどうかって、ほとんどそこだったのだと思うよ。実際ぼくも、iPhoneアプリはすでに軽く数千円使ってる。WEBだと”有料”って知った瞬間に「えー!?有料かよ!」って思ってたくせに、アプリだと「うーんどうしよ。評判いいし買っちゃうか、300円なら」なんて買っちゃうこと多い。大して使わなかったりもするのにね。
VODサービスが日本ではなかなかこれまで進んでこなかった。アメリカのようにCATVが普及しておらず、VODサービスをテレビとつなげるハードルが高かったせいもある。メジャーな映像コンテンツがVODにあまり出てこなかったのも理由のひとつだ。そしてWEB上では課金コンテンツがあまり成立しなかった。
それが思わず、iPadによって状況が変わるのではないか。映像コンテンツ流通にこそ、大変革が引き起こされるんじゃないか。テレビ受像機によってもPCによっても越えられなかった壁が、iPadがテレビにとって代わることで、越えられるのではないか。
もちろん、普及の度合いにもよるし、簡単なことではないだろう。でも、映像コンテンツにとってエポックメイキングなツールなのはまちがいないと思う。そんな期待で、5月28日を、みんなで待とうじゃないか。どお?ワクワクしてきた?
さて今回の”iPadはセカイテレビ”というタイトルにはもう少し語りたい意味があるのだけど、それはまた次回ね。このあともう少し、Twitterを眺めてもう寝るからさ。
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メディア開発の専門から云わせて頂ければ、セカイテレビより、地域密着のデジタルサイネージTVの用途が将来顕著になると思えてならない。地デジTVにアップルTVをセットトップボックス替わりに使えば、遠隔地に置いた放映サーバのコンテンツを好きな時に大画面で見ることが出来る。つまり、新聞折込がTV電子チラシに置き換わる事を意味する。将来は電子クーポンをスマートフォンでここから貰って、買いものに走る主婦が一般化するだろう。4大新聞が駄目になる時が本当に来るのだ。