例えば加藤和彦が亡くなった。
加藤和彦といって若い人は「で、何か?」って感じなのかもしれない。
小学校の時フォーククルセイダーズの「帰ってきたヨッパライ」を聞いて単純に面白がっていた。数年後、中三の時エレキギターを手に入れ、同級生とバンドを組んだ。いちばん最初の練習曲がサディスティック・ミカ・バンドの「アリエヌ共和国」だった。イントロのギターのカッティングがめちゃくちゃカッコよかった。バンドの友だちが言った。「ミカバンドの加藤和彦ってフォーククルセイダーズだったんだぜ」えええー?!とびっくりした。
ミカバンドは時代の最先端的な存在で、まだ日本にロックバンドなんてなかった頃に颯爽と現れて海外でも公演したりした。アルバムもよくできていて、いま聞いても全然古くない。加藤和彦ってすっげえ!とか思った。フォーククルセイダーズといい、ミカバンドといい、日本の音楽のパイオニアだぜ!確かに開拓者なのに、そういう肩に力の入った感じが全然ないのがさらにカックいい!と思ったものだ。
加藤和彦はその後もラジオのパーソナリティなんかやってて、聞いたことないサウンドを紹介したりしていた。62才で亡くなったと聞いて、ああ団塊の世代だったのかと思った。もっと年いってるような、でももっと若いような不思議な存在だった。
クリエイターってこういう人なんだと思う。クリエイターとは、団塊の世代がはじめた職業なんじゃないかな、乱暴な解釈だけど。それまでも、作詞家とか作曲家とかいたし、演奏家や歌手もいた。装丁家とか美術家とか、広告文案家とかもいた。でもクリエイターってカテゴリーをはじめたのは団塊の世代なんだ、たぶん。
そういう、それまでの職業とか分野とか、そしてその中での常識とか手法とか、全部とっぱらって洗練させて完成させたのが、団塊の世代のクリエイターだったんじゃないか。
70年代後半から80年代前半の”広告クリエイター創成期”の頃の話を聞くと、その熱さに圧倒される。突如”コピーライター”とか”アートディレクター”とか”CMディレクター”とか呼ばれる人びとが世の中に浮上してきた。サブカルチャー的なものがメインカルチャーにぐいぐいのしてきた。つまりそれまで”存在さえ知られてなかった”領域の物事がドカーンとマグマが噴火口から飛びだしてくるみたいに世の中に出てきたのだ。そこでは、何か得体のしれない、学校では知りえなかった文化が噴出していた。そして彼らも団塊の世代、だった。
ぼくのような団塊の世代のひとまわり下の層や、そのさらに若い連中は、団塊の世代がつくりあげた枠組みの後追いをしてきたのだと思う。
団塊クリエイターはなにしろすべてを”はじめた”ので、システムもへったくれもなかったところに、数十年かけてシステムをつくってきた。アルバムはスタジオに何週間も詰めてつくるよねとか、広告はコピーを決めてデザインを決めて企画していくよねとか、テレビ番組はビデオで制作してスタジオでタレントをからめて収録するよねとか、雑誌は性別世代別に中身を決めてトレンドをつくりだしながら編集するよねとか、そういうことをつくってきたのが団塊の世代だ。
そうじゃない?そう言っちゃってまちがってなくない?
加藤和彦は亡くなった。彼に限らず、団塊の世代は一線からいなくなろうとしている。
彼らを追いかけてきた次の世代、もっと若い世代は、じゃあどうしよう?うわ、リーマンショックだ。マスメディア大激震だ。
それがいまこの瞬間、ということなんじゃないか。
あ、何言いたいかすっげえわかりにくいっしょ。うん、わかってる。結局自分が何を言いたいか自分で探りながら書いてるから、わかりにくいってこと、わかってるから。
えーっとね、ようするにね、いま何かものすごく大きなことが”終わろうとしている”のではないか、ということが、言いたいらしいのね、ぼくは。
それでね、ここでやっと前回とつながってくるんだけど、終わろうとしているというのは、このターニングポイントの正体というのは、メディアよりコンテンツの方が強くなるぞ、なんていう単純でムシのいいことではないんじゃないかと、思うんだ。もっとものすごく大きなレイヤーで、ドサッと、ただ”終わろうと”しているだけなんじゃないのか。団塊の世代が切り開いて、ぼくらが追随してきたことのすべてが、一切合切、終わろうとしているんじゃないか。
あ、少しわかった?ぼくも少しわかった。そんなことが言いたいんだ。あはは。わかってきたぞ。でもなんか、怖くなってきたぞ・・・
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